ヒーリングルーム”祝祭” 0010110

創造主による量子ヒーリング退行催眠療法:
魂の癒しと成長・人生の意味を求めている人のために

2016-1-19セッション(関ケ原から続く家族の相克、そして過去に苦労をかけた妻と魂の再会。)

2016-02-25 20:34:34 | Testimonial/セッション感想
2016-1-19セッション(海野・真田・徳川/関ケ原-ネイティブ・アメリカン)

”ハートの贈りもの”ブログでも、このセッションについて紹介しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

なるでこさん こんにちは

今回セッションを受けるにあたって、奇跡的なことがいくつかありました。

奇跡その①
1月のセッション申し込み日、この日は仕事だったが申し込み開始の21:00に時間ができた。

奇跡その②
セッションは火曜日しか行けなかったが、1日だけ空いていた。

奇跡その③
ダメかもしれないと思いつつ、「友人と2人で」と申し込んだが、なるでこさんからその日なら大丈夫との返事が来た。

奇跡その④
高速バスを乗り継いで仙台へと考えていたが、当日の交通事情を考え車で行くことに変更した。

奇跡その⑤
セッション前日の月曜日、全国的に大雪となり、高速道路は通行止め、JR中央本線も運休。当初の予定を変更して佐久平駅まで車で行き(順調に到着)、佐久平駅から新幹線を乗り継ぎ、予定通り16時頃仙台に到着した。(なるでこさんには、ご心配をおかけしましたが、本人は必ず辿り着けると確信しておりました。)

奇跡その⑥
なるでこさんのブログの存在を知る前に、一緒に行った友人と山宮浅間神社(ご祭神:木花之佐久夜毘売命)に2度程行ったのですが、2016.01.21のヒーリングルーム祝祭の記事を読んだ時には驚きました。

「富士山の上で木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)が、私のようなあと一歩で勇気を出して踏み出せる人をサーチライトのように探します。なるでこさんと思いが同じだそうです。それをマイケルが繋がれた鎖を切断して、灯台なるでこさんに連れてきます。連れて来られた人はランプですが、頭から光のエネルギーが入るフィルターがエゴや恐れで詰まっているので火が灯りません。灯台でキレイにお掃除してもらい、心の火を灯してもらいます。ハートが光り輝きます。ランプは各地に散らばり、周りにいるあと一歩の人の光を灯すことが出来ます。光は好きな時に好きなだけ頭から入るので、消える心配はありません。」(記事抜粋)

山宮浅間神社
富士山本宮浅間大社の創建以前に富士信仰の大神が最初に奉斎された場所で、大神が現在の浅間大社に遷されたのち「山宮」として関わった神社である。その為、浅間大社も含め、全国に約1,300社ある浅間神社のなかで最も古いと考えられている。
境内には富士山の遥拝所・御神木などがあり、本殿はなく祭祀遺跡としての形を残している。特に、遥拝所の主軸は富士山の方向を向いている。(wikiより)



大天使マイケルは仏教界では不動明王なのだそうですが、昔から密教には興味がありもしかするとその頃から繋がっていたのかもしれません。ビジュアルは大天使マイケル=陽、不動明王=陰といった感じですが・・・。

