武家屋敷群と城への分岐点にいます。
ここを右に行くと城に行けます。
城への道を歩きます。
知らない土地へ来て、初めて見る風景はいつも楽しみでした。
上の地図の、月岡神社と上山城の間の道を歩きます。
ちょうど、城の裏をまわって、行く感じでした。
途中に足湯に入れる場所ががあり、いかにも温泉町だと思いました。(しかも、城のすぐ近くの公園にです。)
上山城(月岡城)の正面に来ました。
南北朝時代の天童頼直(最上氏の祖 斯波兼頼の孫)の子「上山満長」が上山に配されたことに始まります。
この後、伊達、上山、最上がここをめぐって争います。
城が、一番存在が大きかった時には、本丸に三重の天守や各所に櫓門がありました。
月岡・天神森にそびえるその壮麗な城郭は「羽州の名城」として有名です。
時代の流れと共に、目まぐるしく城主が入れ替わりますが、最後に藤井松平家が封じられ、その後明治維新まで藤井氏が当地を治め、10代信安(3万石)の代まで居城としました。
午前9:00から16:45の開館で、すでに閉っていました。
ここから、月岡神社に向かいます。
月岡神社に来ました。
ここから、先ほどの城が、木々の間から見えました。
月岡神社の拝殿です。
月岡神社の御祭神は、藤井松平家の利長公と信一公だそうです。
もちろん、松平家は徳川家康につながる名門の家です。
藤井村(愛知県安城市)に住んでいたことから藤井松平と言いました。
利長公は、藤井松平の始祖です。
2代目の信一公は、家祖として武勇の誉が高く、群雄が割拠する戦国時代に家康とともに信長に仕え、「桶狭間の戦い」に参加します。
その後も徳川援軍の将として、「姉川の戦い」、「長篠の戦い」、「小牧長久手の戦い」などの戦いに常に参加して、武功を挙げ勇将・猛将として天下に名を轟かせました。
私も歴史小説が好きでよく読みましたが、そんなすごい武将がここの御祭神とは驚きました。
そんなことを知ってか知らずか、二人の女性がお参りされていました。
境内にあった凄い松です。
ホテルの周りに素敵な場所がありました。(このウォーキングには充分満足です。)
ホテルに戻ります。
ホテルのロビーからガラス越しに見たお庭です。
このホテルは武家と関係があるのでしょうか?…………、素敵な鎧、兜が飾ってありました。
ちょっと良いなあと思ったのは、ここらあたりの方言を書いた書道作品です。
これから、温泉に入ってゆっくり疲れを取り、夕食です。
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