2月26日に見かけたfacebookの投稿は、私たち日本人の
洗脳状態を解く「愛のバクダン」でした。
日本製の「愛のバクダン」は、もうすでに炸裂していて、
もうすでにずっと効力を発していたのです。
インターネットは、本当にすごいツールだと思います。
心温まる話題や、隠されていた真実を、探すことによって、
いとも簡単に見つけることができ、多くの人々に
一瞬にして伝えることもできるるのです。
もちろん、使い方によっては、毒にもなりますし、誰かを
傷つけてしまうこともあるでしょう。
何が「愛のバクダン」なのかは、この記事のタイトルに
書いたとおり「憲法9条」ですけれど、「日本製」と
いうのに?!を感じる方もいるでしょう。
詳しくは、下記にシェアする別ブログの記事をお読みください。
【転載開始】
憲法9条は、日本製「愛のバクダン」
二二六事件から、80年の今日、世界の新しい次元への
シフトが目に見えるようになってきた、ということを
実感できる記事を見つけました。
(太字は、私が重要と思う部分に入れました)
【転載開始】
幣原先生から聴取した戦争放棄条項等
の生まれた事情について
(この資料は国会図書館内にある憲法調査会資料(西沢哲四郎旧蔵)と題されたものを私(今川)が川西市立図書館を通じて国会図書館にコピーを依頼して手に入れ、さらにそのコピーをワードに移し替えたものである。原文は縦書きであるが、ホームページビルダーの性質上、横書きで書いている)
昭和三十九年二月
幣原先生から聴取した戦争放棄条項等
の生まれた事情について
ー 平 野 三 郎 氏 記―
憲法調査会事務局
は し が き
この資料は、元衆議院議員平野三郎氏が、故幣原喜重郎氏から聴取した、戦争放棄条項等の生まれた事情を記したものを、当調査会事務局において印刷に付したものである。
なお、この資料は、第一部・第二部に分かれているが、第一部・第二部それぞれの性格については、平野氏の付されたまえがきを参照されたい。
昭和三十九年二月
憲法調査会事務局
第一部
私が幣原先生から憲法についてのお話を伺ったのは、昭和二十六年二月下旬のことである。同年三月十日、先生が急逝される旬日ほど前のことであった。場所は世田谷区岡本町の幣原邸であり、時間は二時間ぐらいであった。
側近にあった私は、常に謦咳にふれる機会はあったが、まとまったお話を承ったのは当日だけであり、当日は、私が戦争放棄条項や天皇の地位について日頃疑問に思っていた点を中心にお尋ねし、これについて幣原先生にお答え願ったのである。その内容については、その後まもなくメモを作成したのであるが、以下はそのメモのうち、これらの条項の生まれた事情に関する部分を整理したものである。
なお、当日の幣原先生のお話の内容については、このメモにもあるように口外しないようにいわれたのであるが、昨今の憲法制定の経緯に関する論議の状況にかんがみてあえて公にすることにしたのである。
問 かねがね先生にお尋ねしたいと思っていましたが、幸い今日はお閑のようですから是非うけたまわりたいと存じます。実は憲法のことですが、私には第九条の意味がよく分りません。あれは現在占領下の暫定的な規定ですか、それなら了解できますが、そうすると何れ独立の暁には当然憲法の再改正をすることになる訳ですか。
答 いや、そうではない。あれは一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論というようなものだ。
問 そうしますと一体どういうことになるのですか。軍隊のない丸裸のところへ敵が攻めてきたら、どうする訳なのですか。
答 それは死中に活だよ。一口に言えばそういうことになる。
問 死中に活といいますと・・・・・。
答 たしかに今までの常識ではこれはおかしいことだ。しかし原子爆弾というものができた以上、世界の事情は根本的に変わって終ったと僕は思う。何故ならこの兵器は今後更に幾十倍幾百倍と発達するだろうからだ。恐らく次の戦争は短時間のうちに交戦国の大小都市が悉く灰燼に帰して終うことになるだろう。そうなれば世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる。
問 しかし日本だけがやめても仕様がないのではありませんか。
答 そうだ。世界中がやめなければ,ほんとうの平和は実現できない。しかし実際問題として世界中が武器を持たないという真空状態を考えることはできない。
答 それについては僕の考えを少し話さなければならないが、僕は世界は結局一つにならなければならないと思う。つまり世界政府だ。世界政府と言っても、凡ての国がその主権を捨てて一つの政府の傘下に集まるというようなことは空想だろう。だが何らかの形における世界の連合方式というものが絶対に必要になる。何故なら、世界政府とまでは行かなくとも、少なくも各国の交戦権を制限し得る集中した武力がなければ世界の平和は保たれないからである。凡そ人間と人間、国家と国家の間の紛争は最後は腕づくで解決する外はないのだから、どうしても武力は必要である。しかしその武力は一個に統一されなければならない。二個以上の武力が存在し、その間に争いが発生する場合、一応は平和的交渉が行われるが、交渉の背後に武力が控えている以上、結局は武力が行使されるか、少なくとも武力が威嚇手段として行使される。したがって勝利を得んがためには、武力を強化しなければならなくなり、かくて二個以上の武力間には無限の軍拡競争が展開され遂に武力衝突を引き起こす。すなわち戦争をなくするための基本的条件は武力の統一であって、例えばある協定の下で軍縮が達成され、その協定を有効ならしむるために必要な国々か進んで且つ誠意をもってそれに参加している状態、この条件の下で各国の軍備が国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、国際的に管理された武力が存在し、それに反対して結束するかもしれない如何なる武力の組み合わせよりも強力である、というような世界である。
