人の頭を踏みつける行為と、踏みつけているその足をどかすように言う行為の
区別がつかない人が、日本には多くいて、足をどかすようにお願いしている人に対する
聞くに堪えない揚げ足取り、攻撃がまかり通っている。
私はそんな日本をお世辞にも民度が高い(麻生氏曰く)とは思えず、民度が低いと感じる。
足をどかすようにお願いすること、抗議することは、攻撃や中傷ではない。
足で踏みつける行為と、その足をどけるように抗議することの区別がつかない人達が多くいる。
この件について、非常にクリアに解説している人がいた。
その決め手は対等かどうかだと。
例えば障害者など特定の相手に対して無自覚に上から目線や差別意識がだだ漏れになっている人や
あるいは、組織内の人に対してパワーをふりかざした言動をする人は、すでにそこから
対等ではなく高い所から一方的に物を言っている。上から目線… そのことに気づいてない…
これに対して物申したり抗議したりすることは、対等目線。これらは全然お互い様ではない。
日本では、批判者や抗議者に対して お互い様 どっちもどっち あなたも同じことしてますよ
あなただって踏みつけている といった言葉が、パワーワードとして至る所で使われている。
尤もらしく発せられるこの言葉であるが、3秒考えればお互い様でないことが紐解けることに対して
濫用されている思考停止ワードである。 本当に、民度が高いですネ…
また、地位、権限といったパワーをふりかざした言動を、その集団の構成員に周知することを
「個人攻撃はやめよう」「吊し上げだ」などというのも、子ども同様の揚げ足取りであり、
少しも当たっていない指摘である。
(関連:民主主義がなければ右でも左でもオーガニックでも腐敗する②)
パワーを背景にした行動をとるからには、その行動は公に周知され、その内容がどうなのかを
判断される責任と一体である。なのに、公に晒されて抗議されると急に「一個人」としての権利を
主張し出すのは、ムシが良すぎるチェリーピッキング(いいとこどりのつまみ食い。詭弁術)である。
You're just saying things that are convenient to you. : 自分に都合のいい事ばっかり言っているよ
権力と個人の権利を、その場その場で自由気ままに使い分けている。
mean attitude petty small-minded :せこい
パワーを振るうからには、公の責任を伴う。それを避けて、急に「一個人」だと言って逃げるような
姑息な人間に、パワーを持つ資格はない。
tiny container
「一個人」
反則
一個人と言うならば、一貫して一個人としてふるまってください。
節操ないのが一番無敵。その場その場で言葉を垂れ流し続けるだけで、責任を一切とらない。
本当に、民度が高いですネ…
日本の雑居的無秩序性 理性の手段化によるモラハラ 空っぽの「モラル」に内からのモラルが潰される