宝漁り
先日、廃業して何年もそのまま閉鎖されていた医院の前を通ると、いくつかの
窓が開け放たれて、今までは広々と放置されていた駐車場には、廃棄されようとする
事務用私財がたくさん置いてありました。廃業閉鎖してずっと無人館でしたが、沈黙が破られて
動きが始まったようでした。雨が降ったせいでその私財群には水がたまっていました。
こういうのとか、椅子とかPC机とか。
次の日にも行ってみると、建設業者が、館内に置き去りになっている私財の廃棄に
勢いよくとりかかっていました。私は作業のおじちゃんをつかまえて話しました。
「これ全部捨てると?」「棄てると」そのおじちゃんは私が続きを言う前に
「なんでん好きなの持って行き。」と言いました。
跡地を買う人が現れたそうです。その人は有名なお金持ちの事業家です。
それで、私はその懐かしの廃医院の中に入って、持ち帰る物を探し回りました。
ミステリアスな医院中を自由に探検して回れるのと、なんでもただで持ち帰っていいのとで
とても楽しかったです。作業員のおじちゃんたちは、私が1人紛れているのを邪魔に思わず
「こんなのあるよ」とか親しげに話しかけてくれ、楽しい1日となりました。
「持って帰るのを全部ここに置いとき。後で軽トラで運んじゃるけん」と言ってくれました。
私はAT限定で、ミッションの軽トラは運転できないので、おじちゃんが家まで運んでくれました。
レターケースなどの文房具、真っ白な大量の紙、分厚い高級紙、車輪つきの物置き台、
パイプ椅子、木で手作りされた簡易棚、とても分厚くてだだっ広いまな板、量り、壁掛け時計、
テーブル、茶色やコバルトブルーの薬瓶、額に飾られた絵画、ステンドグラス、
木製民芸椅子、木製ソファー、籐の家具…etc をもらって帰りました。
私が1番欲しかったものは、なかったです。ミロのヴィーナス像が、階段の踊り場にあったんです。
複製でも高価なようで、なくなっていました。
もらわなかった私財は、廃棄の大きなコンテナに投げ入れられていました。
雛人形とかも、廃棄コンテナに入っていました。そういう棄て方が忍びない私財は、別に集めて、
なるべく売ったり誰かに譲ったりしたいものですが、なんでもかんでも、材質ごとのコンテナに
放り投げられていました。だから私は、なるべくたくさんもらいました。
まだずっと使い続けられるのに捨てられるのがもったいないし、捨てられるその方法は
血も涙もなく可哀そうだからです。
医院を探検して、懐かしかった一方で、ショックなこともありました。
入院患者用の部屋群は、窓の外は隣の工場の屋根という殺風景な部屋で1人当たりの空間も狭いのに
応接室はとても眺めのいい余裕のある部屋となっていたし、他の眺めのいい気持ちのいい部屋には
麻雀卓があって、そこで医院関係者が麻雀をしていた?ように見えます。廃業してから
そこに置いたのかもしれないけど…。医院関係者用の珈琲セットなどもありました。
いずれにせよ、患者を狭くて暗い部屋に押し込めて、快適な入院生活というのを
三の次にしている設計となっていました。昔の医院設計は、こうなのでしょうか。
また、医院関係者しか入らないガレージ兼物置き場に、職員への悪口の落書きがありました。
他のスタッフは屋根なしの駐車場にとめ、そのガレージにはおそらく医院の先生が
駐車していたと思われます。そこに「車に傷をつけるやつがおる 撲殺するぞ
馬鹿につける薬はあるか ←――馬鹿は死んでも治らない」と書いてありました。
まさか、あの先生(私も知ってます)が、こんな落書きを… ? ?
私の子どもも可愛がってくれた、あの先生…
まさか あの人が、こんな落書きを 違うよね そんな筈は じゃあ誰が書いたんだろう
ショックをうけ悩みました。でも、あのガレージに駐車する人は特権的立場の人で、状況からは
医師以外に考えにくい…
この落書き(と麻雀卓)を見なければ、ずっと、懐かしい医院の想い出のままだったのに。
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持ち帰った私財は、庭の井戸水できれいに洗って、太陽の光で乾かして、うちで大切に使います。