奇跡⑦
セッションから戻り、ネットで色々と検索していたところ、イメージとつながるものを発見した。くわしくは、レポートで。

~~~~~~~~~~~~

今回のセッションでは2つの過去世を見せてもらいました。

1つ目の過去世のテーマはこの時代から続く現世の母親、次兄(私は3人男兄弟の三男坊です)とのカルマの解消・許し、2つ目の過去世のテーマはこの時代から続く現世の結婚・離婚・恋愛関係のカルマ解消でした。

ハイアーセルフはその時に必要な場面に連れて行ってくれると聞いていましたが、やはり、この2つかと後で納得しました。セッションを受ける前は、なるでこ艦長率いる宇宙船のクルーの1人として地球のアセンションを助けている場面を期待していたのですが・・・。次回へ持ち越しです。

1つ目の過去世

他の方のレポートを読んでいると、ユニコーンや龍、マイケルに導かれて過去世に降り立つようでしたので、自分は何に乗るのだろうとドキドキしていました。
なるでこさん(以下、な)「何に乗っていますか?」

「・・・」
(あかん、何にも浮かばへん。)
焦りました。出来の悪い生徒の気分です。

な「では、雲に乗って最初の場面へと降り立ちましょう」

(雲か、空飛ぶ雲と言えばキン斗雲かな。)
でも、キン斗雲らしき物も出て来ず、結局モヤモヤっとした雲のような霞のようなものに乗って(いやそこから急降下と言った方が正しいかも)最初の場面に降り立ちました。

いずれの場面もハッキリとしたイメージをビジュアル化できず、心に浮かぶメッセージとして現われました。

降り立った場所は平原なのか道なのか両側を林に覆われた場所で前方を見つめています。
自分の格好を見ると赤い甲冑を身に付け、馬上で左手には弓を持っています。
自分の後ろには200~300人の兵士達がジリジリとした気持ちで前方を見ています。

旗頭はいくつかあるのですが、自分のすぐ左後ろの臣下(おそらく最も信頼を置く側近)が掲げる旗頭は六文銭でした。
(この時は、大河ドラマ「真田丸」の影響を受けすぎでしょと思い、少し、口にするのを躊躇してしまいましたが・・・)

赤い甲冑(赤備え)に六文銭と言えば真田氏、私は真田氏の家臣だったようです。

兜の前立て(印のようなもの)を見てみると、三日月のようなイメージが浮かびました。これまた、仙台=伊達政宗の影響かと思いましたが伊達政宗の兜に付いている三日月程は細長くなく、実際の三日月のような形をしています。
(セッションから戻ってwikiで「赤備え」を検索してみて、びっくり!!画像にイメージ通りの甲冑が掲載されているじゃないですか)



降り立った時代はまさしく、関が原の戦いの慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)の少し前で、私は主である真田昌幸の命を受け、徳川秀忠が上田城を落とした場合に供え、上田城から関が原へと抜ける道中で待っているというイメージです。
敵が来るのか来ないのか何とも分からず、ひたすら待つという状況でしたが、上田城は真田昌幸によって守られ、関が原の戦いはあっという間に終わりました。結果的に戦にならず、家臣も失わずホッとしている自分がいます。
後で分かるのですが、私のすぐ後ろにいる側近は弟のようでした。彼は、私とは違い荒武者で兎に角戦いたくてうずうずしており、ただ待っているだけの状況にイライラしていました。

私たちの一族は、父の代に真田家の家臣になったようですが、祖父の代には武田家に滅ぼされ一時は武田家の家臣になっていたようなイメージがありました。
なるでこさんに「あなたの一族は何氏ですか?」と聞かれたのですが、よく分かりませんでした。ただ、頭の中に「うんの」という言葉が出てきました。「うんの」って何?と思いながら、この時は自分のイメージを伝えることなく、次の場面に進みました。

な「では、あなたが産まれた場面に遡りましょう」
な「家の家紋はなんですか?姓は分かりますか?」
4つの菱形が見えました。現世のうちの家紋は丸に隅立四つ目で近江佐々木家由来のものです。
