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 「Around the world 」 感じた事を徒然なるままに・・・

世界各地の徒然、音楽、美術、時空をワープしてぼんやり世界の呟き。思ったこと、感じたことを徒然なるままに。

秋のお花畑(^^♪

2015-10-06 23:33:21 | 旅行

10月になり少しづつ秋らしくなりました。

秋は枯葉や散りゆくイメージなので、もの悲しく感じて秋や冬が嫌いな方もいるかもしれませんね?子供の頃は、秋が一番嫌いな季節でした。北の短い夏が終わり、秋を迎えその後に長く厳しい冬がやってくるのだと思うと、悲しさを感じたものです。成長するにつれて、それぞれの季節も楽しめるようになりました。

今は、高温多湿の夏が過ぎゆくと、秋には一層のすがすがしさを感じるので、とても好きな季節になりました。

 

ちょっと足を延ばして、すがすがしい秋の一日を満喫しました。^^

 

 

 

 

 

曼珠沙華のお花です。赤い色が印象的で、別名は彼岸花でこちらの呼び名の方が馴染みやすいかもしれませんね?私は生まれて初めて見ました。

 

彼岸花の由来は、ちょうど秋の彼岸の事に開花することらしいですが、この真っ赤な色はバラなどとは違って独特な雰囲気があります。真っ赤なバラでしたら、縦とげが在っても華やかで圧倒的な美しさですが、彼岸花は毒々しいような感じさえします。

 

彼岸花の由来は、もう一つ、この花を口にすると彼岸する(死)しかないという意味もあるようです。そうです、彼岸花は毒性のお花なのです。

 

彼岸花と呼ぶよりは、曼珠沙華と呼ぶ方が美しい呼び名ですね?曼珠沙華となると、彼岸花とは全く正反対の天上の花という意味になり、法華経の仏典に由来しています。仏典の曼珠沙華は白色の花ですが、曼珠沙華は赤のほかに白色のものもあるようです。

 

 

もう盛りを過ぎて枯れかかっていましたが、川沿いの林の中一面に曼珠沙華の赤い花が絨毯のようにきれいでした。

 

 

曼珠沙華の花と入れ替わりのように、コスモスのお花畑はちょうど開花し始めた頃でした。満開時でしたら、どんなにピンク色のグラデーションが美しかったでしょうか?

 

恋ピンクや薄いピンク色のコスモスは、とっても可愛くってお花畑の中を歩いているときは幸せ一杯の気分でした。^^Happy~♬(^^♪

 

かすかな風にも敏感に反応してゆらゆらと靡く姿は、繊細な美しさでコスモスは大好きなお花です。

 

 コスモスの和名は「秋桜」ですが、薄いピンク色のコスモスを眺めていると、本当に桜が秋にさいたような、秋の桜のようなそんな印象ですが、実際は「キク科」のお花です。^^

花言葉は、コスモス全体で「調和」「謙虚」「真心」です。色別ですと、ピンクが「純潔」、白が「優美」、赤(恋ピンク)が「愛情」「調和」です。黒味掛かったチョコレートコスモスは、「恋の終わり」です。なぜか、チョココスモスだけがネガティブな意味ですね?

英語名はcosmosでラテン語がそのまま名前になっており、ラテン語のcosmosの意味は「宇宙」です。「宇宙」は「調和」のとれた美しさですね?化粧品のコスメもこのラテン語由来ですよん。

 

もっと満開のコスモスだったら、ピンク色の絨毯がとてもきれいだったでしよう・・・・

中学生くらいまで、コスモスを見るともの悲しくなるのでした。短日性の植物が咲くということは、夏の終わりを感じさせられて、まるでイソップ童話の「きりぎりす」に自分を重ねていたのかもしれません。なにせ、怠け者のわが身なので。しかし、成長するにつれて大好きなお花になりました。それは、体感として未だ夏の盛りであるのに、忙しく過ごしていると見逃してしまいがちな微妙な日照時間を敏感に感じ取る自然の摂理(神の采配と表現しても良いかもしれない)に感嘆するようになったからです。

 

可愛いコスモスの中で過ごすのは、とってもhappy~(^^♪

 

 

 

 

 

空を見上げると、雲の表情が色々変化して秋色でした。

 

 

曼珠沙華とコスモスの花畑を後に、秩父神社に向かいました。

 

稲穂の黄緑色がなんとも言えず美しいです。北海道の田園風景とは違い「日本昔話」の中の光景のようです。

 

 

現存するご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されているのですね。

 

 

 

毎年12月3日に行われる例祭は、「秩父夜祭」として国の重要無形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられているそうですね。

 

 

 

 

空の形が変化していました。

 

 

あなたも私も誰もが、季節の変わり目で風邪などひきませんように・・・・

 

それではまたお会いしましょう。^^

 

 

 

 

 

 

 

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北海道5

2015-09-10 04:16:41 | 旅行

 素晴らしい積丹の海をご紹介します。

先ずは、札幌から小樽まで高速を飛ばし、その後は国道229号線の積丹半島を走ります。

 

札幌・小樽方面からですと、実際は海は右側に見えますが、帰路の積丹から小樽方面に向かう写真になります。

 

 国道229号線は、数々のトンネルを抜けるが、切り立った崖山、迫る海岸線で複雑な道路で危険が多く、閉鎖されたトンネルも多々遭遇する。塞がれたトンネルのすぐそばの新しいトンネルを抜けることになります。

 

積丹半島の海は、積丹ブルーと呼ばれる美しい水の色。そして・・・・雲丹が美味しいのです。^^

 

 この辺は大きな石の海岸です。浜辺が狭く海水浴場に指定されていないようなところでも、テントが張られているのを見かけます。

 

積丹岬の入り口に

周囲は山だらけで何処に海があるの?という印象を受けます。

 この狭い手掘りのトンネルを抜けた先のようです。

 「トンネルを抜けると、そこは青い海だった・・・・」^^

 

 いや~~~ん!絶景!「日本の渚百景」に選ばれた島武意海岸です。切り立った崖の真下に積丹ブルーの海が見えます。

 積丹ブルーの海を間近で見るには、崖下りをしなければいけません。

 余りにも美しくって、単に海の青さが綺麗というよりも、切り立った断崖と中々近づくことが出来ない神秘的な青さを湛えた海、海岸とはいえ砂浜などではなく石浜で、しかも、その面積が小さく恐ろしさすら感じる美しさなのです。

この崖を下りるべきか、上から眺めて満足しておくか・・・・・どうしましょう????

崖路は急で怖いですし・・・・ 足元も悪く、しかも下ったら、、また上がって来なければいけないのですから・・・

 

暫く迷いましたが、ここまでやってきたのですから、意を決して海に行く事にしました。

 

 

 崖路を恐る恐る下ると、高山植物や雑草が美しくて、不安定な姿で恐る恐る写真を撮りました。

 

 滅多に見ることが少なくなった紫つゆ草です。

 

 遠くに白い船が・・・・

望遠で撮影した白い船を更に、PCで拡大してみると「新日本海フェリー」でした。小樽港を発着するものと思われます。

 ああ~綺麗♪ 神秘的。南国の海とは全く様相が違うのです。この海のどこにも、ヤシの木などありません。切り立った奇岩山。島武意とは、アイヌ語のシュマ・ムイで「岩の入り江」という意味です。

 

 このわずかな浜辺でテントを張り海水浴をしている方もいました。直接ここに来る方法は、これらの絶壁をキャンプ用品を背負って昇り降りしなればなりません。遊ぶにもとても体力が必要です。

海水浴場ではないので、太陽が沈むと真っ暗です。ダイナミックな方もいるようです。凄いなぁ~~。そんなダイナミックな行動は出来ませんが、今度来た時には、カヤックで積丹ブルーに挑んでみようかしら?いや・・・水中展望船にしておこうかしら?

 

 積丹と言ったら、モチ、ウニでしょう。^^ 美味しいぃ~~~♪ ウニは生臭くて苦手な方もいらしゃるかと思いますが、生臭いのは、保存・防腐の為にミョウバンに付けている、ミョウバンの味と香りです。

本当の生ウニは、少しだけ溶けた感じでお口に入れた瞬間、とても甘味が広がるのです。

生きウニは、触手が動いています。この中のオレンジ色の部分が卵巣で食用部分です。ウニ丼はお醤油をかけますが、こちらは海水の塩分を含んでいるので、そのまま頂きます。

漁師の方は、ウニをガゼと呼び、雲丹の漢字はウニを加工した食品に対して使用するようです。「雲丹おかき」や「雲丹せんべい」など。

ああ~美味しかった♪ 軍艦巻きの半分だけにミョウバンウニが乗り、きゅうりを添えているお寿司は、口に出来ません・・・・

 北海道で子豚ちゃんになってしまうかもしれません・・・・ああ~どうしましょう。でも、良いモン、少しだけなら・・・・^^

 

さて、更に積丹を楽しみましょう。

 

次は、神威岬をご紹介します。

 こんな感じで、また山々です。

 果たして、どこまで行けるでしょうか?