そういう世界は歴史上存在している。ローマ帝国などがそうであったが、何より記録的な世界政府を作ったものは日本である。徳川家康が開いた三百年の単一政府がそれである。この例は世界を維持する唯一の手段が武力の統一であることを示している。
要するに世界平和を可能にする姿は、何らかの国際機関がやがて世界同盟とでも言うべきものに発展しその同盟が国際的に統一された武力を所有して世界警察としての行為を行うほかはない。このことは理論的に昔から分かっていたことであるが、今まではやれなかった。しかし原子爆弾というものが出現した以上、いよいよこの理論を現実に移す秋が来たと僕は信じた訳だ。
問 それは誠に結構な理想ですが、そのような大問題は大国同志が国際的に話し合って決めることで、日本のような敗戦国がそんな偉そうなことを言ってみたところでどうにもならぬのではないですか。
答 そこだよ、君。負けた国が負けたからそういうことを言うと人は言うだろう。君の言うとおり正にそうだ。しかし負けた日本だからこそできることなのだ。おそらく世界には大戦争はもうあるまい。もちろん、戦争の危機は今後むしろ増大すると思われるが、原子爆弾という異常に発達した武器が、戦争そのものを抑制するからである。第二次世界大戦が人類が全滅を避けて戦うことのできた最後の機会になると僕は思う。如何に各国がその権利の発展を理想として叫び合ったところで、第三次世界大戦が相互の破滅を意味するならば、いかなる理想も人類の生存には優先しないことを各国とも理解するからである。
したがって各国はそれぞれ世界同盟の中へ溶け込む外はないが、そこで問題はどのような方法と時間を通じて世界がその死顎の理想に到達するかということにある。人類は有史以来最大の危機を通過する訳だがその間どんなことが起こるか、それはほとんど予想できない難しい問題だが、唯一つ断言できることは、その成否は一に軍縮にかかっているということだ。もしも有効な軍縮協定ができなければ戦争は必然に起こるだろう。既に言った通り、軍拡競争というものは際限のない悪循環を繰り返すからだ。常に相手より少しでも優越した状態に己を位置しない限り安心できない。この心理は果てしなく拡がって行き何時かは破綻が起る。すなわち協定なき世界は静かな戦争という状態であり、それは嵐の前の静けさでしかな く、その静けさがどれだけ持ちこたえるかは結局時間の問題に過ぎないとい恐るべき不安状態の連続になるのである。
そこで軍縮は可能か、どのようにして軍縮をするかということだが、僕は軍縮を身をもって体験してきた。世の中に軍縮ほど難しいものはない。交渉に当たるものに与えられる任務は如何にして相手を欺瞞するかにある。国家というものは極端なエゴイストであって、そのエゴイズムが最も狡猾で悪らつな狐狸となることを交渉者に要求する。虚虚実実千変万化、軍縮会議に展開される交渉の舞台裏を覗きみるなら、何人も戦慄を禁じ得ないだろう。軍縮交渉とは形を変えた戦争である。平和の名をもってする別個の戦争であって、円滑な合意に達する可能性など初めからないものなのだ。
原子爆弾が登場した以上、次の戦争が何を意味するか、各国とも分るから、軍縮交渉は行われるだろう。むしろ軍縮交渉は合法的スパイ活動の場面として利用される程である。不振と猜疑が亡くならない限りそれは止むを得ないことであって、連鎖反応は連鎖反応を生み、原子爆弾は世界中に拡がり、終りには大変なことになり、遂には身動きもできないような瀬戸際に追いつめられるだろう。
そのような瀬戸際に追いつめれても各国はなお異口同音に言うだろう。軍拡競争は一刻も早く止めなければならぬ。それは分っている。分ってはいるがどうしたらいいのだ。自衛のためには力が必要だ。相手がやることは自分もやらねばならぬ。相手が持っているものは自分も持たねばならぬ。その結果がどうなるか、そんなことは分らない。自分だけではない。誰にも分らないことである。とにかく自分は自分の言うべきことを言っているより仕方はないのだ。責任は自分にはない。どんなことが起ろうと、責任は凡て相手方にあるのだ。
果てしない堂々巡りである。誰にも手のつけられないどうしようもないことである。集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景―それが軍拡競争の果ての姿であろう。
要するに軍縮は不可能である。絶望とはこのことであろう。唯もし軍縮を可能にする方法があるとすれば一つだけ方法がある。それは世界が一せいに一切の軍備を廃止することである。
一、二、三の掛け声もろともすべての国が兵器を海に投ずるならば、忽ち軍縮は完成するだろう。もちろん不可能である。それが不可能なら不可能なのだ。ここまで考えを進めてきたときに、九条というものが思い浮かんだのである。そうだ。誰かが自発的に武器を捨てるとしたらー
最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。自分は何を考えようとしているのだ。相手はピストルをもっている。その前にはだかのからだをさらそうと言う。なんという馬鹿げたことだ。恐ろしいことだ。自分はどうかしたのではないか。もしこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。まさに狂気の沙汰である。
しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。恐らくあのとき僕を決心させたものは僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。今だ。今こそ平和だ。今こそ平和のために起つ秋ではないか。そのために生きてきたのではなかったか。そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。何か僕は天命をさずかったような気がしていた。
非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か、それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。
要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。
日本民族は幾世紀もの間、戦争に勝ち続け、最も戦闘的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。神の信条は武力である。その神は今や一挙に下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。何故なら武力は神でなくなったからである。神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。日本人はその悪魔を投げ捨てることによって再び神の民族になるのだ。すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。それが歴史の大道である。悠々とこの大道を行けばよい。死中に活というのはその意味である 。
問 お話の通りやがて世界はそうなると思いますが、それは遠い将来のことでしょう。しかしその日が来るまではどうする訳ですか。目下のところは差当りは問題ないとしても、他日独立した場合、敵が口実をつけて侵略したらです。
答 その場合でもこの精神を貫くべきだと僕は信じている。そうでなければ今までの戦争の歴史を繰り返すだけである。しかも次の戦争は今までとはわけが違う。僕は第九条を堅持することが日本の安全のためにも必要だと思う。もちろん軍隊をもたないと言っても警察は別である。警察のない社会は考えられない。とくに世界の一員として将来世界警察への分担負担は当然負わなければならない。しかし強大な武力と対抗する陸海空軍というものは有害無益だ。僕は我国の自衛は徹頭徹尾正義の力でなければならないと思う。その正義とは日本だけの主観的な独断ではなく、世界の公平な与論によって裏付けされたものでなければならない。そうした与論が国際的に形成されるように必ずなるだろう。何故なら世界の秩序を維持する必要があるからである。もしある国が日本を侵略しようとするそのことが世界の秩序を破壊する恐れがあるとすれば、それによって脅威を受ける第三国は黙っていない。その第三国との特定の保護条約生むにかかわらず、その第三国は当然日本の安全のために必要な努力をするだろう。要するにこれからは世界的視野に立った外交の力によってわが国の安全を守るべきで、だからこそ死中に活があるという訳だ
問 よく分りました。そうしますと憲法は先生の独自の御判断で出来たものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています。もっとも草案は勧告という形で日本に本に提示された訳ですが、あの勧告に従わなければ天皇の身体も保証できないという恫喝があったのですから事実上命令に外ならなかったと思いますが。
答 そのことは此処だけの話にしておいて貰わねばならないが、実はあの年(昭和二十年)の春から正月にかけ僕は風邪をひいて寝込んだ。僕が決心をしたのはその時である。それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。元来、第九条のようなことを日本側から言い出すようなことは出来るものではない。まして天皇の問題に至っては尚更である。この二つに密接にからみ合っていた。実に重大な段階であった。
幸いマッカーサーは天皇制を維持する気持ちをもっていた。本国からもその線の命令があり、アメリカの肚は決まっていた。所がアメリカにとって厄介な問題があった。それは豪州やニュージーランドなどが、天皇の問題に関してはソ連に同調する気配を示したことである。これらの国々は日本を極度に恐れていた。日本が再軍備したら大変である。戦争中の日本軍の行動はあまりにも彼らの心胆を寒からしめたから無理もないことであった。日本人は天皇のためなら平気で死んでいく。殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の不可分とも言うべき関係であった。これらの国々はソ連への同調によって、対日理事会の評決ではアメリカは孤立する恐れがあった。この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。
豪州その他の国々は日本の再軍備化を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。故に戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は廃止されたと同然である。もともとアメリカ側である豪州その他の諸国は、この案ならばアメリカと歩調を揃え、逆にソ連を孤立させることができる。
