「季節柄の歌」というものがある。
いわゆる「定番ソング」とかいうやつ。
例えば夏だと「サザン」だとか、「チューブ」だとか。
さしずめ冬なら「ユーミン」とか。
今はそういうボーダーがほとんど無きに等しくなってきている気がするが、もっとも、それがあってどうというものでもないのだが..。
昔は自分の中で秋といえばオフコース、夏がサザンで、冬はユーミン。
という頃もあった。
1980年代始めの頃か。
その曲が聞こえはじめると、また新譜のプロモーションが始まると、なんとなく季節の移り変わりを感じていた。
「耳」経由「心」行き..という感じ。
ところで、この30年間以上、この時期になると決まって、巷にすごいペースで流れる曲がある。
それを聞くと、ふと、30年以上前の頃のことなんかを、ごく断片的に回想することなんかもある。
少し切なく、そしてなんとなく居心地の悪い感覚を伴ってだ。
懐かしむ反面、どこかで諦めやカッコ悪さ、後ろめたさを感じているためだろうか。
時間というものは不可逆性なもの..そういう現実に見事に跳ね返される自分が、ここにもまた存在している。
ジョンとヨーコが最後にオリジナルアルバムを発表したのが1980年。
その年の暮れ、つまり発表してまもなく、ジョンは旅立った。
最新シングルの「スターティング・オーバー」がラジオからガンガンとかかっていた最中の悲報である。
その後「ウーマン」という曲がシングルカットされた。
この曲のPVは、ある意味1980年代の始まりを、示唆的に象徴しているような気がする。
1980年代というものは、こういう時代だったみたく。
この二曲に「ハッピー・クリスマス」を合わせた3曲は、この時期、ものすごいヘビーローテーション状態で、ありとあらゆるスピーカーから溢れ出すように流れ始める。
それをふと耳にした時、今年の終わりを強く感じる。
自分にとって年の終わりとは、何かの始まりの萌芽と同義なのだ。
何かの節目と同義でもある。
重要な転機に、ジョンとヨーコが必ず絡んでいる人生。
幸せに思う。
誇りにも思う。
ところで、ジョンとヨーコがとても好きだ。
それは自分の人生の中において、珍しく、今でも全く色あせないもの。
この二人がいなかったなら、この二人が曲を作ってなかったなら、この二人がBEATLESに関係してなかったなら、この二人が出会わなかったなら、この二人が反戦平和を語らなかったなら..色々なifに付随させて、自分の成り立ちを再確認する。
他人は複雑怪奇と解釈するようだが、自分ではとても単純明快なものである。
そう、単純極まりないものなのだ。
ある意味、ジョンとヨーコの受け売りをタネにして、今までのんべんだらりと生きてきているのかもしれない。
しかし、根源的に考えて、ジョンとヨーコがいなかったならば、僕は僕でなかったと思う。
いや、僕は存在していたのだろうか。
もっと早くに存在を消していたのかもしれない。
それくらい、節々でジョンとヨーコはかけがえのないパワーを僕に与えてくれたのだ。
12月が一番好きな理由はここにある。
それはこの先、永遠不変なのだろう。
ジョンとヨーコが僕に与えてくれた様々な恵みは、この先も脈々と受け継がれてゆくことであろう。
『滴』 今井美樹 (Chorus:川江美奈子) - YouTube