goo blog サービス終了のお知らせ 

世界☆遊悠トラベラー

トルコ、タイ、マレーシア・・・次はどこに行こうかな?

モロッコ編19:カラテさんとマラケシュ観光6

2010-08-12 09:52:05 | おかぴのモロッコ
これからバヒア宮殿の中に入ります

バヒア宮殿については、「るりさんのモロッコ編」も併せてご覧くださいね!




19世紀に建設されたバヒア宮殿は、「輝く宮殿」とも呼ばれ、スペインのグラナダにあるアルハンブラ宮殿にも劣らない美しさと言われています。『地球の歩き方』によると、大邸宅の周囲に大きな庭園が巡らされ、当時のスルタンの4人の妃と24人の愛妾用の個室、子どもたちの勉強部屋などがあるそうです(カラテさんによると、子どもたちは200人以上いたそうですよ)。
各部屋の細密なモザイクなどの美しさはもちろん、部屋を仕切るアーチの形は、ムーア式、アラブ式などいろいろな形があるそうなので、それらも見学のポイントです。
バヒア宮殿には現在も国王が宿泊されることがあるそうなので、ここを王妃様と一緒にあるくこともあるのかな~、なんて、ついつい想像しちゃいます。



■庭園も輝いていました
さて、一歩宮殿に足を踏み入れると、庭園にはお花が咲き乱れていました


まずはピンクのブーゲンビリア。私、この花大好きなんですよね
ちょっと離れたところから見た方がキレイだったかな。



散った花びらが陽射しを浴びています。



こちらは黄色のブーゲンビリア。
黄色なんてあったんですね。知らなかった~。





この紫の花はジャカランダ。う~ん、名前の響きもステキ。
ジャカランダは、何かに“紫のサクラと呼ばれることもある”と書かれているのを読んだことがあるのですが、遠くから見ると本当に満開のサクラみたいで、何というか、雲のような薄くけむった感じが本当に美しいです(ちょっと、この写真はイマイチですけどね)。



こちらはジャカランダのアップ。



近くで見ると、また印象がぜんぜん違います。
遠くから見た方がキレイかな?




色気より食い気、という皆さんにはバナナ。
この赤紫のような、グレーのような、モリッとしたところがお花です。


想像してたのとぜんぜん違う・・・
なんとなく、白い花が咲くような気がしていたので(笑)



■宮殿内部に潜入です

まずは、会議室だったお部屋。

『地球の歩き方』に愛妾用の会議室って書いてあるのがここだと思いますが、ホントかな?
いったいなんの話をするんでしょう?
「私の部屋は日当たりが悪いのよ」
「あら、私の部屋は、窓がないのよ」
「側室No.3のところには、窓に装飾まであるそうじゃない?」
「じゃあ、スルタンに、私たちのところにも作ってって言わなくちゃ!」
とか?



他の観光客の皆さんも、そんなことを考えているのかいないのか・・・。


柱の装飾も素晴らしいですね。





続いてはお妃様のお部屋。4人のお妃様のほかに24人も側室がいるなんて、たいへんそう・・・。
イスラム教では、奥さんは4人まで持っていいそうですが、そのかわり、何から何まで平等に扱わないといけないそうです。
側室の扱いはどうなんですかね?
お気に入りの側室のところにばっかり通うこともあるんでしょうか?
(っていうか、側室を24人も持てるなら、奥さんを4人と限定する意味ってなんなんでしょう? 側室はスルタンだから許されるのか?)

でも、カラテさんの話では、天井の装飾などは最初のお妃様(第一王妃)の部屋が一番豪華で、あとになるほどシンプルになるとのことでした。
一見したところでは、デザインの違い、くらいにしか思わないですけどね。



