ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。

建築家のおじちゃん

2019-03-16 | 建築・インテリア

今日も、建築家おじちゃんがうちに来ました。

私は彼と、かなり考え方がかぶる部分があります。おじちゃんは人生の大先輩だから、かぶるなんて言ったら失礼でしょうか。

彼と話していたら本当に学びになります。建築は本当に奥深いです。色んなことを考えないといけない。建築家ってかっこいいなと彼を見て思います。

生き方、哲学抜きに建築はできない。「学校を建てるから設計してください。」「そこでどういう教育をしたいですか?」この展望なしには、建てることなどできない。でも校長は、「ただ箱を作ってくれりゃいいんだ」と言う、そんな話をしていました。

家の支柱の補強の話で、耐震強度が数値的に不合格だった家の、どこかの箇所を強くしたら数値的には合格となる。そうしたら、今度は補強していない他のすべてに悪影響が出て、バランスが崩れ破壊の方向に向かう。そんな例を言われました。「薬みたいだね」と言うと、「その通り」と言って語られました。そういう「対策」は、色んなところであります。

私は都会でのアパート・マンション暮らしをずっとしてきたので、空間を効率的に使おうと発想します。例えば、階段をあがったところの空間には本棚を置いて自分の部屋をその分自由に使えるようにしようなどと、合理的、効率的、あるいは経済的にと発想します。彼はその踊り場に、テーブルとイス2脚を置いてお茶飲みスペースにしようと言いました。花など瓶に挿して。この素敵な発想は、私には思いつきませんでした。


おじちゃんの発想を聞くと、風がふわっと通ったような気持ちになります。最大公約数を求めるような自分の考えに気づきます。彼は、既存の制約(それは実は自主規制だったりもします)に基づいて理に適ったことをではなく、こういう生活をつくっていくという発想なのです。彼はとてもすばらしい建築家だと思います。

こういう為に作ったのに、そう使われていないということも起きます。計画通りにはならんと言っていました。家の近くの川沿いの野原のテーブルとベンチを思いました。それは、あまり誰も使っていません。でもそこにそれがあるのとないのでは全然違います。それがそこにある風景が、毎日見る人にとって意味があります。ただの野原ではなく、誰かの心意気をいつも感じるからです。


私と好みが違う部分もありますが。プライベート空間への渇望がある私に対して、彼はそういうのはないです。私は籠りたい派で、彼は開けたい派です。家のトイレの室内、特に壁紙と天井がとても気に入っていて、これと同じ物がいいのですが。「色々あるから」と彼は言い、私は全く同じのがいいです。トイレは、子どもの頃初めてドアを開いて入った時からずっと気に入っています。

彼は自分で家も野菜も作り、薪を割ってお風呂をわかし、魚は裏の佐田川で獲って、自分で料理しています。自分で獲れる動物以外、食べません。作った住まいはガウディのようにずっと進化中です。最後に生き残るのは彼だろうと、見ていて思います。

編集中


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