「多分、佐々木?」4つの菱形=佐々木家と答えたのですが、何か釈然としません。この時も、「ウンノ」という心の声があったのですが、自信が持てずまたもやスルー。

セッションから戻り、家紋のこと「ウンノ」ということばを調べてみたのですが、すごく驚くつながりがありました。
まず、「ウンノ」というキーワードからです。
「ウンノ」はおそらく姓だろうと思い
wikiで「海野氏」を調べてみました。

「天文10年(1541年)5月、甲斐国の武田信虎、信濃の村上義清、諏訪頼重の連合軍に攻められ(海野平の戦い)、当主・海野棟綱の嫡男である海野幸義は村上軍との神川の戦いで討ち死にし、棟綱は上州の上杉憲政の元に逃れる。海野宗家はこれにより断絶したとされる・・・(中略)・・・嫡流はいったん途絶えるが、信濃を領国化した武田信玄は一族を信濃諸族の名跡を継がせることで懐柔させる方策を取る。『甲陽軍鑑』に拠れば、永禄4年(1561年)に信玄は信濃先方衆の仁科氏・海野氏・高坂氏を成敗し、信玄の次男で僧籍であった信親(竜芳)が海野民部丞の養子となり、名跡を継いだという。」(wikiより抜粋)

そして、海野氏の家紋は六文銭、武田家の家紋は四つ割菱(武田菱)でした。とても、複雑な流れですが、これでなぜ弟の掲げる旗頭が六文銭で、家の家紋が四つの菱形(四つ割菱)だったのか分かりました。

産まれた頃の場面に戻ります。
父は現世の父(2009年に他界)
母は現世で何かと心配して、応援してくれる純子さん
兄弟は4人で
長男(私)
次男(現世の次兄)
三男(現世の長兄)
長女(いっしょにセッションに来た友人)

父は厳格でありながらも産まれたばかりの私をうれしそうに見下ろしています。
母は慈愛にあふれる人です。母は私以外産んでおらず、次男以下は側室の子供かもしれません。異母弟妹のようなイメージです。
次男とはそんなに歳が離れていませんでした。武将としての能力は明らかに私より高く、自信家で野心家でありました。しかし、傲慢という訳ではなく、カリスマ性があり家臣からの人望もありました。
私は、跡継ぎとして産まれましたが、戦よりも文学に興味を持っていました。ただ、跡継ぎとしての責任も感じていました。

父は私が元服したての頃に亡くなりました。
関が原の戦いの頃には20代後半から30代後半くらいだったので、弟と共に数々の戦を経験して来たことでしょう。ただ、私の方はもうこの頃、戦に嫌気が差していました。

関が原の戦いで豊臣側に就いた真田昌幸、信繁のように我が一族も取り潰しもしくは流罪を覚悟していましたが、今後、徳川側の家臣になるのなら許すという知らせがきました。赤備え効果があったのかもしれません。
一族の主である私は悩みましたが、一族を守ることができるならということで徳川の家臣になる決断をしました。
この決断に対して次男は烈火のごとく怒りました。
「筋が通らぬ。兄じゃは腰抜けじゃ。」
と言い残して、次男は家を出て行きました。

時は流れ、慶長19年(1614年)大阪冬の陣
私達の一族は徳川側の武将の下に付いていました。どこか、傍観者のような、戦に身が入っていないような感覚で豊臣側を見ています。
豊臣側に見えるのは赤備えの武将達。恐らく真田丸なのでしょう。かつての主家と戦うようです。もう、この時は主家がどうのとかという気持ちはなく、早くこの戦が終わるよう、そればかり願っていました。
その時の主家の武将は嫌な男でした。直属の家臣と外様の家臣との扱いの差があからさまで、何かにつけて比較し私達一族を馬鹿にするのでした。そして、事あるごとに自分の戦歴を自慢し、そんな話に付き合わされることにうんざりしていました。

な「その武将は現世の誰かですか?」

現世の母親でした。
衝撃的でしたが、妙に納得しました。この武将の下知に従うことにとても嫌悪感を抱きました。
私の子供の頃の自由を奪い、自分の思い描くレールに乗せようと、上2人の子育ての失敗を3番目で取り替えそうと必死になっていた母です。決して、意地悪ではなく、友人も多く、人情家ではありますが、なかなか自分の意見を曲げず、人の過ち・失敗を心から許せない人です。昔からうちの家には父親が2人いると思っていたくらい、おじさん化が激しかったのですが、どうやら戦国武将の片鱗が現世に出ているようです。