会議室の天井の方が豪華だけど、こっちの方がかわいらしいな




ここの天井も、またステキです。




こっちはステンドグラスがとってもキレイですね




この扉はどこのだったかな?
柄が女性らしくてかわいらしいです。
いかにも作られた当時のままといった感じの古さが、またいいんですよね~。




この穴、なんだと思います?
実は、猫ちゃんが出入りするための穴だそうです
マラケシュは、冬は氷点下になることもありますが、夏の日中は40℃を超え、それどころか、実際に住んでいる方のブログを読んだら、60℃を超えることもあると書かれていました。そのため、夏涼しく、冬は暖かいよう、この宮殿も壁が非常にぶ厚く作られ、天井も、見えているのは飾り天井でその上に実際に天井があり、扉も二重扉だそうです。そして、夏でも朝晩などは冷え込むので扉を閉めるのですが、そのときに、猫ちゃんが自由に出入りできるように、ということで穴が開けられたんだとか。
こういうのを見ると人間臭さが伝わってきて、なんかほのぼのしちゃいます。


では、上の話を踏まえたうえで、次の写真はなんでしょう?



これは箪笥、ではなく、窓です。
やっぱり二重になっているのがわかりますか?
外側の扉を開くと外が見えて、風が通ります。
色遣いや装飾がすっごくかわいらしいですよね
ちなみに、ここは側室のお部屋です。


側室のお部屋は、長屋風に1つの建物が壁で仕切られているのですが、間に挟まっているお部屋は窓がないところもあります。
・・・なんか、そんなお部屋があてがわれたら、同じ側室として残念ですよね



このお部屋は端っこなので、窓があって、しかも、こんなに素敵な装飾まであります。
こんなところに、スルタンの気持ちが見え隠れしているような・・・。
窓からの強い陽射しと部屋の内側の影、このコントラストがなんともアラブっぽくって大好きです。




回廊の内側から外を見る感じも、光と影のコントラストがなんとも言えません。
私の中では、アラブは太陽ではなく月、光ではなく影、昼ではなく夜のイメージが強いですが、実際に、“14番目の月”という“満月”を指す言葉が美しい女性の形容詞だったりするそうです。
すっごくロマンチックですね

暦は太陰暦ですし、モロッコ、アルジェリア、チュニジアなどの地域を指して「マグレブ」と呼びますが、これは「日が没するところ」という意味だそうです。
つまり私たちは、“日出ずる国”から“日沈む国”へと旅に来たのです。


・・・つづく。

モロッコ編18:カラテさんとマラケシュ観光5

2010-08-05 09:59:33 | おかぴのモロッコ
ところで私たち、どこに向かってるんでしょう?
目的地は結構遠いようで、サアード朝の墳墓群を出て10分近く歩いた気がしますが、まだたどり着きません。


いくつもの路地を抜け、




素敵なドア(多分、リヤドなんでしょうね!)の前を横切り、




不動産やさんの前で立ち話。



リヤドが1千万円程度で売りに出されていました。
もういっそのこと買っちゃうか  などと半ば本気で考えつつ、スパイスやさんの前を通過。

 

と、思いましたが、この茶道でつかう茶筅のようなもの、なんだと思います?
実はこれ、モロッコの爪楊枝だそうです。
棒状になったところを1本1本はずして使います。
タマリスクとかいう植物の花の部分を乾燥させたもの、と言ってたような気がしますが、植物の名前は定かではありません(インターネットで写真を調べたら、ちょっと違う気もするし、違ってるかも)。

あと、その右隣に売っている丸い土器のかけらのようものは口紅です。
表面にお花から取った色素が塗りつけられており、指先に水をつけて表面をなで、指についた色素を唇に塗ります。結構発色がいいので、塗りすぎにはご注意を!

とか何とか言っているうちに、やっと目的地に到着。
着いたのはバヒア(バイア)宮殿でした。



12時までに入らないと、15時まで休憩になってしまうので、急いでいたようです。
時計は見ていなかったのですが、このときはおそらく、11時40分くらいだったのでしょう。
ちなみに、先に行ったサアード朝の墳墓群は、11時45分から14時30分まで休憩だそうです。
休憩、長すぎじゃない
ということで、次回はバヒア宮殿の中に入ります。