この構想は天皇制を存続すると共に第九条を実現する言わば一石二鳥の名案である。もっとも天皇制存即と言ってもシムボルということになった訳だが、僕はもともと天皇はそうあるべきものと思っていた。元来天皇は権力の座になかったのであり、またなかったからこそ続いていたのだ。もし天皇が権力をもったら、何かの失政があった場合、当然責任問題が起って倒れる。世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を維持する神主のようなものであって、むしろそれが天皇本来の昔に戻ったものであり、その方が天皇のためにも日本のためにも良いと僕は思う。
この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。
そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。松本君にさえも打ち明けることのできないことである。幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和二一年の一月二四日である。その日僕は元帥と二人きりで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ。
問 元帥は簡単に承知されたのですか。
答 マッカーサーは非常に困った立場にいたが、僕の案は元帥の立場を打開するものだから、渡りに舟というか、話はうまく行った訳だ。しかし第九条の永久的な規定ということには彼も驚いていたようであった。僕としても軍人である彼が直ぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで僕に握手した程であった。
元帥が躊躇した大きな理由は、アメリカの侵略に対する将来の考慮と、共産主義者に対する影響の二点であった。それについて僕は言った。
日米親善は必ずしも軍事一体化ではない。日本がアメリカの尖兵となることが果たしてアメリカのためであろうか。原子爆弾はやがて他国にも波及するだろう。次の戦争は想像に絶する。世界は亡びるかも知れない。世界が亡びればアメリカも亡びる。問題は今やアメリカでもロシアでも日本でもない。問題は世界である。いかにして世界の運命を切り拓くかである。日本がアメリカと全く同じものになったら誰が世界の運命を切り拓くかである。日本がアメリカと全く同じものになったらだれが世界の運命を切り拓くか。
好むと好まざるにかかわらず、世界は一つの世界に向って進む外はない。来るべき戦争の終着駅は破滅的悲劇でしかないからである。その悲劇を救う唯一の手段は軍縮であるが、ほとんど不可能とも言うべき軍縮を可能にする突破口は自発的戦争放棄国の出現を期待する以外にないであろう。同時にそのような戦争放棄国の出現もまた空想に近いが、幸か不幸か、日本は今その役割を果たしうる位置にある。歴史の偶然は日本に世界史的任務を受けもつ機会を与えたのである。貴下さえ賛成するなら、現段階における日本の戦争放棄は対外的にも対内的にも承認される可能性がある。歴史の偶然を今こそ利用する秋である。そして日本をして自主的に行動させることが世界を救い、したがってアメリカをも救う唯一つの道ではないか。
また日本の戦争放棄が共産主義者に有利な口実を与えるという危険は実際ありうる。しかしより大きな危険から遠ざかる方が大切であろう。世界はここ当分資本主義と共産主義の宿敵の対決を続けるだろうが、イデオロギーは絶対的に不動のものではない。それを不動のものと考えることが世界を混乱させるのである。未来を約束するものは、たえず新しい思想に向って創造発展していく道だけである。共産主義者は今のところはまだマルクスとレーニンの主義を絶対的真理であるかのごとく考えているが、そのような論理や予言はやがて歴史のかなたに埋没してしまうだろう。現にアメリカの資本主義が共産主義者の理論的攻撃にもかかわらずいささかの動揺も示さないのは、資本主義がそうした理論に先行して自らを創造発展せしめたからである。それと同様に共産主義のイデオロギーもいずれ全く変貌してしまうだろう。いずれにせよ、ほんとうの敵はロシアでも共産主義でもない。
このことはやがてロシア人も気付くだろう。彼らの敵もアメリカでもなく資本主義でもないのである。世界の共通の敵は戦争それ自体である。
問 天皇陛下はどのように考えておかれるのですか。
答 僕は天皇陛下は実に偉い人だと今もしみじみと思っている。マッカーサーの草案をもって天皇の御意見を伺いに行った時、実は陛下に反対されたらどうしようかと内心不安でならなかった。僕は元帥と会うときはいつも二人きりだったが、陛下の時は吉田君にも立ち会ってもらった。しかし心配は無用だった。陛下は言下に、徹底した改革案を作れ、その結果天皇がどうなってもかまわぬ、といわれた。この英断で閣議も納まった。終戦の御前会議の時も陛下の御裁断で日本は救われたと言えるが、憲法も陛下の一言が決したと言ってもよいだろう。もしあのとき天皇が権力に固執されたらどうなっていたか。恐らく今日天皇はなかったであろう。日本人の常識として天皇が戦争犯罪人になるというようなことは考えられないであろうが、実際はそんな甘いものではなかった。当初の戦犯リストには冒頭に天皇の名があったのである。それを外してくれたのは元帥であった。だが元帥の草案に天皇が反対されたなら、情勢は一変していたに違いない。天皇は己を捨てて国民を救おうとさらのであったが、それによって天皇制をも救われたのである。天皇は誠に英明であった。
正直に言って憲法は天皇と元帥の聡明と勇断によって出来たと言ってよい。たとえ象徴とは言え,天皇と元帥が一致しなかったら天皇制は存続しなかったろう。危機一髪であったと言えるが、結果において僕は満足している。
なお念のためだが、君も知っている通り、去年金森君から聞かれた時も僕が断ったように、このいきさつは僕の胸の中だけに留めておかねばならないことだから、その積りでいてくれ給え。
【転載終了】
読み終わって、どう感じましたか?
