ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。

中立な芸術家などいない

2019-04-25 | 社会・政治のこと

建築家のおじちゃんは、学校も家もその建築物でも

そこでどんな教育がしたいかどういう生活がしたいか、どういう場にしたいかという理念、哲学なしに

設計などできないのに「箱だけ作ってくれればいいんだ」と校長などが言うと話していました。

これは、音楽、美術などあらゆる芸術がそうだと思います。

どう生きたいかや、自分たちの生活する世界はどうあって欲しいかという考えと芸術は分離できないと思います。

もし、分離できると思っているなら、それは芸術と呼べるのか私には疑問です。

芸術とは、本来そういうところから出てくるものだと思います。


だから音楽家や芸術家が、自ら思想的な運動をしたり、自分の理念に近づける役割をする活動団体や候補者を支援したりと

社会的・政治的な運動に関わるのは、私は自然なことだと思います。歴史上の音楽家やロックグループも、そういうことをやっています。

Bob Marleyも、ラスタファリ運動の体現者として、ラスタのメッセージを音楽によって訴えています。

  I love you..

これらを切り離せると思っている人達は「いかなる特定の政治的活動にも一切関与しません」「音楽に政治を持ち込むな」などと

定規で直線を引いたような決まり文句を言います。coolそうに。私はこれに大いなる疑問を感じてきました。

そうやって逃げる人は、世界になにを表現しようというのか… 

時代の潮流に乗じて俄か愛国ソングを書いてしまうような「アーティスト」が、「僕には特定の思想はまったくありませんよ」「右も左もなく、この国のことをちゃんと歌いたい」などと逃げる。こんな人がアーティストだなんて呼ばれてる… 誰かの秀逸なコメント →  ”「特定の思想はない」「右でも左でもない」と予防線を張って自身を天空の上から見下ろすようなポジションにおくような人間に、本気で表現と向き合う覚悟は感じられない。” まさにそれです。

こういう「アーティスト」には、寒いぼが立ちます。「特定の思想はまったくない」のなら、アーティストの絶対条件から外れてる。思想がなくて、なにを世界に表現しようと言うのか… 空っぽな「アーティスト」だと自分で言ってる。

 

 
構造的暴力を教えてくれた平和学の教授はもともと原子力が専門の物理学者ですが

彼も、科学研究と社会理念は切り離せないと言っていました。切り離して進むと過ちを犯すと。現にそうだったし今でもそうだと思います。

ヨハン・ガルトゥングも数学者でもあり、2人は友情で結ばれた同志でありとても興味深いです。

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音楽にメッセージを乗せラスタファリ運動を盛り上げカリスマとなったBob Marleyですが

「もしあなたが大統領に立候補したら、全投票の80%は獲得するに違いないという記事がありますが、立候補する可能性はあるのでしょうか?」との質問にこう答えていました。

「俺は政治を超えたところにいる。俺は政治にとって戦う相手なんだよ。政治はそのために存在する。政治が生まれる前は、世界を支配してきたのは自然だった。俺は自然に従っていたいし、必然的に政治はそれに対抗するものになる。俺がやろうとしていることはありのままの自分であり続けようということだけなんだ。俺たちは今の自分たちから、他のものに変わろうとは思わない。そんなことしても意味はない。政治は俺たちとは逆の立場をとっているし、俺たちも政治を奨励したりはしない。この世の全ての始まりには神がおられたからだ。だから、この世の最高指導者は神であり、政治家などではないんだ。今は連中はまるで神のように振る舞い、崇め奉られているが。」

彼の思想は、政治を超えたところにありました。もっと彼のことを知らねばならない気がしました。

  


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