ウォーキングと旅行でのひとり言

城下町 明石 散策 その4

今、本松寺の入り口にいます。

ここは、宮本武蔵が作った庭で有名です。





石段を上がって、中に入らせてもらいました。


本堂です。





ここの右側から裏にまわると、宮本武蔵の作った庭がありました。





ここから、庭に入ります。





庭園は、さきほどの本堂を背に、庫裏書院に面した枯池式枯山水庭園でした。








浅い枯池を穿ち、軽い築山を東西二箇所に築いています。

そして、谷を渓谷にして枯流れとし、切石橋が架かります。


武蔵は、元和四年(1618年)築城の始まった明石に来て、小笠原家の客分になりました。

余談ですが、この寺には、ジャイアント馬場さんの墓があります。


元の本堂に戻り、





次の観光ポイントの「妙見社」に近い出口から出ました。


出口にかかっていた説明板。







次の地図の黄色の線に沿って番号順に歩いています。






次に、6番の本松寺から7番の妙見社へ歩きます。


1分もかからずに、すぐ隣の「妙見社」に来ました。






妙見社の創建は不詳ですが、隣接する本松寺の鎮守社として勧請されたそうです。

一説には、石田三成の家臣の島左近によって祀られていた妙見尊像が御神体だったとのこと。

“三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と 佐和山の城”


妙見社の拝殿。






ここから、次の観光ポイントの「明石神社」に向かいます。


ちなみに、私は観光ポイントを決めて、計画して、ウォーキングします。

全然違いますが、競技種目のオリエンテーリングをイメージしながら歩いています。


約2分ぐらい歩くと、途中に「明石上ノ丸教会」がありました。





鐘楼の切り妻屋根の下に壁面日時計があります。

明石らしいと感じました。

教会の間近を、東経135度の子午線が通っているようです。


ここから約3分で、「明石神社」に着きました。





9代の明石城主松平直常が、松平家の先祖の徳川家康、松平直良、直明の霊を祀ったのがはじまりです。


明石城築城当時から明治維新までの250年間、太鼓門に置かれて城下に時を告げていた「明石城太鼓」。





光って、ちょっとわかりにくいですね。

想像していたより、神社は新しすぎでした。


次の目的の「文化博物館」に向かいました。



6分ぐらい歩いて、道路を渡る陸橋に⋯⋯⋯。





前に見えるのが、「市立文化博物館」の建物です。


陸橋を渡って⋯⋯⋯





表の入り口に行きます。


文化博物館の入り口に来ました。






ここで、ちょっとひと休みします。
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