私は読みながら、感動のあまり、涙が止まりませんでした。
特にこの部分です。
「世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。」
こういう話が、きちんと記録されていたことに感動です。
そして、今の時期に、こうやって、話題になることが奇跡です。
この記事を検索するきっかけとなった、今朝見つけた
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昨日の「報道ステーション」の番組のビデオとその内容の
書き起こしの記事です。
「抜粋 憲法9条は幣原喜重郎首相のマッカーサーへの提案であった」
【転載開始】
番組を抜粋しました
「憲法9条は、幣原喜重郎首相のマッカーサーへの提案」肉声テープより
「憲法がGHQによる押し付け憲法というのは、当時の国民、議会人に対する侮辱」木村草太教授
岸総理時代の憲法調査会の数十時間に及ぶ肉声テープが発見された。
自主憲法制定など様々な論議がされている。
2・25報道ステーションの特集より
以下のリンクからも視聴できます
http://www.dailymotion.com/video/x3ub1uz
以下のリンクからも番組全体17分が視聴できます
http://www.dailymotion.com/video/x3ub062
ーーーーーー
●中部日本新聞元政治部長 小山武夫氏●
第9条が誰によって発案されたのかという問題が
当時から政界の問題となっておりました
幣原さんにオフレコ(非公表)でお話しを伺ったわけであります
第9条の発案者という限定した質問に対し幣原さんはー
「それは私であります」
「私がマッカーサー元帥に申上げて第9条の条文になった」
とはっきり言った
●マッカーサー元GHQ最高司令官●
戦争を禁止する条項を憲法に入れるように
という提案は幣原総理が行なったのです
私は総理の提案に驚きましたが
私も心から賛成であると言うと
総理は明らかに安堵の表情を示され
私を感動させました
●木村草太慶大教授●
「押付け憲法論」のまま思考停止してしまっている人が
けっこういるということでありますが
安倍首相も国会の場で「押付け憲法論」をふりかざすまでに至っていますが
今の憲法がGHQの押付けだというのは
制定過程の理解としては不十分と言わざるを得ないと思います
日本政府は太平洋戦争を集結するためにポツダム宣言を受託したわけですが
そのポツダム宣言には「民主主義の復活強化」「基本的人権の保証確立」
ということが条件とされていて
これは国際社会の当然の要求であると同時に
国民の希望、願いでもあったはずです
GHQは最初は日本政府に憲法改正を委ねていたわけですが
しかし、その内容が民主主義の復活強化というには
あまりにも不十分であったために
GHQが草案をつくるに至ったわけです
又その後にこれは英語で書かれていて
日本法に明るくないこともありますから
日本の官僚や政治家が翻訳作業や
日本法との整合性をとるための整合作業
ここでしっかり日本にふさわしい原案を政府案としてつくって
帝国議会に提出したわけです。
さらにその帝国議会は
日本初の男女普通選挙で選ばれた帝国議会の議員たちが
審議して制定したわけですから
やはりこれを押付けと単純に評価するのは
当時の国会議員、官僚
そして彼らを選挙で選んだ国民への
侮辱になっていることに気がつくべきだと思います。
ーーーーーー
以下参考リンク
幣原喜重郎元首相が語った
日本国憲法 - 戦争放棄条項等の生まれた事情について
【転載終了】
情報ステーションの該当部分の動画です。
報道ステーション 「岸時代の調査会」肉声発見
この後、金木犀さんのブログでも
「25日の報道ステーション、ご覧になりましたでしょうか。」で
始まる『憲法9条は、アメリカの押し付けではなかった』という
記事が投稿されていました。
さすが、金木犀さん、行動が早い!
まうみさんも!