そんな苦々しい思いを抱きながら前方の真田丸を見た時、更に衝撃が走りました。
赤備えの甲冑を身に付け鬨を上げている荒武者は出奔した弟(現世の次兄)でした。

一番敵にしたくない相手です。その時、頭の中で声が聞こえました「幸村、幸村」と。
さすがにこれは出来過ぎです。(「真田丸」の波に乗り過ぎてるだけやわ)と思い口にしませんでした。
しかし、真田幸村にはなぞが多く、通説では真田信繁=幸村となっていますが、異説の中には幸村は信繁の影武者だというものもあります。実際、信繁は子供の頃からずっと人質生活を余儀なくされ、ほとんど戦働きをすることなく大阪冬の陣を迎えたようですから信繁=幸村説に疑問を持つ歴史家もいるのでしょう。

先ほど出てきた「ウンノ」というメッセージが驚くようなつながりを持ったのでここでも、幸村=弟ということにさせてください。

真田丸の弟は、ものすごく輝いてみえました。自分の武将としての器を信じて疑わない、そして、臣下のものも心酔しているといった感じです。
兄が弟に気づいたように、弟も兄を見つけました。こちらはもう赤備えを付けることを許されていないのにひと目で分かったようです。
弟がまっすぐこちらを見据え、ニヤッと笑います。「ようやく雌雄の決着を付ける時が来た」そう言っているようでした。

敵方に弟を見付け、恐ろしく思ったと同時にようやく自分の死に場所を見付けられたのだなと思いうれしく、心震えました。
その戦いでの弟の働きは鬼神のごとくすさまじいもので、我が軍はほとんど壊滅的な被害を受けました。我が将(現世の母)は、戦いが始まる前にはたかが田舎侍に何ができると馬鹿にしていましたが、結果の悲惨さにプライドをズタズタに引き裂かれました。 div>

現世の母と次兄はとても折り合いが悪いのですが、それはこの時に始まったということなのでしょうか。

大阪の陣で弟は壮絶な死を遂げました。しかし、筋を通し、戦の中で斃れたのですから武士としては本望だったでしょう。戦いの中でこそ輝く魂だったのです。
現世の次兄も戦い・競争の中でこそ輝く人だと思うのですが、平和な日本に暮らし、2児の父という立場もあり、なかなか個性が発揮できないまま50歳を超えました。生活はかなり厳しいようです。しかし、どれもこれも自分の選んだ結果が今ある訳なのでしっかり自分の人生に折り合いをつけるしかありません。

大阪の陣が終わり、ようやく平和が訪れました。
私は、一族がどうのこうのということが嫌になり、3番目の弟に家督を譲り、自分は出家しました。妻や子供のイメージはなかったので結婚しなかったのかもしれません。
出家した後は、ひたすら弔いの日々を送り、戦のない世の中を祈りました。

なるでこさんの誘導により、この時代の人生最後の日に立ち会いました。
70代くらいでしょうか、病死ではなく老衰のような感じです。一番下の妹(いっしょにセッションに来た友人)と姪(現世でも姪)に見守られ静かに息を引き取りました。

この過去世から学んだこと。
この時代から続く母、次兄とのカルマを解消するために再び現世で出会ったのだから、お互い許しあえる努力をしなさいということでしょうか。
自分の事を許し、二人の事も許すということが大切。

ハイアーセルフから現世の自分へのメッセージ
人生は戦いではない。誰かと競い合ったり、争ったりするのではなく人のためになること、地球のためになる生き方を心掛けなさい。その姿は誰かが必ずみてくれているよ。

次兄と母の関係
時が来れば許しあえる。いつになるかは分からないけれど・・・。(果たして現世の内に間に合うのか?)

私、母、次兄の3人の関係を改善する為に自分ができること
まず、母、次兄の事を心から許す。無条件の許し。
自分が許さない限り、相手も許さない。

なるでこさんからのアドバイス
「面と向かってあなたを許すって言うのは気恥ずかしいし、相手も「何のこっちゃ!?」ってなるから、瞑想の中や夢の中で後ろからギュッとハグすればいいよ。」
これなら、できるかもしれません。