・・・つづく。

モロッコ編17:カラテさんとマラケシュ観光4

2010-08-02 10:05:37 | おかぴのモロッコ
サアード朝の墳墓群を出て、再びメディナの中を歩きます




相変わらず周りをキョロキョロしたり、




約800年前のものがそのまま残っているという古い城壁(崩れかかってボコボコしている部分)の写真を撮ったり。


そして、ふと通り沿いの家のドアを見ると、ファティマの手を発見





このちょっと古い感じが、また味があって素敵です。
ファティマの手はいわゆる魔除けで、町を歩いていると、家のドアのノッカーなどとして使われています。
ファティマの手の詳しい由来については、“るりさんのモロッコ編”をご参照ください。

こちらは何の変哲もない入り口ですが、庶民のためのハンマムだそうです。



ハンマムは、トルコにもあるのでイスラム式なのかな~?とも思いますが、つまりはお風呂です。実際に入ったことはないのですが、パンツははいたまま入るそうです(男性は腰に布を巻いたりします)。中はスチームサウナのようになっていて(暑い部屋と少しぬるめの部屋がある場合もあり)、まずは部屋の中央の大理石などの台の上に座ったり寝そべったりして汗を出します。お願いすれば、有料であかすりやマッサージが受けられますが、それをする専門の人が“ケセジ”です。
ケセジさんは、男女問わずたくましい体躯の方が多く、寝そべった人を結構豪快に布でゴシゴシとこすります(テレビで見た)。
その姿は、マッサージと言うよりは、プロレスの技をかけられているかのような感じ。
右に左に転がされ、頭を洗った泡で顔も洗われ(もちろん身体も)、最後に頭から ジャーッ と豪快にお湯をかけられて終了です。
その間、洗われている人が何を言おうと問答無用。
一回試してみたいな~と以前から思っているのですが、なかなかチャンスも勇気なく。
イスラムの女性は、外では布で頭や顔を覆ったりしていますが、ここではみんなすっぽんぽんで、お互いあかをすりあいながら、世間話に花を咲かせたりするそうです。つまりは、社交場なんですね。






こちらもハンマムですが、ヘタウマな感じのイラストがなんとも言えません。
キレイそうだし、入り口が男女別々になっているので、観光客用かもしれませんね。
通常、庶民のハンマムは、時間で男女が区切られ、入れ替え制になっていることが多いそうです。

・・・つづく。

モロッコ編16:カラテさんとマラケシュ観光3

2010-07-30 11:18:47 | おかぴのモロッコ
アグノウ門を抜け、いよいよメディナの中に入ります
入ってすぐのところには、何軒ものおみやげ屋さんが並んでいます。



これはスパイスのようですね。
お店の前に座っているおじさんが、なんとものんびりしたムードを醸し出しています。

立ち寄ってみたい気持ちをぐっと抑え、またもや必死でカラテさんの後をついて行くと、到着したのはこちら。



サアード朝の墳墓群でした。

サアード朝は、1549年~1659年までモロッコを支配した王朝です。それまで、いくつものベルベル王朝が勃興を繰り返し、一方で、ポルトガル勢力によって大西洋沿岸の主要な港町を支配されたりしていましたが、その後、イスラムの開祖である予言者ムハンマド(モハメッド)の末裔とされるムハンマド・エシュ・シェイフがモロッコを統一して新しい王朝「サアード朝」を設立し、マラケシュを首都としたそうです。つまりここは、そのサアード朝の代々のスルタンの霊廟というわけですね。
『地球の歩き方』によると、この墳墓群にはもともと、モスクの方から入る道があったそうなのですが、サアード朝の後のアラウィー朝(1666年~)の王のうち、モロッコ王国の基礎を築いたとされるムーレイ・イスマルが道と霊廟を壁で囲ってしまったので、1917年に空から発見されるまで、誰にもその存在を知られていなかったそうです。こういう話を聞くとワクワクしますね


ということで、早速中に入ります。
入り口では猫ちゃんがお出迎えしてくれました。



入場料10dhを払い、幅1mくらいの狭~い通路を通り抜けていくと、急に空が開けます。



欧米の観光客でいっぱいです。
囲いのようになっているところの内側にあるのは、たくさんのお墓。





この下側の、丸くなっているところが頭のある方だそうです。

そして、たくさんの人の列ができた入り口を入ると、そこには、サアード朝の全盛期を築いた黄金王アフメド・アル・マンスールのお墓がありました。
(中を自由に歩けるわけではなく、途中に柵があり、その手前から中を見ます)



