先週に引き続き千代田線の綾瀬車両基地に行ってきました。
→ 前回のブログ記事はこちら

住宅街の中にある車両基地には千代田線で活躍する6000系車両が出番を待って休んでいます。先週は屋根の付いている車庫の中に3000系はいました。
今日の東京の天気は
で、暖かったのてくてく歩いていってみることにしました。 

今日は車庫から外に出ていました。
冬の光をマッコウクジラとよばれる顔いっぱいに浴びています。
ところで、私の記憶の日比谷線で3000系電車は8両編成で活躍をしていましたので2両というとちょっと短いな~というのが率直な感想なのですが、実は1961年(昭和36年)の開業当時は2両編成だったらしいのでオリジナルな姿なんですね
→ 日比谷線の詳しい沿革については、Wikipedia に詳しい記述があります。

ところで、3000系電車を違う角度から見れないのかと周辺にある団地の非常階段に登ってみました。
横から見ると6000系の先頭車両1両分後方に留置されていて詳細に見ることが出来ません。
車庫の後方には住宅街と首都高速6号線の高架橋が見えます。

もうちょい寄って見ました。額の部分しか見えません。
こののっぺりとした額がマッコウクジラと呼ばれるモトだったようです。
3000系電車、実は千代田線やJRで走る電車よりも2メートル短い18メートルの長さなんだそうです。東京オリンピックが行われる以前に開業した当時はこんなに乗客が増えるなんて予想だにできなかったんでしょうね。
だって、東武線、東急線から乗り入れるだけでは乗客をさばき切れなくなって半蔵門線や南北線、三田線と乗り入れをしているくらいですから・・・

デジタルズームで更に寄って見ました。
さあ、この3000系どのように保存されるのか益々気になるところです。
→ 営団3000系の詳細は、Wikipedia に記述があります。
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住宅街の中にある車両基地には千代田線で活躍する6000系車両が出番を待って休んでいます。先週は屋根の付いている車庫の中に3000系はいました。
今日の東京の天気は



今日は車庫から外に出ていました。
冬の光をマッコウクジラとよばれる顔いっぱいに浴びています。
ところで、私の記憶の日比谷線で3000系電車は8両編成で活躍をしていましたので2両というとちょっと短いな~というのが率直な感想なのですが、実は1961年(昭和36年)の開業当時は2両編成だったらしいのでオリジナルな姿なんですね

→ 日比谷線の詳しい沿革については、Wikipedia に詳しい記述があります。

ところで、3000系電車を違う角度から見れないのかと周辺にある団地の非常階段に登ってみました。
横から見ると6000系の先頭車両1両分後方に留置されていて詳細に見ることが出来ません。
車庫の後方には住宅街と首都高速6号線の高架橋が見えます。

もうちょい寄って見ました。額の部分しか見えません。
こののっぺりとした額がマッコウクジラと呼ばれるモトだったようです。
3000系電車、実は千代田線やJRで走る電車よりも2メートル短い18メートルの長さなんだそうです。東京オリンピックが行われる以前に開業した当時はこんなに乗客が増えるなんて予想だにできなかったんでしょうね。
だって、東武線、東急線から乗り入れるだけでは乗客をさばき切れなくなって半蔵門線や南北線、三田線と乗り入れをしているくらいですから・・・

デジタルズームで更に寄って見ました。
さあ、この3000系どのように保存されるのか益々気になるところです。
→ 営団3000系の詳細は、Wikipedia に記述があります。