山しか見えなかったのですが、ようやく海が見えてきましたが唖然!

 

灯台と岬の先端まで行くのは断念しました。先程の島武意海岸で足がガクガクしてしまいました。遊ぶにも体力が必要です。普段、体を動かしていないので、祟ってしまいました。(涙)

 

灯台とその先までは行けないので、望遠で写真だけ楽しむことにしました。

 

 

 

岬の右手側です。

 

 

 今度は、岬の左側を撮影してみましょう。

 

 

 

 高山植物が咲いていました。これは「釣鐘ニンジン」ですね?

 

 

 これは、「エゾフウロ」。

 これは、「ナデシコ」。どれもみんな、可愛い♪

積丹ブルーソフトクリームという水色のアイスがあり、頂きました。ほんのりミントのお味と濃厚なミルクのお味で、美味しかったです。食べ過ぎ?(恥・・・)

 

 

次は、ニッカウィスキー余市工場を紹介します。

 風間杜夫さんのNHKドラマ「マッサン」で取り上げられ、売店ではウイスキーが品切れ状態でした。

 

 創設者の「竹鶴」氏の詳しい経歴は割愛しますが、酒造家の生まれで、実家ではなく他の酒造会社に入社しました。それまで日本はアメリカの模造洋酒を作っていたのですが、国内で本格的な洋酒作りを始めるためにスコットランドに社命で留学し、帰国後に洋酒作りに乗り出す予定が、戦後恐慌によりその会社では果たせませんでした。

その後、中学で化学の教員になりましたが、現サントリーで洋酒作りに乗り出す際に竹鶴氏を起用します。山崎工場で仕事に励むも、当時のサントリーの社風と、竹鶴氏の方向性の違いから退社をして、スコットランドの風土に近い余市に蒸留所を作ったようです。

 

 この部屋は、パンを焼くときのような香りがしました。酵母とか発酵の香りです。

 へぇ~。これがモルトなのね?

とってもさわやかです。

 

 

 

 北海道らしく?熊がウイスキーを抱えています。

 

 試飲室です。リンゴのお酒をソーダーで割っていただきました。美味しかったぁ~。樽のテーブルで頂くのは最高でした。^^ 車で来ている人や未成年には、お茶やジュースもあります。

 何故こんなところにこんな写真が?と思いましたが、72年の札幌オリンピックのジャンプ金メダリストの笠谷幸生選手は、余市出身でありまた、ニッカウヰスキーの社員さんだったのですね?知りませんでした。

 

 

 

 同じく余市に、なぜ宇宙記念館が?と思いますが、宇宙飛行士の毛利衛さんが、笠谷氏と同じく余市出身の北大の先生でした。余市って、世界的に有名な方二人も輩出していて驚きです。とてものどかで静かな小さな町という印象なのです。でも、とても素敵な余市でした。^^

 

 余市から札幌に向かう途中で、小樽の酒造会社に寄りました。

ここでも、試飲をして酔ってしまいました。^^

洋酒とは違って日本酒もまた格別です。あ~すごい酒豪のような書き方ですね?^^

でもね?ここでの試飲は、紙コップに1センチだけでした。^^

 酒粕をお土産に買い、冷たい甘酒を作って楽しみました。^^

仕込み水を頂いてみましたが、冷たく軟水のおいしさで、体に染み入りました。

 

 とっても素敵な海の景色を楽しみました。^^

お花畑も海もホント、素敵な夢の世界でした。海外も良いのですが、ある種の緊張感があり、国内旅行はのんびりとできて、また格別です。^^ 

この美しい風景からひと月も経っていませんが、すっかり東京でも季節が廻りました。

 

一昨日まで体調が悪く、また、秋の長雨ですが、HAPPYに過ごしたいと思います。

 

あなたも私も誰もが重たい雨に憂鬱になったり、体調を崩されませんように・・・

 

それでは、またお会いしましょう・・・^^

 

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ただいまぁ~

2015-09-01 14:51:49 | 旅行

カスピ海やコーカサスの山々から帰国いたしました。

旅立つときには蒸し暑かった東京でしたが、帰国してみるとすっかり夏の終わりを迎えて秋に移行しつつあります。

8月は北海道と海外で、ほとんど留守の日々でした。

今回はドーハ経由でカタール航空を利用しました。中東の航空会社が大頭してきたのは、比較的最近ですが気に入っています。一昔前には、北極回りでヨーロッパにノンストップというのが、最短距離で便利になり、そのころにはアンカレッジ経由は無くなり、ましてや南回りなどいつの時代のお話かという雰囲気でした。しかし、中東の会社が大頭するようになると、いろいろな魅力があります。

 

世界の運輸約款でA国に日本が直行便を飛ばしているならば、必ずやA国の航空会社も日本に直行便を飛ばしています。ですから直行便が飛んでいない国に行くのであれば、距離や時間で考えると、モスクワ経由が私にとって最も疲れがなくてお気に入り路線なのです。最も、日本からの直行便が飛んでいる国に行くのであれば、その国の航空会社が一番です。必ずしも日本の航空会社を好んでいません。理由は割愛します。

時間や距離などをおいても、カタール航空は魅力的です。その理由は、手荷物が他の航空会社が20~23キロ(エコノミー)の場合が限度ですが、カタールは太っ腹で30キロまでOKなのです。もちろん、ビジネスやファーストクラスに乗るのであれば、更に上限が上がります。

 

今回は、現地でしか入手できない原書などを購入して、それらの資料だけで10キロを超えてしまいました。情報の少ない国では、現地でしか入手できない書籍が殆どです。自分の体重の半分どころか三分の二以上の重量の荷物と帰国しました。自宅~成田では宅配を利用しましたが、現地の国境越えは、これらの荷物を抱えながら腕が外れそうになってしまいました。

 

 

 

 

これは、アルメニア語のアルファベットです。世界には様々な言語が人種の数だけ存在して、世界の広さを感じます。

どこの国へ行っても、勿論、国内であっても痛感することですが、「少女老いやすく学成り難し」です。

 

 

 

 

アルメニアからアララト山を臨みました。

旧約聖書の創成期によると、アララト山はノアの箱舟が漂着したとされています。残念ながら現在のアララト山はトルコ領になります。トルコにも何度か訪れましたが、トルコではなかなかアララト山にまで足を運ぶことがありません。アルメニアのこの地から臨んだアララト山は、まるで日本人にとっての富士山のようでした。^^

 

今回は写真を4000枚撮ってきました。私にしては、少ないほうです。かの国について、調べれば調べるほど、知れば知るほど書きたいことはあるのですが、ここでは、あくまでもお遊びブログの範囲内で、のんびりとご紹介していきたいと思います。^^

 

 

それでは、またお会いしましょう・・・・

 

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バクー

2015-08-21 12:00:07 | 旅行

私は今、ドーハにおります。

北海道の素敵な海の写真をアップする前に、こちらに飛んで来ました。^^

ドーハは、一年九ヶ月ぶりです。これからバクーに向かって飛びます。バクーが何処にあり何処の国か直ぐに理解できるかたは、世界つうのかたでしようか? 常に世界の社会情勢に目を光らせているか、或は世界中を旅して、もう行く所がない方でしょうか?

 

カスピ海の畔をのんびりとお散歩して、人生と幸福について思索を巡らしてきたいと思います。^^

これでバクーが何処の国の都市かお分かり頂けたでしょうか?

まだ駄目? そうです、私はアゼルバイジャンに向かっています。カスピ海とコーカーサスの山々の空気を、この小さな?胸一杯吸ってきたいと思います。

かの国は、ロシアとの紛争に翻弄された地域です。

1991年ソ連解体により、今までは全く未知であった国々が平和に立ち上がり世界に向けて開かれるようになりました。

 

あー搭乗がはじまりました。

 

また、お会いしましょう。。。。

 

 

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北海道4

2015-08-17 13:39:13 | 旅行

素敵な北海道の緑とお花の風景をご紹介します。

先ずは、札幌を抜け国道275号線を走り石狩川を望みながら、石狩平野を走り抜けます。

 

 

 

 そして、北海道のお臍に向かっています。

 途中の風景は水田や蕎麦の畑を見ることが出来ます。白いお花でしたら、ジャガイモか蕎麦畑ですが、これは蕎麦の畑の様です。

 

 

 

 

ひまわりで有名な北竜町に到着しましたぁ~♪ 嗚呼~、素敵♪ 黄色、黄色、黄色っ!!

