構造主義の続き。
自分たちを苦しめている特定の構造の中に一方的に組み込まれている大勢の人達に向かって、
「思考は現実化する」と説法する自己啓発に、ダブルバインドを思いました。
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ダブルバインド(英: Double bind)とは、日本語訳で「二重拘束」という意味である。
ある人が、メッセージとメタメッセージが矛盾するコミュニケーション状況におかれること。
二つの違う矛盾した意味のメッセージを相手に発することで、相手を混乱させ強いストレスを与える
コミュニケーションの状態。モラルハラスメントやパワーハラスメントの背後にはこのコミュニケーション型がある。
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途中から「あなた次第」と言う詐術。 ――川柳になりました。
反則
頼みもせずに不本意な特定の構造・ゲームの上に強制的に乗せられている人達に
途中から自分次第論をふりかざすことは、詐欺的です。
構造の中にいる人達は、その中で生きることを、同意したのでしょうか?私はしていません。
だから、私は自己決定権というものをとてもいぶかしく思っています。
根本的なそもそも論を差し置いて、「思考は現実化する」とか「自己決定権」とか展開しても、
それらは、無理やりに特定の構造の中に投げ込まれている(不利な弱い立場にいるのが圧倒的多数)
人達に対して、更なる鞭、罰としてしかはたらかないのではないかと考えます。
「自分で決めていいんですよ」「あなた言いましたよね こうするって」「あなたが選択した
んですよね」「あなたが決めたんですよね」「自分で決める権利を行使したんですよ」
少なくとも私は、このような世界を土台から望んでいない。それなのに、否応なしに
取り込まれていて、その中で「自分で決めろ」と言われても。「どれもいや」と思ったりした。
ううん 土台がよければ なんでもいいっちゃん