東京大学東洋文化研究所教授 安富歩さんの、対談での発言に共感しました。
::::::::::::::::以下、聴き書き::::::::::::::::::::::
私が一番基本的だと思うのは 民主的ってどういうことか、真面目に考えた方がいいと思う
民主的っていうのは、色んな出来事を トラブルとかあった時に それなんでそうなんだ」って言って
現場で考えて「これでこうなんねや じゃあここ直さんとね」 っていう風にして
できるだけ問題がスムーズに解決されていくように多くの人々が努力し続ける っていうことが
デモクラティック:民主的な 社会を作るんです 人が苦しんでいるの見て
「あんな奴苦しんでたらええねんええねん」っていう感じで切り捨てるんじゃなくて
苦しんだ人が人を殺してしまったとしたら 「あいつ死刑や」とかじゃなくて
「なんで殺してしまったの?」って「どうしてそんなことが起きちゃったの?」って
いう風に考えないといけない
(中略)
議会制民主主義っていうのは、実は非常に非民主的なんですよね
おいもんがっち(多い者勝ちの大阪弁)なんであれはね
民主的であるっていうのは多い少ない関係ないんですよね
そこにいる具体的な1人の人が苦しんでるっていうことがあったら「それはなぜ?」と問う
という姿勢とあれとなんの関係もないんですよ なんの関係もないものを
デモクラティック:民主的っていう言葉で表現してしまうことによって 倒錯を引き起こすわけですよ
だからデモクラティックであるということが 東京都知事選の野党側候補者の一本化が
デモクラティックっていう倒錯を引き起こしてしまうわけですよ (聴いたママ)
非常に共感します。この民主的とはどういうことかの説明って、当たり前の基本ですよね。
東大の先生だけど、なにも難しいこと言ってない。当たり前のこと。
それが、「多数決が民主的」だと曲解されて(故意の場合もある)、倒錯を引き起こしている。
こうした倒錯は、色んな所で起こっている。そしてそれは、言ってみれば非常に日本らしい。
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民主主義の名の元に、誰かの排除が行われている。そういうのを自民党や維新がやるのならわかるけれど、
(かれらは俄かに人権派になったり急に「個人の自由」を主張したりして、目先の目的の為にとってつける。
理性のつまみ食い。 日本の雑居的無秩序性 理性の手段化によるモラハラ)
日頃、民主主義を社会に訴えている筈の人が、「多数決は民主的」という詭弁を使って、内部で
自分に異論する者を弾圧し排除したりする。カルト教祖やそれに似た状態の人がこの手口を使います。
空気を読まないその異論者を除く大勢の人達が自分に組すると知っているからです。
「多数決は民主的」 「だから私の勝ち。お前の負け」
民主主義でもなんでもないものを、自分の為に方便として使っている。
そしてそういう芸当を朝飯前にする人は、偽物です。 You are a pretender.
もし本当に民主主義や個人の尊重や人権を大切に思っているならば、自分の思想をけがすのに
平気なはずがありません。ヒトは感情的な生き物だから、つい低次元な仕返しをしてしまうことが
あっても、平然と、周到に理性を装ってするのが常習ならば、その人は偽物であるどころか
私は、本来は貴いはずの 理念、思想を、このように朝飯前にとってつけて
自在に転がして自らのあまり高尚ではない感情を満たそうとする輩には我慢できないんです。
みつ豆と白玉
(安富さんのすべての発言に共感するものではありません。ビハイア事件での発言など。)