北竜町のひまわり畑は、日本一で『いますぐ旅に出たくなる』や『死ぬまでに見たい日本の花絶景旅』などの国内の絶景写真本に紹介されています。

真夏の太陽を一杯に浴び黄色く大輪に咲くなひまわりを見ていると、こちらも元気の元を貰えるような感じがします。巨大な「ひまわりの迷路」があり、私よりも高身長にスクスク成長しているひまわりの中に入ると、迷子になってしまいそうです。

 

 

 

 こんなお花畑に来ることが出来て、Happy~♪

人生は色々なことが在り、悩んだり涙してしまうことが在るけれど、「私には悲しい涙や苦しい涙は似合わない、嬉しい涙と感動の涙しか零さない!」そう悟ってからは、今まで気が付かなかった様々な幸せに気付く事が出来て、毎日がHappy~♪の連続です。そうすると、感謝する事が多くて驚きます。

写真では伝わらないかもしれませんが、大きなひまわりに囲まれると、そして、空を見上げると空は青く進み渡る空気の中、突き抜ける喜びが溢れますよ。

 

「ひまわりの里」を満喫した後は、旭川に向かいました。「旭川ラーメン」を楽しむためです。^^

 

出発の数日前に「YUOは何しに日本へ?」というTV番組で、チリから来日したセバスチャンさんがラーメンを求めて日本を自転車旅をする様子が放送されていましたが、その中でも特に北海道編を楽しみにしていました。そこで、旭川に本店がある「山頭火」さんを知りました。

 

 旭川ラーメン村に到着すると、色々なお店のお味を賞味してみたいとは思いますが、いくらハーフサイズを注文した所でせいぜい2種類くらいしか頂くことが出来ません。どのお店も行列が出来ていますが、やはり「山頭火」さんに入店する事にしました。^^  

「火頭山」ではありませんよ。^^ でも、どうしてもそう読んでしまいます・・・・

中国からの観光客の方が多かったです。

 

 「山頭火」さんで普通の醤油ラーメンを注文してみました。見た目は大人しめの普通の感じでしたが、ああああ~美味しかった♪ 鼻の頭に汗をかきながらふうふう言ってラーメンを啜りました。う~~ん、美味しい♪

 

これは、ベンチです。なるとが座布団になっていました。食べ物の上に腰かけるのは気が引けましたが、なるとに座ってみました。^^

 

旭川ラーメンを楽しんだ後は、美瑛に向かいました。

美瑛のパッチワークの丘です。色々な作物の畑が織りなす風景は、様々な生地を繋ぎ合わせたパッチワークキルトの様です。収穫のトラクターの移動した後も美しく、総てが絵になっています。

 

 

自然の織り成す色彩が美しく、心が洗われるようです。

 時間帯や季節によって、それはそれは美しい光景が見られるでしょう。

 ああ~綺麗♪ 美しい~♪ これらの美しい大地は、雑草ではなく農家の方方の作物にたいする愛情と手が掛かっている証ですね?半年間は、白い大地になってしまうからこそ、美しい緑なのです。

 

こんな風景の中に佇むと、「農場の法則」を思い出します。収穫の秋になって慌てても、春の種まきを適当に済ませ暑い夏に手入れを怠ると、いくら秋になってもそれなりにしか収穫できないと・・・・

 

 

 

 

 日産自動車の4代目スカイラインのコマーシャルの「地図のない旅」シリーズで撮影された風景で、「ケンとメリーのスカイライン」で有名になったポプラの木です。

 その時のCMソングが「ケンとメリー愛の風のように」だそうですね。このポプラの木は、CMで観光地になってしまったそうですが、あくまでも個人の方の敷地内にあるようで、通り過ぎた後に望遠で撮影させて頂きました。このポプラを撮ろうと観光客の方が結構いました。

 

 

 他にもタバコのCMで撮影された「マイルドセブンの丘」などもあります。こんな素敵な風景のCMですと、商品のイメージを格上げしそうですね?ニューヨークタイムズだったかと思いますが、日本のコマーシャルを見ていても一体何のコマーシャルか解らないという記事を読んだことが在ります。日本人のコマーシャルはイメージだけを枠一杯に流し、最後の最後で商品名だけが流れる。その商品の美点が全く分からないと。

 

これは、「セブンスターの木」で、たばこのパッケージに掲載されたようです。

 どの風景も美しく、絵になります。これは、牛の飼料の干し草で一つ450Kg。

 

 

次に「青い池」を紹介します。もう来年からは見られない光景の様です。

 

 神秘的な「青い池」は、緑深い森の中にひっそりと在りました。決して観光地ではないので、トイレなどは一つもありません。道路も整備されていません。北海道開発局が、1988年12月に噴火した十勝岳の堆積火山泥流をせき止める為に着工した堰堤が偶発的にこの池を作り出したのです。開発局が管理しているので、来年から閉鎖するともしないともうわさ?され、もしかしたらもう訪れることは出来ないかもしれません。

 

 

 季節により青の色彩が違うのですが、水の中のアルミニウムがこの青を作りだしています。アップルがMacの壁紙の一つに採用され有名になってしまいました。それは、冬の木で青い池に白い木の写真です。今の時期は、エメラルドグリーンや翡翠緑ですが、5月6月はコバルトブルーの青になるようです。

 この付近の湧水は水酸化アルミニウムが含まれており、白色系の微粒子が含まれており光に当たり何とも言えない青色を作り出いているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森の中にある青い池のほとりを散歩している間は、夢の時間でした。^^先程の元気いっぱいの黄色のひまわりとは違い神秘的で、またまたウットリでしたよ。^^

 

次は、色とりどりの御花畑を紹介します。ラベンダー紫の丘は、7月がピークなので紫は殆ど見られませんでした。しかし、花花の美しい事と言ったら言葉がありません・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 はぁ~。Happy~♪

 

 

 

 

 

 

 

 ラベンダーカラーのソフトクリーム。とっても綺麗で美味しそうで、写真を撮るのを忘れて一口・・・・。^^慌ててパチリ。

 

 

南仏のラベンダーは有名ですが、日本国内では北海道の富良野がラベンダー栽培に最も適しているようです。周囲の農家がラベンダー栽培を止めていく中で、旧国鉄カレンダーにラベンダー畑が採用されてから、観光客が訪れる様になったようです。そして、倉本聡さんの「北の国から」で爆発的人気を呼んだようです。

 

 一番手前がラベンダーですが、紫の花先は7月中に加工品にすべく収穫をしてしまうので、鮮やかな紫は見ることが出来ませんでした。

 

 

 

 

 

 ですが、いつでもラベンダーの紫を鑑賞できるように温室で花開いているラベンダーを楽しむことが出来ます。う~~~んいい香り♪

 ラベンダーの香りはリラックス効果があるので、自宅でアロマテラピーオイルはラベンダーを多用しています。ぐっすり眠れるのですもの。

 

また来たいな~。美しい一面がお花の世界で過ごすと、自分の中の淀みが洗い流されて浄化された感じです。Happy~♪

 北竜、旭川、美瑛、富良野を後にして、一路、高速で札幌に戻ります。

 

札幌への南下では、夕刻に高速道路の右手に夕日が望めました。

 素敵な一日だったな・・・Happy~♪

素敵な風景に身を置くことが出来て周囲に感謝の気持ちが溢れてきます。

次回は、海を紹介いたします。

 

それでは、またお会いしましょう・・・・^^

 

 

 

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北海道3

2015-08-15 23:10:45 | 旅行

 

 札幌駅~大通り界隈のお散歩は大好きです。

道路を歩いているのは、殆ど観光客の方で地元の札幌ッ子は地下道を歩くのが好きなようです。冬の間など、地下鉄を利用してショッピングも遊戯も総て地下や室内で過ごして寒い屋外に一度も出ないなどという方もいます。

 

 

 

 こんな自転車タクシーを見かけました。数種類のデザインがあり、乗っているのは外国の観光客が多いようでした。

札幌駅~大通り公園を結ぶ地下道では、こんなフリースペースがあり、真冬でも噴水に南国の植物が植えられています。

 

 自宅の観葉植物で「ゴムの木」を育てている方も随分目にしました。冬の間、雪景色を見ながら暖房の効いた室内で天井に届くまでの「ゴムの木」を眺めながら一服するのは、Happyな時間なのです。

 

 

以前もここで紹介していますが、北海道庁の赤レンガ庁舎の中は、資料館となっています。写真をベストポジションから撮りたくても次から次へと観光客の方が押し寄せてきます。私はこれからも訪れますので、観光客の方に、ベストポジションはお譲りしました。

赤レンガも良いのですが、蓮池の畔をお散歩して緑の鑑賞を楽しみました。

随分古い話ですが、ここで蓮池を入れて赤レンガの絵をスケッチしたことが在りました。しかし、スケッチブックを広げたりイーゼルを立てると、後ろから覗かれてしまうので、写真を元に後でイマジネーションと合わせて後から絵に描き起こすようになりました。

