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構造的暴力

2019-04-24 | 社会・政治のこと

大学時代に平和学の講義で「構造的暴力」について学びました。提唱者のヨハン・ガルトゥングが大学に講演に来ましたが
(教授が彼と懇意、というより同志でした。)
当時私はそれがどんなに価値ある機会がわからず聴講に行きませんでした。後悔しています。

現在88歳で、時々来日しておられるのでぜひお会いしに行きたいです。

興味深いことにガルトゥングは数学者でもあり、教授はもともと原子力分野の研究者です。

 やさしくて知性溢れるおじいちゃん  


構造的暴力(Structural violence)
という言葉は、1969年にノルウェー人の社会学者・数学者・平和研究者ヨハン・ガルトゥング Johan Galtung(1930〜)が提唱した。論文「暴力・平和・平和研究」において、望ましい、追求すべき目標としての平和概念を作るために、その反対である暴力の概念を大きく広げようとした。

彼は暴力を「ある人にたいして影響力が行使された結果、彼が現実的に肉体的、精神的に実現しえたものが、彼のもつ潜在的実現可能性を下まわった場合、そこには暴力が存在する」と定義した。

構造的暴力とは、暴力を行為する主体が存在しない※暴力である。たとえば、不平等な社会において、貧困のせいで人の生存が危ぶまれている場合、危害を与えている人を名指しすることはできないが、構造的暴力がある。行為者側には自覚がない。


※【筆者注】存在しないと言うのが適切かには疑義がある。


直接的暴力(Direct violence):暴力行為の主体が特定できる暴力。最たるものが戦争。

構造的暴力(Structural violence):暴力行為の主体が不明確であり、間接的・潜在的にふりかかる暴力の形態。
                 不平等な力関係、経済的搾取、貧困、格差、政治的抑圧、差別、植民地主義などを差す。


消極的平和(negative peace):直接的暴力がない状態

積極的平和(Positive Peace):構造的暴力がない状態


参照:http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/1418/00153016/26-27.pdf


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構造的暴力を無視したまま、物事は語れない。
 
子ども虐待などのニュースを見て思うが、もしたまたま恵まれてもっている私的なセーフティネット(湯浅誠さんの言う「溜め」)がなかったら、私だって他人事ではない。誰だって。もし、事件を起こした人と同じ境遇に置かれていたとしたら。
 
たまたま私的な溜めがあるからラッキーだという現在の社会では
それがなければ滑り落ちる一方で、なおかつそれに対して分別なき批判を浴びせられる。
 
構造的暴力の視点が抜け落ちていると、パワハラ・モラハラ、セクハラ・DV・性暴力、いじめ、医療事件など
あらゆる分野で判定者や裁判官がとんでもない決裁・判決を下す。それ自体が暴力行為となる。
被害者はさらなる暴力を受けるのである。そしてこの暴力は、日本のあらゆる場面でまかり通っている。
 
 構造的暴力を指摘してくださってありがとうございます。
 
これが目隠しされたまま、色んな詭弁がまかり通っています。この考えが「常識」として浸透するようになって欲しいです。

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