~~~~~~~~~~~~

それでは、雲に乗って次の時代へ。
この時代は先ほどの時代の場面よりも不思議なくらいすっきりとイメージできました。
前半はまだ緊張していたのかもしれません。

足元の土は赤く、周りを見渡すと切り立った山。どこかの渓谷に佇み、霊峰(ご神体)のような山を眺めています。
自分の体を見ます。頭に立派な羽飾りを被っています。40代くらいの男性です。
周りをみるとティピのような住居が20~30程建っています。夕暮れで女性たちが夕餉の支度をしています。

どうやらアメリカ先住民の時代に降り立ったようです。
この時の立場は立派な羽飾りからしてとある部族の酋長だったのかもしれません。
トーテムの一番上にはハクトウワシが彫られています。
そばには狼(もしくはハスキーのようなハイブリット)もいます。
セッションから戻って調べてみると、ハクトウワシのトーテムはハイダ族かトリンギット族(クリンギット族ともいうらしい)のもののようです。どちらの部族も現代のカナダからアラスカにかけて暮らしていたようです。

自分の住んでいるティピに入ってみました。
この時代は妻と2人の息子、1人の娘の4人家族のようです。

父と母は別のティピにいるようです。

なるでこさんが現世の誰かですかと尋ねました。

父=現世の次兄(戦国時代、家を出て行き幸村となった弟、この時代では一代で次々と他の部族を制圧し、大酋長となっていました。頭の切れる武闘派です。この時代も戦いの中でこそ生き生きとする男だったようです。)

母=現世の義理の姉(この人は次兄の妻なのですが、出会った頃から昔から家族だったような親近感を持ち、不思議に思っていました。画家でありネイティブより綺麗な英語を話すバイリンガルです。)

長男(15歳くらい、ほぼ成人)=現世の甥(次兄の息子、小学生の頃からプロとして活躍するジャズドラマーです。なるでこさん曰く、この時代から太鼓を叩いていたんじゃないかと。言われてみればドラムを叩いている時は何か降りてきている感じがします。)

次男(3歳くらい)=現世の長兄(この兄とはそんなに縁が深い感じがしなかったのですが、今回も登場しました。)

長女(1歳くらい)=現世の姪(次兄の娘、母親の血を引いているのかおっとりとした性格ながら芸術的なポテンシャルも秘めているように思います。)

妻は少し複雑です。3人の妻がいました。同時にではありません。私が入ったティピにいたのは3代目の妻でした。
ここ20年の結婚、離婚、恋愛を順番もそのままに出てきました。
最初の妻=元嫁(結婚してすぐ他の部族の野心家で自分の才能に自信を持った若い男に走ったようです。)

2代目の妻=離婚後に付き合った元カノ(この時代の3人の子供達はこの妻との間に設けた子供達です。他の部族の酋長の娘だったようですが、義父は自分の娘の夫としてふさわしくないと考えていたようです。子供を3人も設けたに関わらず、その妻は元の部族へと連れ戻されてしまいました。)

3代目の妻=いっしょにセッションに来た友人(2代目の妻との別れた後、もう結婚する気はなかったのですが、下の二人の子供がまだ幼かった為、その子らの母親として迎え入れました。彼女は初婚でいきなり3人の母親と酋長の妻という大役を担わされオロオロするばかりです。しかし、根がまじめなのでしょうね。もう痛々しいくらい一生懸命自分の役目を果たすのでした。現世の友人にも通じます。)

私は伝説の大酋長の一人息子として産まれ、その跡を継ぐ者として育てられました。父は狩り、戦、部族の統率、他の部族との政治的な駆け引きなどを幼い頃から教えこんでいたようです。
そんな父親に従順に従いながらも平和主義の私は戦いの毎日に嫌気がさしていました。



子供の頃から一人で森に入り、いつまでも時間を過ごしていたようなのですが、この時間がとても好きで充実していたようです。

その森の奥深くに1本の大きな杉の木(レッドシダー、今でも杉の香りを嗅ぐと心がやすらかになるのですがこの時のことを思い出しているのでしょうか?しかし、昔やったアレルギーのパッチテストでは杉花粉に対する反応が飛びぬけて高かったのは何の因果でしょう。)がありました。この杉の木は天まで伸びるほどの高さでした。(セッションの時には伝えそびれましたが、実はこの時その杉の木が俯瞰でも見えました。針葉樹にも関わらず、広葉樹のように広大な範囲に渡って枝が伸び、その枝の先には赤い実がたわわに実ってました。リンゴと杉のハイブリットと言えばいいのでしょうか?とにかくその木が地球全体をしっかり、やさしく包んでいるようなイメージが伝わって来ました。そして、そのリンゴのような赤い実を食べると多くの人が飢えることなく暮らしていけるようでした。)

その大きな杉の木は私の友達であり心の支えでした。私はシャーマンのように、杉の木からのメッセージを伝える役割を持っていました。その杉の木は他の人にとっては何の変哲もないただの杉の大木に過ぎないのですが、私にはその大木の幹が眼が眩むほど明るく輝くのです。周りには羽の生えた妖精(精霊もしくは天使)達が飛び交っています。