望遠で写すと、肉眼よりも的確に物事を見せてくれますから、後からたっぷりとイマジネーションを膨らませることが出来ます。

 

 

 久しぶりに赤レンガ庁舎に入ってきました。

 

 

 蝦夷から北海道への移行の歴史を知ることが出来ます。

 歴代の北海道知事の写真がありました。顔は解らなくても何となく名前だけ(資料などで)記憶にあるのは、左から4人までです。左から2番目の横路知事は、当時の社会党から出馬していて、それまでの自民党圧勝?時代から、北海道社会が変革すると喜んだ道民の方を数多く存じています。

道庁マン(キャリア)で、民間に出向して道政に戻る(正確な表現ではないかもしれないが・・・)コースを歩んだ方からずいぶんと横路知事やそれ以降の道政について聞かされた記憶があります。横路知事は「寅さん」がお好きだとも耳にした記憶が、書いていて蘇って来ました。知事の選挙活動を応援していた道民は、「緑色のY」のバッチを洋服や帽子に付けており、かなり新道政の展開を見守っていました。

古い友人のご尊父が北海道の地方都市で議員をして(いた)おり、友人は高校生のころからクラウン(当時はオジサンの車という印象)に乗っていました。友人は自民党支持者であり、社会の在り方について様々な道民の思いがあるのだと複雑な思いでおりました。

私が中学生の頃だったでしょうか?、道議か市議か区議か政党も出馬者の名前も忘れてしまいましたが、母が面白がって?アルバイトで鶯嬢(?子持ちの女性に嬢はどうかと思うけれど)をしたことが在りました。その出馬者は、最初から当選するつもりなどなく選挙とは何かなども随分疑問に思ったりもしました。

 

 

道庁内の「北方領土返還要求」について署名をしてきました。

北方領土関係の資料室では、多くを勉強できました。

 

一昨年、カムチャッカに参りましたが州都のペトロカムチャスキーに着陸すべく飛行機が旋回を始めると、国後の爺爺岳によく似た山々が眼下に見えてきたのを思い出しました。

小学生や中学生向けの資料で勉強させて頂きます!

 

 

大通り公園も久しぶりに歩いてみました。冬は「ミュンヘン市」や「クリスマス市」、「雪祭り」会場になりますが、やはり夏はお花が美しいです。短い北海道の夏を楽しんでいる札幌市民の方や観光客の方が溢れていました。

 

トウモロコシは北海道では「とうきび」です。茹できびも焼ききびもどちらも美味しいです♪

 

 大通公園の下の地下街の公衆トイレマークは、「なにこれ?」(だったでしょうか?)のTV番組で紹介されていました。寒いからマフラーをしているのです。^^ デザイナーの方の素敵なセンスを感じますね?^^

地下道では、様々な掲示を目にします。小学生向きの掲示で勉強?してきました。^^

札幌は日本一税金が高いのですね?

小学生や中学生向けの物は、難解な文章よりも私の様な者には、理解しやすく有り難いのです。^^ 精神年齢が小学生並みなのかもしれません・・・・・(恥)

 

小学生にも理解できるように書かれており、漢字には読み仮名まで振って在ります。^^ これからの日本国を背負っていく子供達には、正しい教育をすることが、先に生まれた国民の義務でしょうね。教育の現場に携わっている教職員の方には頭が下がります。

 

 

 

 

 「日本三大ガッカリ」(?)の時計台です。

 

 

 

次回は、札幌を離れて綺麗な北海道の風景をご紹介したいと思います。

 

それでは、またお会いしましょう・・・・^^

 

 

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北海道2

2015-08-13 00:00:13 | 旅行

札幌から30キロ位の夕張郡長沼町にドライブに行って来ました♪

急ぐ必要は全くないので、のんびりドライブするべく、わざわざ遠回りでゆっくりと江別市を通り、北広島市に至り長沼入りしてきました。国道274号線をドライブしましたぁ~♪

緑の景色が美しく、うっとりとして風景に見入りました。

 

・・・・・で、長沼でのお目当ては「赤字丼」です。

 

 

 

 

 

 

 

食器は総て赤ですが、お盆に盛られた他に「イカの塩辛」や「なんとか漬」(忘れてしまった!)がサービスされます。

大きい海老天が「ドドンと丼に盛られていますよ。^^

お店のオリジナル「天丼たれ」を購入できたので、自宅で「海老天丼」を作ってみたいと思います。

楽しみっ!!

 

こちらに居る間に、太ってしまいそうです。北海道の食べ物は何でもおいしいのですモン♪

果たして喜ぶべきか?悲しむべきか?

 

 

 

 

それでは、またお会いしましょう・・・

 

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北海道1

2015-08-12 19:16:28 | 旅行

 数日前から、北海道にいます。

蒸し暑い午後の羽田を飛び立って、夕刻新千歳に到着した時は20℃でした。冷涼な空気は凛として、とても清々しい気持ちになりました。勿論、昼間は夏らしく暑さを感じますが、しかし、東京のそれとは全く違います。

 

 

 花花を愛で、そよ風に揺れる木葉の囁きを聞きながら、お庭で頂くコーヒーは最高です。^^

北国では、短い夏が貴重な時間なので、流れ行く雲の形を変える姿に、微妙な季節の移り変わりを感じます。

 

 

そして、こうしたささやかな日常をとても幸福に感じ、周囲に感謝の気持ちが溢れてきます。

 

 美しい花を嫌う人はいませんし、美しい花は心を癒してくれますねぇ~。よくぞ、厳しい北海道の冬を超えてくれました。越冬して、再度、花を咲かせる生命力の強さに、自然の摂理と花を育てている両親に心が温まります。

裏庭の黒船ツツジが長い寿命を終えたので、枝を銀に染めてフラワーアレンジメントの素材として、その命の姿を変え生かし、庭は綺麗にしたようです。

そして、そのあとに初めて本の少しの野菜を植えてみたようです。オーガニックの夏野菜を収穫(というほどではなく、ささやかな楽しみ)できました。

 

キュウリのお花って、なんて可憐なのでしょう!

 

 土に生っているトマトの青と赤は、なんて水水しいのでしょう!

 帰郷した翌朝の収穫は、キュウリ3本にトマト3個♪

トマトの香りが豊かです。

 自分で収穫した(育ててはいないけれど・・・・)、野菜はなんて美味しいのでしょう!♪

 小樽のガラスの器で頂くと、何もかも美味しいです。

 美しい食器は、食事をよりおいしく演出してくれます。小樽のガラスは綺麗ですねぇ~。

 

 

 

 

 

 

これらは、私が絵付けしたカップ類。手前は日本と外国が手を取り合って「文化の共存」をテーマに制作してみました。^^

 

 

それでは、またお会いしましょう・・・・

 

 

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ポルトガル小休止

2015-05-28 17:39:31 | 旅行

 

ポルトガルの食べ物について少々徒然してみます。^^

 

 

お水は、ヨーロッパ各国と同じでガス入りとガスなしのお水があります。ガス入りのお水が大好きなので、散策の途中のランチでスッキリとレモン入りを。黒のストローがヨーロッパという感じです。ガス入りのお水でワインを割って飲みたかったけれど、外のランチでは喉が渇いてつい飲み過ぎてしまうので、お水のみにしておきました。ランチでワインを飲むと、急にアンニュイ~な感覚で、しっかりと歩けなくなってしまうから・・・・

この後、日が暮れるまでリスボンの散策をして、更に深夜までファドを聞きながらリスボンの夜を過ごしたので、ランチで飲まなくて正解でした。^^

 

ツナサンドはとても美味しかったです。^^

 

 ポルトガルのコーヒーですが、ポルトガルの方はよくコーヒーを飲むようです。エスプレッソが一般的の様です。このコーヒーは、私達の感覚のエスプレッソではありません。しかし、コーヒーと注文すると、このサイズの「カフェジーニョ」がサービスされます。エスプレッソではあるのですが、私達が想像するエスプレッソより更に濃いコーヒーになります。小さなカップの半分にサービスされます。

私達のイメージするエスプレッソは、この次の濃度で、倍のお湯で割って在り同じような小さなカップの1杯分になります。「カフェシェイオ」となります。次に、この「カフェシェイオ」を倍のお湯で薄めたのが、「カリオカ」でやはり小さなカップに半分サービスされます。更に「カリオカ」を倍のお湯で薄めたのが、「カリオカシェイオ」で、日本で言うところのアメリカンコーヒーになるでしょうか。でも、サイズはやはりこの大きさ(小ささ)です。

大きいマグカップで珈琲を飲む人には、ポルトガルコーヒーでは少なすぎてストレスになってしまいますね?^^ この小さなアメリカン擬きはブラックのままになります。お砂糖はもらえますが、ミルクは付いていません。

 