『永久戦犯岸信介と公職追放組が言い始めた『押しつけ論』は、憲法制定過程に尽力した日本人への侮辱』
<過去に書いた憲法関連の記事>
【転載】「憲法9条は核兵器より強力だ」 2015/7/7
日本国憲法前文の歌 2014/5/8
日本国憲法の前文はイマジンの世界・・・(2013-7-18)
誰かを殺しにいくより、誰かと踊ろうよ!(2014-7-2)
転載] 絶対に、戦争が出来なくなる法律(2014-7-1)
戦争をしたい人たちへ、そして、戦争に派遣される兵士の皆さんへ(2013-8-31)
今朝の夢(やらせの戦争?) 2013/7/30
misaさんの「戦争を回避するために」 2013/2/4
『「愛のバクダン」~アインシュタインから娘への手紙の真偽』
本当に、今年に入ってからの、加速はすごいです。
特に、旧暦の新年となった2月8日以降、さらに
加速していて、毎日がめまぐるしいです。
その他、関連するいろいろな方の記事
『未曾有のフクシマの核事故から5年目前、東電やっと強制起訴に』
日本を滅亡に導いた二・二六事件から80年目の不吉な節目に・・・
『国民の命を蔑ろにしなければ運営できない原発がこれほど多いのは、それでも大人しく金を貢ぐ国民が多いから』
『今後も続く日本社会の様々な危機的局面において「死命を分ける」のは、あなた自身の情報の選別と判断能力 』
『城南信用金庫より「緊急提言」』
『「門は一度閉じねばならない。ヒントは長い間、何度も出してきた。」-”じっちゃん”からのメッセージ』
『2016-1-19セッション(関ケ原から続く家族の相克、そして過去に苦労をかけた妻と魂の再会。)』
『2月25日の夢☆(端)始まり、頭からかかった呪が解けた』
『今朝の夢(展示会・髪の毛)』
26/2/2016
1.19
朝から降り続いていた雨が、夕方から雪に変わりました。
強い雨が収まって、雪がちらつき始めていたので、
お散歩に出かけたのですが、
行きはちらつく程度が、30分後には、かなり強く
降り始め、1時間後に帰るときには、おぉ~って感じに
なってました。
明日の朝が楽しみ~♪
たぶん、子供たちは、大喜びで、雪遊びをすることでしょう♪
私も雪が積もる森の道をお散歩をできたら、わくわく~♪
【転載終了】
幣原元総理のことは、名前は知っていても、どういう方なのか
全く存じ上げていませんでした。。。
wikiによると、第二次世界大戦前に外相として活躍され、
上に書かれているように、軍縮に奔走されていたようです。
「1915年(大正4年)に外務次官となり、ワシントン会議に
おいては全権委員をつとめる。外務大臣になったのは
1924年(大正13年)の加藤高明内閣が最初であった。
以降、若槻内閣(1次・2次)、濱口内閣と憲政会→立憲民政党内閣で
4回外相を歴任した。
彼の1920年代の自由主義体制における国際協調路線は「幣原外交」
とも称され、軍部の軍拡自主路線「田中外交」と対立した」
「1930年(昭和5年)にロンドン海軍軍縮条約を締結させると、
特に軍部からは「軟弱外交」と非難された。」
「関東軍の独走で勃発した満州事変の収拾に失敗し、政界を退いた。
幣原外交の終焉は文民外交の終焉であり、その後は軍部が独断する
時代が終戦まで続いた。」
「第二次世界大戦が終結し、吉田茂の後押しもあったといわれるが、
戦後に内閣総理大臣に就任。当時引退済みで、本人は首相に指名
されたことを嫌がって引っ越しの準備をしていたが、昭和天皇
じきじきの説得などもあり政界に返り咲いた。」
また、こちらの『幣原の経歴』にも、詳しい経歴・エピソードなどが
書かれています。
(上に転載した
「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」を
書かれた方のホームページの別の記事です)
こんなすばらしい業績を残された方のことについて、何も知らなかった
というのは、恥ずかしい限り。。。
三菱財閥の岩崎家と姻戚関係があるのが、ちょっぴり気になる
ところですけれど・・・。
上にリンクを入れた『幣原の経歴』に
「清廉潔白な幣原は三菱閥の財力を利用しなかった。」と
書いてありました。
あぁ、さすが、って感じです。
大阪の門真出身というのは、同じ大阪出身者としてちょっと嬉しいです。
意識レベルを調べる知り合いによると、憲法9条も前文も、
意識レベルがとても高いのだそうです。
だから、その人も、GHQからの押し付けではなく、当時の日本人が望んで
いたことを実現化させたもの、または宇宙(未来)からのギフトだと
言っていました。
世界の裏側ニュースのアナーキーガールさんの昨日の記事がまた
タイムリーなのです。
『最もよく使われている現代の洗脳テク10種』
「実験からは…洗脳の方法を見せるだけでも、少なくとも
洗脳効果のある広告やプロパガンダに対しては、
洗脳の効果が減少…」
洗脳って、要するに、うそも100回言えば真実になる・・・
的な発想が元になっていますので、1つの真実を明らかに
することで、洗脳状態から脱出できる可能性があるのです。
「改憲派」の「押し付け憲法」理論もそうです。
真実は、アメリカが押し付けたのではなく、
当時の内閣総理大臣からの提案だったということが、
公になることで、うそはもう通用しなくなるんです!
