気温じゃないです。
たわーと
松たけがアツいこと書いてる!!
いいなぁいいなぁ(´- `*)俺も書きたい
と思ったものの、俺の場合は過去のいい話で終わらないことに気づき泣く泣くやめておきました・・・が、何だか他にも燃えちゃった人いるしwwwやっぱり俺も書いちゃいますw
中学のとき入った委員会にバスケ部と柔道部の部長がいて、手当たり次第に勧誘してました。何か部活はやろうと思っていたので「バスケと柔道ならバスケだな(==;)」みたいな比較的軽い気持ちで始めました。入部したら先輩に「スラムダンクに影響されたの?」とか聞かれたのも今思えば当然です。何せ背は小さいし、足遅いし、フリースローラインからシュート届かないんですから( -_-)
最初の3ヶ月くらいは新体育館が完成してなかったので、外走ってばっかりでした。
顧問が怖い人で、連帯責任と言っては皆を並ばせてスリッパやコーヒーの缶で叩かれたものです...( = =) 今思えばありえない先生だ
それでもいつの頃からかバスケが楽しいものになっていました。先輩にも気に入られ、よく夜中に隣にある公園でドリブル教わったりしてました。懐かしい(´- `*)あの先輩は元気だろうか・・・。
が、中2の夏くらいからバスケ部が好きじゃなくなりました。というか、顧問が嫌いでした(==;)
今でも覚えてます。嫌いになった出来事3つ。
1.ある日の練習前のフットワーク中、何かいつもより速く走れる自分に気づいたんです。息が辛かったけど、足遅かったから余計に嬉しくなってきたんです。そしたら、急に呼ばれる。
「何笑いながら走ってんだ!真面目にやれ!!」
(゜Д゜) いや、真面目にやってましたがな。
まぁ当時の大人しい俺にはそんなこと言う勇気もなく・・・泣き寝入り( ノД`)
2.『ミドルシュートが得意だなぁ・・・』と自分で認識してきた頃。ゲーム中、台形より少し外の角度0度でボールを貰う。前に人いない。シュート打ちました。入りました。そしたら、急に呼ばれる。
「そんなとこから打つな!ワンドリしてできるだけ近づいてから打て!3Pじゃなきゃ同じ2Pなんだから!!」
(゜Д゜) ワンドリして敵に追いつかれたらどうするんですか?
ちなみに、それは確かセットオフェンスのシーンだったと思います。どんだけ当時の俺のシュート力をなめてたのかと・・・まぁそんなにうまくなかったけどさぁ・・・・・( ̄。 ̄;)ボソッ
3.ゲーム中、ボール運んでるときに先輩に教わってだいぶ使い物になってきた(と思った)バックハンドチェンジを使いました。抜きました。そしたら、急に呼ばれる。
「かっこつけたプレイすんな!普通に抜け!」
(゜Д゜) 普通って何ですか?抜いたのにそれ?
ちょうどこの頃、初めての捻挫、ヒザの痛みで練習を休みがちになったので幽霊部員っぽくなっていきました。で、引退試合は行かず・・・ん?行ったっけ?いや、確か行ってないな。同じく怪我で幽霊部員っぽくなってたヤツと「引退したってさ。」「へぇ。」とか言ってたもんwww
っていうか、夏頃は体調とかも崩してて運動会も出なかったような...( = =)
そんなわけで、少々バスケへの情熱も冷め気味で高校へ。それでも、『今度こそちゃんとバスケがしたい!』って気持ちになったので、懲りずにバスケ部へ。入ったらどこぞの代表がタメに2人もいました。全然スポーツ強くない高校なのに!
でも、そのおかげで俺らのレベルアップの速度はだいぶ速かったと思います。つーか、皆とにかくストイック!
たまに母校に行く度に顧問の先生に言われるあのセリフを実は誇りに思ってます。
「あんたらの代ほどストイックだった代はない。」
そりゃそうです。先生よりも早く学校行って、事務の人に鍵開けてもらい、体育館でシュート練して「あんたら早過ぎ!あたしが事務に怒られるでしょうが!時間ぴったりに来なさい!」と何度も怒られたり、新しい練習を提案されては「これ何の意味があるんですか?どうせだったらこうやった方が効果ないですかね?」とか提案されたものより辛いものやったり・・・ずっと一回戦負けの高校が俺らの代から二回戦負けになったんですから!www
そんなストイックさ同様、チームとして強くなるって意識も強かったから、お互いにアドバイスとか(当然のことだけど)異常に多かったと思います。俺も1年のとき「お前シュートフォーム変わってるけどよく入るよな。っていうか、モーション速くてブロックのタイミングがムズい。」とか言われ、その気になったりしましたwww
というわけで、それから人より速いタイミングで打つシュートをものにしていくんですが・・・結局、そのシュートフォームでかかる負荷のせいで、高2になってすぐヘルニア一歩手前になるわけです...( = =) コルセットとか針治療とか初体験でした。
そして、俺の人生でバスケと言って忘れちゃいけないのは高2夏から、中学のバスケ部同期に誘われて通うようになった
Jordans。
ゲーム感などは間違いなくあそこで培われました。何てったってすごくいろんな人とバスケする機会があったから。あれはクラブチームならではです。部活引退した直後にOBとして遊びに行ったら「こんなにうまいプレイヤーでしたっけ?!」と後輩に言われたこともよ~く覚えてますwすごい複雑な気分だったしwww
Jordansでの経験と部活でのオーバーロードから解放されたことが主な理由です(;´▽`A``
この頃、Jordansメンバーから「お前シュートモーション早くてブロックできないし、外からシュート決めるし、パスカットからの速攻とか十八番だし・・・ゲリラみたいだ。」と“ゲリラ”って称号もらっちゃいました(;´▽`A``
レベルの高い文京区大会で、初出場にして1回戦突破。2回戦は強豪にボロ負けだったけど、皆実力以上のものが出ていました。俺の3P6/8とか・・・・・( ̄。 ̄;)ボソ...
・・・あの当時はただバスケができる場所があることだけで嬉しかったし、おじさん達に甘えてばっかりだったからあんな日々を送れたんですよね・・・・・・あと何年このままバスケができるんでしょう・・・いや、このままで満足なのか?!(ぇ
と、そろそろ不満を書き連ねそうなのでやめておきますw
っていうか・・・俺がこんなに昔のことを振り返るなんて我ながら珍しいwww