なるでこさん「では、その木とお話してみてください。」
私「こんにちは」
杉の大木「久しぶりだね」

確かに、何百年ぶりですもんね。お久しぶりです。

なるでこさんと笑っていると、光り輝く大木の幹に人影が・・・。

ドラゴンボールの亀仙人のようなおじいさん登場です。(アロハなし、サングラスなしです。)
頭はツルツル、右手に先がくるくるっとなった仙人杖、真っ白なローブのような物を着ています。

なるでこさん「もしかして、じっちゃんですか!?」
亀仙人「そうじゃよ(ニカッ)」

じっちゃん、登場です。私のセッションにもメッセージを届けに出てきてくれました。しかし、その話はまた後で。

3代目の妻と結婚した頃に戻ります。
その頃の私は2代目の妻と強引に引き離された影響で色んなことにやる気をなくしていました。とにかく独りになりたかった。森のなかに籠る時間が多くなり、酋長としての役目を半ば放棄していました。といっても、我が部族は初代酋長の影響力が今だ健在で院政のような状態だったので、私がいなくても何の問題もないようでした。
私の長男は、どうやら隔世遺伝だったらしく、先代酋長のDNAをそのまま受け継いでいました。酋長になるべくして産まれてきたような器の持ち主です。私の父親はそんな孫に期待を掛け、私が酋長の座を息子に譲りたいと申し出た時も、何の反対もなかったようです。

一番最初に見た場面は、酋長の座を降り、森に籠ることを決めた日のように思います。少し、さびしい気持ちで山を眺めていました。

そして、親の期待に応えられなかった無念、血の繋がらない子供達の養育を3代目の妻に押し付けてしまう罪悪感を持って森の中に独り籠りました。
しばらくは、杉の大木のメッセージを伝えたり、薬草を届けたりもしていましたが、その内まったく姿を現さなくなりました。
森の中で独り暮らしながら、来る日も来る日も妻に申し訳ないという思いを抱いていました。独り言はいつも「申し訳ない」でした。

この時代の人生最後の日
かなりの高齢にみえました。80歳は超えているような感じです。
洞窟の中で狼に抱かれながら静かに息を引き取りました。

この過去世から学んだこと
今回は、恋愛関係のカルマの解消だったようです。そして、独りになりたがる魂の癖というものも解消しなければなりません。
現世のうまく行かなかった結婚や恋愛を過去世からのカルマの所為にするのではなく、その時代から持ち越した宿題を現世で終わらせるということかなと感じました。
過去世でも現世でも同じことを繰り返して、傷つけ傷ついて来ましたが、その時の自分を許し、相手の事も心から許してあげようよということだと思います。
口では気にしてない、独りになっても全然平気と言いながら、心の奥ではずっと引っかかっていたんですね。
そして、もう独りになってはいけないということ。今回、いっしょにセッションに来た友人との縁をしっかり考えようと思いました。

このセッションにいっしょに来ることができた奇跡、そこに至るまでの過程、両方の過去世に彼女が出てきた意味。
HSさんなかなか粋なことしますなぁ。絶妙です。本当に自分にとって必要な過去世を見せてくれました。

セッションが終わった夜、友人の見た過去世の話を聞きました。その中の一つに私が出てきたようです。その話は友人のレポートにお任せしますが、何だか痺れました。どうやら、アメリカ先住民族時代に私が持ったカルマを、友人が見た過去世で私は必死に解消しようとしていました。結果、がんばりすぎて早くに過労死したようですが・・・。でも、満足感はあったと思います。
翌日、仙台から佐久平までの新幹線はとてもスムーズでしたが、佐久平駅からの車の運転は、道路が凍り始めなかなか大変でした。結局、最後の峠でトラック数台が上れなくなり、遠回りしてようやく家にたどり着きました。彼女の家についてから、私が見たアメリカ先住民族の過去世について全部話をしました。
お互いが、お互いとの縁についてHSに聞きたいと考え、このセッションに臨んで、やはりもの凄く縁が深いということがわかったので、もう迷うことなくこの先の人生をいっしょに歩んで行こうということになりました。
なるでこさんがおっしゃったように、このセッションで魂の再会を果たすことができました。本当にありがとうございました。

今、思い返してみても今まで体験したことがないくらい心震える体験でした。少しは頭のなかに詰まっていた煤が払えたかなと思います。



今回も、上と下の関係者ご一同様、セッションのサポート、誠にありがとうございましたっ!

最新の画像もっと見る