憲法9条に関しての、「押し付け」というのが嘘である
ということが、明らかになりましたが、原発の件も同じ。。。
東京新聞:原発、別の道ないのか
89歳加古里子さん「若者よ考えて」
「 政府や電力会社は楽天家なんでしょう。こんど原発の事故が起きたら、とは考えないんでしょうね。
かつて勤めていた化学メーカーが原子炉で使う重水をつくっていました。優秀な部下たちが、一生懸命に研究しましたが、とんと目鼻が付かなかった。
原子力って産業としてはなかなか成り立たないんです。原料のウランから取るのは熱だけでエネルギー効率は悪い。温水を出すから環境にも良くない。安価といわれますが、事故が起きたときのことを考えれば決して安くない。ない、ない、ないの三拍子そろっている。
原発で出た使用済み核燃料を(無害になるまでの)十万年置いておくと言うけれど、十年先だって分からないのに、十万年なんて…。偉い大人が真剣に考えて(使用済み核燃料を処理する)土地の皆さんを説得するか、原発を止めるかしないといけないけれど、突き詰めて考える姿勢が一つも見えない。 」
政府・東電は、責任を取ろうとしてこなかったけれど・・・
5年近くなって、やっと、東電元経営者3名が起訴されました、
原発推進をした関係者は、現在、何をし、何を考えているのでしょう?
もしも、後悔する気持ちがあるなら、被害者のために、そして、
脱原発のために何らかの意思表示、そして行動してほしいものです。
自分には関係ないと知らん顔して逃げ続けていて、いいのでしょうか?
人間の心を持つなら、人の親であるなら、未来に対して責任を果たす
必要があると思います。
一昨日、2月26日は朝から降った雨が夕方には
雪に変わりましたが、夜の間に止んでしまったので、
昨日の朝は、ほんの少し雪が残っていただけでした。
気温がそんなに上がらなかったので、まだ人が足を
踏み入れない森の中には少し残っています。
まるで、浄化の雪ですね!
ペニャ・デ・フランシアも上半分はすっかり、真っ白。
(雲がかかっていて、頂上はきれいに見えませんけれど・・・)
昨日の夢について書いた記事。
「今朝の夢(階級闘争など)」
これまた、なかなか意味深な夢です。。。
28/2/2016
1.21
私は、どうやら、2010年の4月に「愛の木」、「アメーバ」が
気になり出し、5月に「ハートの装飾」、「大地の女神」が
気になり始めてから、無意識のうちに、というか、まるで
取り憑かれたかように、「愛のバクダン」無差別投下大作戦を
やっていたんじゃないかという気がしてきました。
というか、子供のころからずっと。。。
周囲に理解されなくても、嫌がられても、ちょっと
おせっかいすぎるときもあったりしたし。。。
私の魂が私を突き動かしていたのでしょう。。。
『最後のひとり』から
「そして終わりの日が来ました。
皆が決められた時間にテレビの前に集まると、
ゴッドマザーと呼ばれた女性の顔が
それぞれの画面に映し出されました。
そして、彼女はこう言いました。
『あなた方の課題はほぼ終わったようなものです。
戦争を平和に変え、恐れを信頼に一変させたのです。
みなそれぞれよくやりました。
次なるステップは単純すぎて、あっけにとられるかもしれません。
共に協力し合い声をひとつにして、自分自身を
内なるパワーに開放するだけなのですから』
『今あなたがたは、自分の存在についてのあらゆる真実を
受け入れる用意ができているので、はるか昔から心の中に
閉じ込められていた宇宙のパワーに身をゆだねることが
できるのです。
そこに、より幸福な世界が待っています。
さあ、共に渡って行きましょう。
互いの心を開き、声をひとつにしましょう!』
そして、これが地球の誰もが口にする言葉になりました。
私たち地球の人間は、一致団結して愛と信頼のパワーに心を開くのです」
「このような言葉が、やがて時を同じくして地球上の愛に満ちた
あらゆる人によって語られるようになり、すべてが変わりました。
蝶がさなぎの中で感じた恐れと暗闇を脱ぎ捨てると、
地球は天上で輝く真珠のようにきらめきました」
2/29追記
「愛のバクダン」は「美しき緑の星」を実現化させるための
初めの第一歩なのかも・・・。
本当は、縄文時代の平和な生き方をずっと継続できれば
よかったんだけど・・・私たちの文明の歴史は、違う方向へ
進んでしまったから・・・。
『美しき緑の星』追記いっぱい♪
『切断される映画「美しき緑の星」日本語字幕付~追記あり~』
『「美しき緑の星」に共感した皆さんへ』
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日本はアメリカの属国、つまり家来国家である! アメりカの洗脳広告代理店、電通による、テレビ、新聞、週刊誌、ラジオ等の、マスコミを使った偏向報道による、見事な国民洗脳によって、思考が停止状態にある日本人は、自分自身の脳、すなわち思考そのものを点検せよ! さらにネット洗脳システムのツイッターやフェイスブックの利用、まとめサイトには注意が必要である。 我々はハッ、と気付いて、常に注意深く、用心して、警戒し、疑いながら生きれば、騙されることはない。 すべての事柄を疑うべきなのだ!
