宅録ミュージシャン雑記「月の裏表・総集編」~trifling beetleブログ~

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が書き倒してきた怒涛のブログのバックアップ(笑)

空気

2012-09-05 14:13:29 | 日記




空気を意識することが常日頃あるのか?
そう問いかけられたら「あまりない」とか「殆どない」と答える人が多いのではなかろうか。
呼吸についても然り。
そんなもの、普段、意識なんかしていない。
ごく当然のことだからだ。

しかし、それが普通でなくなったときには過剰なほど意識する。
しなくてはいられない。
ごく普通に、当たり前のように存在しているものを、あえて意識するということは、とどのつまりはそういうことなのだろう。

空気や空気感というものは、実は身の回りにいくらでも存在している。
常時意識することがないだけのことだ。
澱んでいる、くすんでいる、澄んでいる、停滞している、流暢に流れている..空気は、そこにあるものすべての放つオーラの集合体だ。

それを意識し始めるときというのは、うまくその空気、集合体になじめていなかったり、とめどない違和感を感じたり、息苦しかったり、そういう時なのではなかろうか。

あるブログを見た。4年前の秋のことである。
そこに集う人たちは、ありえないほど醜悪、かつ残虐に、一人の人間をインターネット上でリンチにかけていた。
イロイロなネタを文面に散りばめるが、どれもこれも、胡散臭い事柄であり、かつ生々しい。
そして、えげつない。
普段言葉に出せない言葉、事柄を、匿名性と言うものを後ろ盾にし、糾弾と言う免罪符を肩に掛けて、安全が確認された位置から、安全の保障も皆無な鉾先に向かって、威勢良く張り切って、すがすがしく、ゲロを吐きかける。
そこに倫理観や人権という事柄はまったく存在しない。
あるものはただ、臆面もなく曝け出された、生身の出来損ないの存在である「ヒト」の本来的に持つ醜さのみ。
家に帰ると裸族になる..あれと同列な快感だ。

常軌を著しく逸すれば、するほど、なおさら良い。
快感だ。

そういうサイトから漂う空気感に、瞬時に神経を汚染されてしまい、烈しく嘔吐した。

ああいう文章は、人間であることを置き忘れたものたちにしか、書けない代物だと感じる。
そのブログ全体から漂う空気感とは、簡単に言えば異常、異様、どす黒いもの。
行間をたっぷりと空けた、スカスカの文章の集合体から漂う空気は、そこに集う人間の持つ「負のオーラ」を、これでもかと詰め込んだ「生ゴミ袋」のように感じた。

空気感というものは、人間の本性というものを、本当に正直に投影するものだと、逆にこちらが学ばせてもらった次第でもある。

大多数の人間は、他人や社会からの賞賛を浴びたい欲求が、ごく自然にあろうかと思う。
良いことや大変なことをして賞賛を得るのは、やはり難しくめんどくさいことだ。
手間もヒマも、努力も、時間も、エネルギーも、その他たくさんの手順や段取りが必要になるからだ。
一番簡単で、手間のかからない方法とは何か。

他人を誹謗中傷したり、糾弾したり、正義の味方になりきって人を裁いたりすることだ。
それも集団でそれをすると、なおさら簡単である。
多ければ多いほど良い。糾弾の先頭に立つ人間は、ある意味、大変だと思う。
しかし、それに追随する人間は、この上なく楽だ。
自分の思想、哲学、理念など皆無でもいいからである。

こうやって日頃のストレスを発散することも可能だ。
しかも、普段良いとされる行いをやりながらでも、これは充分に可能でもある。
一石二鳥だ。
そして、賞賛を獲得することさえも、いともたやすいときている。
一石三鳥だ。
これは快感になって当たり前なのかもしれない。

ただ、こういうことを恥じることもなくやっている人は根本的なことを忘れていると思う。
自分たちには、そもそも裁く権利など存在しないということを、だ。
それは一番肝心なことであるにもかかわらず。
まことに、愚かである、としかいいようがない。

こういう空気には、極力毒されないように、最善の注意をはかりたいものである。





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