それで、普通に日本で飲むようなサイズのミルク入りコーヒーを飲みたければ、「カフェコンレイト」を注文します。しかー し!!温度が・・・・・ ヌルイのです。中々思った通りのコーヒーが飲めなくてストレスになります。^^ 熱々をゆっくりとホンワカ~♪しながら楽しみたいのですが、ポルトガルの方はデザート(甘い甘い甘い)を食べ終わった後に、一気に「クィッ!」と飲むのが主流の様です。

更に、コーヒーとミルクを同量で割ったカフェオレは、「ガラト」と呼ばれガラスの器でサービスされます。ホットとアイスの両方があり、カップより量が多めです。

ポルトガルコーヒーについて長々と書きましたが、日本人がリスボンの観光客が多いカフェテリアで「カフェ」と注文すると私達の感覚で言うエスプレッソの「カフェシェイオ」が、サービスされます。

紅茶を注文すると、ポット入りで2杯分のサービスが主流です。^^ 

結局、普段日本で飲むようなコーヒーは、ホテルの室内で自分で淹れたコーヒーでした。ポットやインスタントコーヒーはお部屋にサービスされていますが、インスタントコーヒーは薄いです。日本から持参したコーヒーとお水(軟水)で淹れてストレス解消しました。^^

 

 オレンジジュースは、スペイン同様にとても美味しいです。しかし、絞りたてフレッシュジュースは、ワインやビールよりも高価です。ですが、とにかくサービスが遅いです。そして、冷たくなくてこれもヌルイです。

「熱い飲み物は熱く、冷たい飲み物は冷たく」という感性は、帰国後に楽しむことにしましょう。やはり、「郷に入れば郷に従う」という事で、常温の赤ワインを楽しむことにしましたぁ~♪

 写真がボケてしまいましたが、ポルトガルのお菓子と言えば、先に紹介した金平糖の元祖もありますが、「エッグタルト」は外せません。修道院で自給自足の生活の中から生まれたお菓子です。

 そうそう、「カステラ」や「(たまご)ボーロ」もポルトガル語がそのまま日本で使われていますね?

 さて、これはなんでしょう?リスボンの屋台で購入しました。

焼き栗ですが、白いのは塩を振ってありました。塩分と栗の甘さが美味しいのです。一袋€2でした。もう一袋くれて、殻を入れる様にとのことでした。パリでもローマでも、よく焼き栗を買って食べましたが、リスボンのが一番おいしかったです。粒も一番大きい~♪ Happy~♪

 

 ポルトガル料理は、(というかギリシアやスペインなども・・・)素材を生かしオリーブオイルと塩とガーリックでの味付けが基本です。ポルトガルの超超定番料理と言えば「バカリャウ」と呼ばれる塩蔵された干しタラの料理です。この写真では切れてしまっていますが、「バカリャウ・ア・ブラーシュ」と呼ばれる干しタラにジャガイモと玉ねぎ、卵を加えた炒め物です。

テーブルに着くと、バターやらパンがサービスされますが、中にはサワーオリーブやチーズなどもありますが、これは、日本で言うレストランの御冷のサービスなどとは違い、食べ放題払い放題です。不要であれば、断るか手つかずでテーブルに並べたままにしておきます。ですが、計算の段階でトロトロされるよりは、先に断った方がスムーズかもしれません。「緑のワイン」と呼ばれる白ワインを注文しましたが、只の白ワインだったような・・・・

これは、名物の豚と浅利の炒め物なのですが、浅利の縦縞が見当たりません。また、手を付けて食べ散らかした後ではありませんよぉ~。このような、盛り付け?でした。白ワインとガーリック、ハーブで炒めた郷土料理なのですが、多分、私が自宅で作った方が美味しい様な気がしました・・・・いえ、自分の口に合うだけなのだと思いますが・・・・

 

蛸のサラダを注文してみましたが、殆どが蛸でこれは「当たり!」でした。やはりオリーブオイルとガーリック、塩、胡椒の素朴な味付けでしたが美味しかった。素材が良いのです。私が作る蛸サラダは、野菜中心で薄切りのタコを載せたものですので、嬉しい誤算でした。^^ オビドスの可愛らしい街の誰もいないレストランで注文しました。中々、サービスされなくて待った甲斐があった1品でした。

 

 

 これも豚と浅利の炒め物ですが、ナザレの誰もいないレストランで注文したもので最高でした。

 同じく、イワシの塩焼きです。いやん。美味しい!!!通常1人前が4~6匹です。日本でもなじみの味なので美味しいです。白いご飯が欲しくなるところですが、パンやジャガイモにイワシの身を載せて味わうのがポルトガル風です。

 

何処の国へ行っても、必ず現地のスーパーに入り食材を購入してきます。勿論、日本に持ち込み可能なものになりますが。色々購入しましたが、イカ墨パスタが売っていたので迷わず購入してきました。イカ墨パスタは、食べるとお歯黒のようになり人前では頂くことは出来ませんが、最初からパスタにイカ墨が練り込まれているのは、初めて目にしました。これなら、スマートに頂けそうです。

 

 帰国後、早速「イカ墨のパスタ、レモンクリームを作ってみました♪海老もベーコンも入れたのですが、しっかりとパスタがイカのお味がしました。

そして・・・・ポルトガル超超定番のバカリャウ料理にも挑戦しようと思っていたら、帰国後の翌日に母から北海道産の干しタラが送られてきました。催促しようと思っていたら、素晴らしいタイミングで送られてきたのです。

 

 

 それに、たらこに鮭のトバ(燻製)、ホタテの貝柱の周囲の乾燥した物、そして、黒いのはイカのイカ墨燻製。日本酒とよく合うのですよ。こんなことを書くと、まるで呑平の私の様ですが。。。。このようなおつまみで日本酒は100ml迄です。目が回ってしまう。^^

 

 

ポルトガル料理の本によると・・・

バカリャウのレシピは365日分あり、先ずは、一昼夜かけ水を変えながら塩を抜いて使用する。この戻し具合による塩加減が味の決め手となる・・・・そうな。フムフム・・・・

 

はい、水でもどしてふっくら白身魚に戻ったところでマッシュポテトとみじん切りの玉ねぎを炒めたものにタラの身をほぐして加えて・・・・・

ここから先は、自分のレシピで小麦粉を付けて溶き卵を付けてパン粉を付けて、180度の油で揚げて、コロッケを作りましたぁ~^^

出来るだけ、魚の切り身の様な形を作って揚げてレモンとソースで頂きましたぁ~♪ 美味しかった♪happy♪

・・・・・・・・・・・・・で、しみじみポルトガルについて読んでみると、なんと!リスボンの有名店ではバカリャウ料理には北海道産の干しタラを使用って書いてあるではありませんか!肉厚で上質なのだそうな。

な~~んだ!そうでsky?!!

干しタラなど、ポルトガルの市場やスーパーで購入して持ち帰ることは出来ないので、北海道産を母から送ってもらい自分なりにアレンジして、ポルトガル料理にチャレンジ!と意気込んでいたら、本家本元がむしろ、北海道産を好んで使っていたとは・・・・

恐るべし日本の食材!!

 

未だ5月だというのに、真夏日が続いています。

あなたも私も誰でもが、体調管理をして健やかで楽しい毎日を過ごせます様に・・・・

それでは、またお会いしましょう。

 

 

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ポルトガル7

2015-05-20 00:35:06 | 旅行

 

 

ロカ岬を紹介したい。

 

ロカ岬は、言わずと知れたユーラシア大陸の最西端である。地球の中で一番巨大な大陸のユーラシアが大西洋に、その端を埋めている西の果てだ。

 

 

 北緯38度47分、西経9度30分に位置するロカ岬は、140メートルの断崖で私達を迎えてくれる。

写真では解りにくいが、不穏な一部の雲はあったが晴々した春の一日ではあるが、風が物凄く強く耳の傍でヒュウヒュウと風の唸りが聞こえる。ダウンジャケットを着ていないと寒い。

 この石碑には、ポルトガルの詩人モンスカイの詩が刻まれている。

 

「ここに地の果て、海始まる」と。。

 ユーラシア大陸の東端はベーリング海峡を挟んでアラスカ面してロシアのデジニョフ岬であるが、そちらは訪れたことはないが、ベーリング海峡を目の前にしたカムチャッカ半島には訪れた。そちらと何となく似ている。そして、北海道の襟裳岬や北海道で一番日の出がはやい根室の納沙布岬と同じような印象を受ける。

標高は高くないというのに、高山植物や野鳥が見られる。

 

や~~~地球は丸い!!大西洋が地球に張り付いているようでもあるが、風が強く海面が陽の光を受けながらも小刻みに波打っている。

 

ロカ岬はリスボンから西約40キロに位置する。最果てのこの岬は、ぐるりと360度見渡せる。

手すりは途中までしか付いていなくて、最端は「地の果て」であり、「海始まる」。

 

