今、明石文化博物館の前にいます。
この博物館では、常設展示で、明石のあけぼのをテーマに、明石が200万年前に大きな湖の底であった時代からたどることができるようになっていました。
アカシゾウやシカマシフゾウなど、今の日本にはいない動物が住んでいたようです。
明石原人の展示もあります。
この人類の腰の骨は、1931年に大久保町の西八木海岸の更新世の地層の中から発見されました。
いろんな人の研究をへて、6から7万年前に旧人に相当する人類がいたことがほぼ確実になったということです。
このほか、常設展には明石に関したいろんなテーマが設定され、常設展のほかに展覧会やいろんなイベントもあるみたいです。
今日は、中に入りません。
ここから、いよいよ明石城に向かいます。
地図の黄色の線に沿って番号順に歩いていきます。
明石城の東丸へ行く入り口から入りました。
明石城の案内の地図があります。
(少し小さくて見にくいですね。)
東丸へ入っていきます。
東丸へ来ました。
その隣の二の丸です。
向こうに見えるのは、「巽櫓」........。
巽櫓の先は本丸です。
この櫓の手前を左に降りていき、「巽櫓」と「坤櫓」が写真によく写る場所に行きました。
明石城誕生400年になるそうです。
その時のテレビのニュースで、この場所が2つの櫓を撮影するベストポジションだとのこと........。
手前が巽櫓で、遠くの方が坤櫓です。
かっては、本丸の四隅に櫓がありましたが、今に残っているのはこの2つです。
再び石段を上がり、2つの櫓の間に設けられた高台に行ってみました。
高台からは塀越しに外が見れるようにできています。
南の明石駅の方を見ています。
この高台から坤櫓を見た風景......。
ここから、天守台の方へ行きます。
向こうに見えるのが天守台。
天守台への石段を上がりました。
天守台の上です。
この上から、坤櫓の方を見た風景......。
左側の遠くに、小さく明石海峡大橋があります。
(世界一長いつり橋です。)
ここの天守台には、天守は造られませんでした。
徳川幕府が、西国の外様大名の抑えの城として重要な城でした。
1617年、信州松本藩主より、小笠原忠真が明石藩主となります。
明石城の築城と並行して、城下町の町割りも実施され、当時、小笠原忠真の客分だった宮本武蔵が指導したと、いろんな史書に記録が残っていました。
明石城は、別名「喜春城」、「錦江城」とも呼ばれます。
ここの天守台の上で、昔に想いをめぐらせながら、ひとやすみします。