歌謡曲に疎いので、この記事ではなく、一つ前の記事を書いたときに、B'zの「愛のバクダン」の存在を知りました。。。
もうすぐ米国債が大暴落し、アメりカが国家破綻するぞ! テレビ、新聞、週刊誌、ラジオ等の、嘘八百と見事な洗脳情報によって、思考停止状態にある日本人は、自分自身の脳、すなわち思考そのものを点検せよ! 我々はハッ、と気付いて、いや、待てよ! と立ち止まり、用心し、注意し、警戒すれば騙されることはない。 すべてを疑うべきなのだ!
幣原喜重郎の直筆原稿が加美で見つかる 憲法9条の意義強調
2018年05月03日
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201805/20180503_13012.html
戦後2人目の首相として憲法制定交渉に携わった幣原喜重郎(1872~1951年)の直筆原稿9枚が、宮城県加美町の民家で見つかった。占領期に書かれた「年頭雑感」で、憲法9条の意義などを強調する内容。独特の表現で国力再生の道を説いている。
原稿はA5判ほどのサイズに万年筆で書かれている。正確な執筆時期は不明だが、「講和会議を目前に控えて」の文言から、1951年9月のサンフランシスコ講和会議前となる51年か50年の年頭と考えられる。当時は衆院議長に就いていた。
「ラジオ放送原稿」とも伝わっているが、裏付け史料は見つかっていない。加筆や修正も多く、文章を練った様子がうかがえる。
幣原は連合国軍総司令部(GHQ)の指示の下、憲法改正に当たった。原稿では荒廃した国情を踏まえつつ、「日本の将来はまことに多難であるが、地平線上に一条の光明が輝いている」と論じる。
9条に戦争放棄と軍備全廃を明文化したことで、国力を平和産業の発達と科学文化の振興に振り向けられると指摘。他国による侵略の可能性に対して「軍備の充実や、他力本願によって国家の安全を求めてはならない」「最も効果的なる城壁は正義の力である」と持論を展開している。
所蔵していたのは、元宮城県知事の本間俊太郎さん(78)と弟の昭雄さん(73)。昨秋、衆院議員だった父俊一氏の遺品を整理した際、蔵の中で見つけた。日本進歩党などで幣原と行動を共にした俊一氏が遺族から原稿を譲り受け、額装して居室に長く飾っていたという。
個人での長期保存が難しいとして、2人は近く原稿を公的機関に寄贈する考え。俊太郎さんは「改憲論議が浮上する中、憲政史料は広く一般に公開した方が良い。憲法について考える契機にしてもらいたい」と話す。
<外交官らしい表現/中央大総合政策学部の服部龍二教授(日本政治外交史)の話>
首相時のラジオ放送原稿は何点か確認したが、衆院議長時のものは見たことがない。美しい言葉を多用しているが、何を言わんとしているかは分かりにくい。本心を幾重にもオブラートに包んだような表現に、熟練の外交官らしさがにじむ。幣原は野党を巻き込んだ「超党派外交」を追求しており、はっきり本心を表明できなかったのだろう。「他力本願」は国連による平和を指しているとも読める。分かる人には分かるよう、工夫しているように感じる。
[幣原喜重郎]政治家、外交官。大正末から昭和初期にかけて4度外相を務め、対英米協調の「幣原外交」を展開した。戦後の1945年10月、73歳で首相に就任。昭和天皇の「人間宣言」を起草するなど天皇制護持に努め、憲法制定交渉に尽力した。49年、首相経験者で初めて衆院議長に就任。51年3月、在任中に死去した。
幣原による「年頭雑感」の一部。「厳粛なる憲法の明文をもって、戦争を放棄し、軍備を全廃した」などの記述がある
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