岩肌にところどころ茂る緑には、野生の花が咲き平地部には花々が一斉に咲いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 耳元で唸る風の中に佇み海を眺めていると、1分しか違わないのに霧が掛かったり晴れたりと天気の移り変わりを感じ、写真に写してみると良くわかる。

 

 

 少し風の弱いところでは、リュウゼツラン(だと思う)も見られたが、可愛そうに落書きで傷つけられていた。

あちらこちらに漢字の(日本語ではない)落書きが見られ、マナー違反に胸を痛めた。丁度見えない葉の裏側に沢山の落書きが見られた。

 赤と白の灯台が美しく、北海道の岬の様な印象を受ける。絵に描きたい光景だ。

灯台横は観光案内所と売店になっており、「最西端到達証明書」を発行して貰える。カード式の€5と写真が入り台紙付のA4程度のサイズのものもあり、そちらは€10である。

 土産店には、ポルトガル土産の他にこんな可愛らしいベビー用品も置いてあり、淡い色彩が可愛らしくて思わず1枚パチリ。こういうパステルカラーは大好き♪ 

 高山植物やら雑草やらが入り混じって開花していて見飽きない。

 

 叢にしゃがみこんでみていると、カタツムリが冬眠から目覚めたのか、沢山沢山、緑の茂みの中に見られる。

 

 

 

 

 ほんとうにカタツムリだらけで、こんなにカタツムリを一度に見たのは初めての経験。^^

 こういう光景の中にいると、冒険心溢れる海の男たちは、新大陸を目指したくなるのか?

高山ならば、目の前に立ちはだかる山に登り征服したいと、そして、海の始まる大陸の端では、冒険者を駆り立てるのは、新大陸の発見なのだろう・・・・・

 

 

 

 ロカ岬を後にして、コスタ・ド・ソルと呼ばれる太陽の海岸沿いにある小さなリゾート地カスカイスを紹介する。

 

 カスカイスは、古くからの漁師街であるがリスボンから日帰り観光でき、また19世紀に入り王室一家の避暑地となってからはおしゃれなリゾート地としても変化してきた。

 

 

 

 絵に描き起こしたい風景が沢山。

 カスカイスの郊外には岩場が多く、街中とは全く違う景観が広がる。

 

わずか2キロしか離れていない場所では、岩礁が見られ荒々しい光景が広がる。

 

 

大西洋の波が岩を削って出来た洞窟、「地獄の口」である。

 

30メートルの断崖に波が打ち付けられると、「地獄の口」が波を飲み込み、波しぶきが砕け散る。

大自然の力は凄い!

 

 

大西洋を見ていると、まるで吸い込まれるようだ。

 

 

 

 岩礁の先では釣りに興じている人々をチラホラ見かけた。何を釣っているのか暫く望遠で観察していると、蛸を釣り上げていた。蛸が目的なのかはわからないが、釣り上げた蛸が岩の上でクネクネ踊っていた。

 

 

 

 断崖の下の方、海水が掛からない位置まで緑と花が咲いていた。

 

 

 

 ロカ岬は同じ花の黄色が多かったが、少し南になるこちらはピンクの同種の花が咲き乱れていた。

青い空とさざ波と白い波しぶき、緑とピンクの花の競演にしばし見とれてしまった・・・・

 お店もポツンと一つと向かいに小さなレストランだけ・・・・

 

 

次回以降は、いよいよポルトガル最大のリスボンを紹介したい・・・・

 

その前に、ワルシャワの紹介をまだしていなかった・・・

 

 

 

5月も後半戦、頑張りましょう。

あなたも私もだれでもが、素敵な5月の後半を過ごせます様に・・・・

それでは、またお会いしましょう。

 

 

 

 

 

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ポルトガル6

2015-05-15 16:47:22 | 旅行

 

 

 ポルトガル訪問の際、ナザレやこの後に紹介するオビドスを行程に組み込んだならば、両方の街の間にあるので、必ずやカルダス・ダ・ライーニャにも足を運ぶだろう。

人口2万人ほどの町で、朝市を散策した。

 

 人通りもそう多くはなく、これから街は活動を開始する目覚めたばかりの清々しい朝だった。

レプリカ広場に設けられた朝市は、ポルタ・ダ。ヴィラと呼ばれこの町の台所である。

 清々しさの中、それでも、西南欧の日差しは、朝から濃い影を作っていた。

 緩やかな坂道に街か作られている。

 

 カルダス・ダ・ライーニャは、「王妃の湯治場」と呼ばれるが、ここにジョアン2世の王妃レオノールが建設した鉱泉病院がある。

 

 硫黄の香りが立ち込めて、日本の温泉と同じでも建築物が違う。王妃は、旅の途中でこの町に立ち寄ると硫黄の香りがする湯に農民たちが使っているのを見かけた。農民の話では、リウマチに効果があるということで、王妃自らも試してみた。すると、早速効果が表れて温泉を気に入った王妃は、1485年にこの鉱泉病院を建設した。

 

 朝市は、この町特産の陶器が有名だが、果物やお花に目が行った。

 

 

 苺は1キロ€2.5で、一粒が大きくて食べごたえがあり思い切りヴィタミンCを補給した。春だというのに日差しが強く日焼けが心配!

ナッツ類も種類が豊富。

カルダス・ダ・タイーニャを直ぐに後にして、早々にオビドスに向かった。

 

 

 

 

次にオビドスの町を紹介したい。

オビドスは、山間にあり葡萄畑と城壁に囲まれた小さな人口800人程の可愛らしい街である。

紀元前300年頃、ケルト人により町が作られ始めた。1288年にディニス王と王妃イザベルが新婚旅行でこの町を訪れで、王が王妃にこの町を贈り彼女の直轄地とした。

城壁の切れ間から覗いてみる。

以降1833年までジョアン2世のオノール王妃など代々引き継がれて王妃の町となり、その美しさから「谷間の真珠」と呼ばれるようになった。

 

城壁の岩の間には、綺麗な野草の花花が力強く咲いていた。

野生の菫の紫は綺麗。

これはディレタイ通りと呼ばれるオルビスのメインストリートで、あっという間に歩けてしまう。

 

ディレタイ通りの両側には、こじんまりとした素敵なお店が軒を連ねる。

 

ポルトガル特産のコルク製品も、街の大きさに比例してデザイン化されているようで、オルビスでは素朴な物が目についた。

 豚の貯金箱って世界中どこにでもあるのですね?色彩が華やかで日本では見かけないような色ばかり。

 

 メインストリートから脇道に入ると、とても静かで狭い路地が迷路の様。

 

 小さな日常の食べ物と雑貨と書店が一体のコンビニ?!

 

 

 

 

 「ガロ」と呼ばれる鶏製品はポルトガルのどこの町でも土産として売られていて、サイズ1から10まである。

 

 

街の中では、ジンジーニャと呼ばれるオビドス特産の銘酒がある。これは、さくらんぼの一種から作られるリキュールである。チョコで作られた小さなカップに入れらて€1で売られている。

 

クイッ!と飲んだ後は、チョコのカップを食べて「甘くて強い」お酒を楽しむのが鉄則!

 

 

街中には、社会見学中の小学生が勉強に来ていたようである。

 

街中のどこかしこでも彼等を見かけて、可愛かった♪

ここは、サンタ・マリア教会。元来は西ゴート族の教会であったが、後に幾度も再建されている。1444年にわずか10歳のアルフォンソ5世と、同じくわずか8歳の従兄妹のイザベラと結婚した教会である。

 

そのサンタ・マリア聖堂の広場前には、ベロウニーニョと呼ばれる刑罰用に使用された柱がある。街の可愛らしさについ、見逃してしまうが、処刑や刑罰に使われた広場など世界中で見られるが、人の犯す罪というのは、国も時代もも越えて同じなのだろう。

そして、変わるのが罪の償い方法と法と司法機関だ。私自身は「美学」にとても興味があるが、「美」とは人の生き様で表現されるが、人が集まれば「法」が必要になり、世界の(大げさ!)「法学」にもとても興味がある。そして、何の為に法が存在するのか?などなど・・・・

統治とは何か?コンプレックスを持った男が権力を持つとどういう世界が構築されるのかなど、このところ思うことが在り、徒然をすると限がなくなる程書いてしまうので割愛する。

 

一生懸命に地図と教科書?を見ながら勉強している小学生がいますよ。

マゼランだとかエンリケ航海王子だとか、ジパングを求めて荒海に繰り出した時代のポルトガル人の時代とは打って変わって、現在はヨーロッパの中でもノンビリした国民性を感じるのがポルトガルである。

 

 

 メインストリートでさえ、体格の良い人が数人歩くともう一杯一杯。突き当りにあるのは、サン・ディアゴ教会。

 

 教会内部は、図書館として使用されている様である。

 

 

 

 

 サン・ディアゴ教会を出ると、登ってきたメインストリートと街並みが見下ろせた。

 

 城壁は手すりなどなく、怖いので数段登って引き上げた。

 

小さなメインストリートを離れて脇道に入ると、もっと小さな道と民家があり人々の生活の息吹を発見できる。

カラーの花は、日本では花嫁さんのブーケなどに使用される高級花であるが、ここでは民家の庭先に咲いており、より素朴な美しさに高貴ささえ感じる。

 

 

 

民家の壁や屋根瓦の隙間にもお花が・・・・

 

 

 

裏通りで小さな教会を見つけたので入って祈って来た。ミゼリ・コルディア教会。誰も人がいなかった。静寂の中で佇むと、あらゆる思いが込み上げてくる。「少女老いやすく学成り難し・・・」そして、今、自分がこの小さな教会に来て祈ることが出来ていることへの周囲への感謝の気持ち。

世界で起きている様々な事。 私は何処へ行き何をしようとしてるのか・・・??等々・・・・

 

 

 

 

次回は、ユーラシア大陸の西端ロカ岬を紹介したい。

 

 

それでは、またお会いしましょう・・・・^^

 

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ポルトガル5

2015-05-01 22:45:00 | 旅行

 大西洋に面したナザレの街を紹介する。

ナザレと聞くと、真っ先にイエスキリストが幼少期に過ごしたナザレの海岸を思い浮かべる人が多いだろう。新約聖書にキリスト自身が「ナザレ人」と表現されている。しかし、そのナザレの海岸はイスラエルのナザレである。

 

しかし、ポルトガルのこのナザレもキリストに無縁でもない。8世紀に西ゴート王のドリゴがロマノという名の僧を共にこの地にやってきたときに、ロマノが持参してきたマリア像がパレスチナ(現イスラエル)のナザレの物だった故、この地もナザレと呼ばれるようになったという言い伝えがある。また、資料によると、4世紀にイスラエルから、一人の聖職者がマリア像をこの地に持が持ち込んだとも。

ナザレに到着したのは夕刻6時頃で、ホテルに荷物を置いてすぐに海岸に出てみた。正確な日没時間など知る由もなかったが、それでも大西洋を目の前にしているとやがては、西の水平線に沈む太陽を見ることは予想できた。それが、こんなにもダイナミックに美しく目の前で迫りながらも沈みつつ太陽を鑑賞できた事は、神に感謝したい。静かで、激しい時間を堪能した。

 

 ただし、この海岸も夏には世界中から観光客がやって来るリゾート地となる。

 南国の観光地の海岸では味わう事の出来ない、荒々しい海に沈む太陽の赤さは、立ち上げる波しぶきのフィルターが掛かり、真っ赤というよりはセピア色からパープルのグラデーションが掛かり、波に打ち付けられている断崖絶壁の灯台の明りが趣と、日本からの距離を感じさせられた。

西日と飛沫のヂュエットをしばらく鑑賞した後、ぶらりと入った誰も客のいないレストランで海の幸に舌鼓を打った後、更にどれ程の時間、暗い海岸にたたずんでいただろうか?沢山考え事をしたい私には、抗う事のできない雄大な大自然を前にすると、応えを感じ答えが貰えるのだ。

ナザレの更け行く時間は、思い出深い旅の一日となった。

 

 

 

 翌朝、昨晩海岸から見上げた断崖の上を訪れ、反対に海岸を見下ろした。ここは、ミゼリコルディア展望台だ。波が描く曲線の美しい事よ!この砂に描かれた自然が作り出した曲線美は、この後に訪れるリスボンの街中で、地面のタイル模様として何度もお目に掛かる事になった。

 「過去を持つ愛情」は、1954年のフランス映画であるが、その主題歌「暗いはしけ」でナザレの海岸が歌われており日本でもなじみの港町になった。砂浜に何もない美しさは、この時期ならではだろう。夏なら、テントやパラソルが並び海水浴をする観光客で一杯の様子を見下ろすだろうが、静かな朝だ。

 

 

 

ここは、ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会である。僧ロマノは、持ち込んだマリア像を亡くなる間際に崖の洞窟に隠したが、それを羊飼いが468年後に見つけ出した。そこで奇跡が起こったために巡礼者が訪れる様になり、1377年に教会がたてられた。

バスコ・ダ・ガマもインド航海の前後に訪れている。このバロック様式の建物は17世紀に建てられたもので、ナザレの守護聖人たちが祀られている。

 内部の壁は、アズレージョで旧約聖書を題材とした物語が描かれている。個人的にはステンドグラスで描かれているよりは、理解しやすい。

 

白いレースのペチコートをのぞかせ何枚もの重ねてミニスカートを履いているのは、中学生ではなくて屋台の豆売りの御婆さんだ。正直な所、後ろ姿と前から見た姿のギャップにギョっとするが、可愛らしい。

これは、ナザレの女性の伝統的な衣装で、7枚スカートを重ねその上には、刺繍入りのエプロンを掛けたり、ショールで身を包む。この二人の女性は、恋人か夫がいる女性。未亡人は黒づくめの衣装になる。黄色はピンクの上着にカラフルなハイソックスでは、幸せな女性だろうか?^^ 隣に座っている男性がご主人だとすると、二人は別々の事を考えているのか?腕を組むのは拒絶のゼスチャーになるが、この日は寒かった訳ではない。^^

土産店も、先の豆売りの屋台が一つと簡素なお店が1軒だけ。フィッシャーマンズセーターやショールなどの手作りの毛糸製品の店だった。

 漁師町の風情タップリの素朴なリゾート地だった。

 昨夜の日没の後の荒々しい海とは違い、空の色を映し出した穏やかで青い海が眩しく、木々も春を感じさせてくれた。

木の下では、小さな雑草の花が可愛らしかった。産毛がとっても可愛い。身長4㎝の花に「おはよう」の挨拶をすると、花首をこちらに向けてポルトガル語であいさつを返してくれた・・・・^^

 

 

 

それでは、またお逢いしましょう・・・・・^^

Good night!

 

https://www.youtube.com/watch?v=bKmCib5YsYo

 

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ポルトガル4

2015-04-22 23:22:46 | 旅行

 

ポルトガル第3の都市であるコインブラを紹介したい。

 

 

 リスボンが政治・経済、ポルトが商業の中心地ならば、コインブラはポルトガル文化の中心となる。ポルトガル屈指のコインブラ大学を中心に発展してきたからである。

 

 こじんまりとした街中は、ポルトガルの各都市がそうであるように、坂道が多い。少しでも平ら?な場所にはオープンカフェが開かれている。若さと活気あふれる学生の街であると同時に、中世の建築物が残る旧市街は、歴史を感じさせられる。

 

 

 コインブラは、約300年にわたるイスラム・アラブ文化に支配された後の1143年のポルトガル建国時には、首都となり1255年までブルゴーニュ王朝の中心地として栄えた。その後は、コインブラ大学を中心に学生の街とした栄えた。

 

 

 

 旧市街の商店街には、ユニークな店が目についた。ジーンズショップのディスプレイに思わず大笑みが零れた。

 

街全体がこんじんまりしているので、細い路地が多く、また坂道でもあるのでこんな土産店も見受けられる。

アズレージョの様々なアレンジを見るのは飽きない。自分で焼く時のデザインの勉強になる。

 

にわとりは、「ガロ」と呼ばれポルトガルのシンボル的存在で色々な土産が売られている。置物が多いがアズレージョや手芸品のモチーフとして多い。

 

 

これは、「コンフェイト・コン・ポコシェ」。砂糖がイボ状に結晶化したポルトガルの伝統菓子で、日本の「金平糖」の原型である。日本のように薄い色ではなくて、赤、黄、青、緑などの結構どぎつい色が多く、これはその中でも色が薄い方。

 

 

 

 

 

 

ここは、「旧カテドラル」。1162年にアフォンソ・エンリケスにより建てられた。ロマネスク様式の教会だが、内部の回廊はポルトガルでは最古のゴシック様式で13世紀に建てられた。

ロマネスクの特徴は、壁で天井を支えているので壁が厚く、よって窓が小さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方ゴシックは、壁が薄くなり開口部が大きい。その結果、ステンドグラスなどを入れることが出来る。

 人が全くいなくて、教会の人が色々と説明してくれた。

 

 こちら側が正面入口になる。

 

 

 

 

ここは、「コインブラ大学」。「無常の門」と呼ばれる鉄の門をくぐると中庭に出る。

ポルトガル最古の大学であるが、当初は1290年にディニス王によりリスボンに設立され、後のこの地に移設された。時計塔は18世紀に建てられたもので大学のシンボルとなっている。学生たちは「カブラ(山羊)と呼ぶ。

学位授与式場となる「帽子の間」があるグランホール入口。この階段を一歩昇るとラテン語しか口にしてはならないという掟があるらしい。因って、階段に上がるのは遠慮してきた。(苦笑) と言っても、ラテン語が義務付けれれたいたのは嘗ての話で、この階段は、「ラテン回廊」と呼ばれる。

 

 

 リスボンとコインブラを行ったり来たりしながら、1537年に正式にコインブラに大学が落ち着いた。ヨーロッパでもパリ、ボローニャ、サラマンカとならぶ古い大学である。1911年にリスボン大学が創設されるまで、ポルトガル国内一の学術の中心地だった。

 

因みにパリ大学のソルボンヌは、カルチェラタンにあり、「ラテン語を話す人の街」という意味である。

 学生は黒いマントに身を包み、その裾に切れ目が出来るほど女性にモテたそうな。この二人の黒マントは女性。^^男性の黒マントが見当たらなかった。^^ 学食のあたりをウロウロしてみると、男子学生は、皆ハンサムだった。^^

ポルトガル滞在中で唯一、コインブラだけが雨だった・・・・

 

 

それでは、またお会いしましょう・・・・

 

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ポーランド3

2015-04-14 19:59:35 | 旅行

 

カトリックの巡礼地は、エルサレム、ローマ、サンディアゴ・デ・コンポステーラが3大聖地であるが、ポーランド人にとっては、チェンストホーバが巡礼の地となる。

 

ポーランド南部にある、チェンストホーバは、電車でワルシャワから3時間、第2の都市クラクフからは3時間半程度の距離である。

 

このヤスナ・グラ修道院が、ポーランド人にとっての心の故郷である。ヤスナ・グラとは、ポーランド語で「澄んだ丘」を意味する。1382年、ハンガリーから来たカトリック司教団により建設された。

 

「ヤスナ・グラの聖母」と言われるイコンは、寺院の最も貴重な宝であり奇跡を齎す。奇跡の「黒マドンナ」である。

 

1655年、ポーランドは大洪水時代でスェーデンにより侵略された。周囲が次々と陥落する中、ヤスナ・グラ修道院は包囲されたにもかかわらず奇跡的に残った。これは、聖母のイコンが奇跡を起こしたと言われている。

実際の写真では「黒マドンナ」が解り難いので、現地で購入してきた絵葉書の写真をアップする。

聖母マリアの顔が黒いのは、修道院に火がつけられた際の煤で黒くなったと言われている。

 

8月15日の聖母マリア昇天の日には、ポーランド全土は下より世界各地から信者が巡礼にやって来る。

聖母イコンの奇跡の翌1656年4月1日、当時のポーランド国王はリヴィヴ(現ウクライナ西部の都市)で、聖母マリアの庇護の下に国を捧げる事を宣言した。

 

 

 

 

 

 

次に紹介するのは、ワルシャワから西に55キロのジェラゾヴァ・ヴォラである。音楽大好き、ピアノ大好きの人なら誰でも憧れるショパンの生誕地である。

 

 

ショパンの生家とされているが、当時の建物は消失してしまい外装、内装や家具が当時のままに復元されている。

 

ショパンが幼少時代に歩いたであろう、見たであろう光景の中に暫く佇んでみた。

 

ショパンの生家で、「夜想曲」の楽譜を購入してきた。折れたりしないように大事にスーツケースの底に敷いてきた。

 何十年前?の楽譜。何度も何度もこの古い楽譜を開き、セロテープで修理をしても、その糊も退化してしまった。テープの跡だけが残った楽譜だけど、捨てられなくて書棚の中に納まっている。

仕事で海外に出る様になる前、初めての海外旅行をポーランドをはじめとする東欧諸国の旅を計画したが、直前で渡航できなくなりキャンセル料を支払ったことがあった。そのころから比べると、少しは音に艶を出せる様になっただろうか・・・・?

殆ど進歩のない自分を顧みた、寒い一日だった。

 

 

それでは、またお会いしましょう・・・・^^

 

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ポルトガル3

2015-04-04 22:08:57 | 旅行

 ポルトガル発祥の地で、リスボンに継ぐ第2の都市ポルトを紹介する。

ポルトは、首都のリスボンより北約300キロに位置する。ドロワ川の河口に位置する坂の多い街である。日本で言うと、リスボンが東京ならばポルトは大阪と言った位置づけになるだろうか?

ドロワ川は「黄金」を意味する。

 1415年、エンリケ航海王子率いるポルトガル船が、北アフリカのセウタを征服する。それが、他のヨーロッパ諸国に先駆ける大航海時代の幕開けとなった。

 

 あ~美しい。

 ドロワ川には、4つの大橋が掛かっているが、最も美しいのが「ドン・ルイス1世橋」である。パリのエッフェル塔の設計者の弟子の高架橋技師により、1886年に建設された。

 二重構造橋で、高さ174メートル、長さ395メートル。丁度、上部に黄色いメトロが走り抜けようとしていた。両脇は歩道になっているが、コンクリート固めではなく、足の下が見えるので怖い!下部は、車と歩道があり、坂の街なので二重構造は便利。鉄の構造の美しい事、美しい事。

 

ここは、サン・フランシスコ教会。14世紀に建造された修道会付属の教会でゴシック様式。17世紀にバロック様式に改築された。ドロワ川に向かってみると、かもめの凄い大群。

 

 

 

 ここは、1900年建設のサン・ベントン駅でポルトの中心駅である。

 駅舎の中は、アズレージョが美しい。

 構内のアズレージョは、1930年に制作された。テーマは、ジョアン1世のポルト入場やエンリケ航海王子のセウタ征服が描かれている。

 

 

坂の多さは、リスボンに劣らない。爽やかで気持ちが良い春の一日だった。

ここは、リベルダーテ広場で大通公園。ポルトの中心となる広場で、周囲には官公庁が立ち並ぶ。

 リベルターテ広場の先には市庁舎。

 

 

美しいカフェも点在するが、坂道のオープンカフェでは少々落ち着かないかも。

 グレリコス教会。18世紀に建造されたバロック式教会で、尖塔は76メートルでポルトガル一の高さである。

 

 坂道なので、どうにも写真が撮りにくい。

 アズレージョの壁面が美しい。

 

ここは、「世界一美しい書店」。レリョ書店。世界一という事らしいが、イギリスのガーディアン紙が選定する「世界の素敵な書店第3位」らしい。素敵度は3位でも美しさでは、世界1位??

 欧文文字の色々な形態を読めないと、思わず通り過ぎてしまうかも。独立した建造物ではなく、坂を上る途中にあるので、坂道は上(下)をみるのではなく、横を確認しながら登る(下る)ようにということかな?

 

 

 

 

 

2階の踊り場では、コーヒーを飲みながら立ち読み?座り読みしている人を見かけた。

 

こんな書店に居たら飽きない。欲しいものが山ほど!

各国の「星の王子様」を持っているので、ポルトガル語のものも購入しようか迷ったが、既に数冊の書籍を経由地で購入してしまったので、スーツケースの重量を考えて断念した。

 

 

ポルトガルと言えば、ポートワイン。ポルトガルは、ローマ帝国衰退後の8世紀には、ゴート時代を経た後イスラム支配下となる。997年に、フランス貴族のアンリ公がイスラム教徒から国土回復を行ったが、彼はその報酬としてドロワ川とその北側のミーニョ川に挟まれた地域を与えられ、ポルトカリヤ伯爵と呼ばれた。後に国名となったポルトガルの起源になる。そして彼は、フランスからポルトガルに葡萄の苗を持ち込んだ。

現在この地区には30以上のポートワインのワイナリーがある。サンデマンは、日本でも目にする。1790年にスコットランド人により創設された。

ポートワインは、酒精強化のワインの一種で、糖分が残っている発酵途中にブランデーを加えて酵母の働きを止める。3大酒精強化ワインは、ポート、マデイラ、シェリー。甘いから美味しいので、私はソーダ―で割って楽しむ。

 

 

 

ところで・・・・

ヨーロッパでは、「今夜はシェリーが飲みたいわぁ~♪」と女性が男性に言うと、「今夜はあなたの意のままよ」という意味になる。それ故、そんなこと、他意が無く本当にシェリーが飲みたい・・・そう思っても言えな~~い。^^

日本男性が、女性にシェリーが飲みたいと言われ、彼女に御馳走したのに機嫌が悪くなって帰ってしまい、女性の望みを叶えたのに何故、機嫌悪くなるのか理解できない・・・などという事が、無きにしも非ずかな?^^

シェリーは好きなのですが、そのお話はあくまでもヨーロッパでという事で・・・・^^

きゃきゃ。

 

 

 

今夜は月食ですね?雲で見えないですが、神秘的な夜です。

それでは、またお会いしましょう・・・・^^

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