12本のイタリア産の大理石でできた柱があるので、「12円柱の間」とも呼ばれているそうです。
手前の3つのお墓が一番大きいのですが、これがアフメド・アル・マンスールのお墓だそうです。
後ろは、その直系のお墓でしょうか?
モザイクが壁一面を飾り、荘厳な雰囲気が漂っていました。

・・・つづく。

モロッコ編15:カラテさんとマラケシュ観光2

2010-07-26 10:26:16 | おかぴのモロッコ
クトゥビアをひとしきり満喫した後は、メディナ内の観光名所を巡りました。

事前に行きたいところをお伝えしておいて、どんな順番で回るかはカラテさんにお任せしていたので、どこに行くのかよくわからないまま、後について歩きます
日本で読んでいたブログに、「モロッコの人はよく歩く」という記載があったのですが、そのせいでしょうか? カラテさん、ものすごく歩くのが速く、私たちはついて行くのに必死

しかも、見るもの見るもの珍しく、あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロ。
そして、後ろからついてくるYさん、Mさんを時々チェック。2人とも、私より10cmほど背が低いので、ほとんど小走りになっています。
こんなにキョロキョロしてたら迷子になりかねないのに、それでも、見ずにはいられません。
だって、もっと“いかにも観光地”だと思っていたのに、意外にもそこには、モロッコ人のリアルな生活があったのです。
バスを待つ人の列、お買い物中のおばさん、知人と立ち話に花を咲かせているおじさん、そして、女性の、男性の、子連れの物乞い・・・。道路は段差だらけだし、車も結構多いので、身を守るのにも必死です。

あっ、しまった



馬車が来たので思わず写真を撮ったら、怒られちゃいました
ごめんなさ~い
しかも、本当は馬が撮りたかったのに、カメラを構えるのが間に合わなくて、写ったのはお父さんと、その息子らしき2人の若者だけでした・・・。

モロッコでは、特に年配の人には、写真を撮られたら魂が吸い取られて寿命が縮まると信じられているそうで(カメラが入ってきたばかりの頃の日本人と同じですね)、写真を極端に嫌う人がいます。また女性は、イスラムの国では基本的に、身内以外の特に男性に顔をさらすことを嫌いますので、「写真とってもいい?」とお願いしても、断られることが多々あります。
さらにマラケシュは、雑誌の取材や映画・ドラマの撮影が多く、一般の人にも、写真を撮られることがお金になるという認識があるそうです。だから、勝手に、しかもお金を払わずに写真を撮ると、怒られてしまうのです。
(まあ、私だって、街中で突然観光客に写真を撮られたら、ビックリはしますわね。怒りはしないですけど)


あっ、また来た~



今度はバッチリじゃん
これは観光用の馬車でクチというものです。わぁ~、乗りた~い、というか、自分で操縦した~い
 *本当は馬車は操縦、運転ではなく“御する”というのが正確な表現のようですよ。


と、思っていたら、突然目の前に現れましたよ。



アグノウ門です。まずはここに向かってたわけですね。
アグノウ門は、マラケシュのメディナの城壁にいくつかある門の1つです。
昔はここに、処刑された罪人の首がさらされたこともあったそうですよ。
門の左右の下の方に大砲が2門据えてありますが、こんなに小さくても“大砲”って言うんですかね・・・。
アグノウ門の説明については、“るりさんのモロッコ編”も併せてご参照ください。

テレビや雑誌などでも見ていましたが、生アグノウ門はまた印象が違いますね。
意外と、普通の通り沿いにさりげな~くあって、第一印象は、「あれ? これがそう?」みたいな感じです。
ちなみに、カラテさんの話では、門の両脇の赤い城壁にポツポツとあいた穴は、城壁を作る際に足場にする木を刺したのだそうです。つまり、上のほうを作るときは、その木をハシゴ代わりにしたということです。
で、木を抜いて、残ったのがこの穴。
・・・ふ~ん、塞がないでそのままにしてあるんですね。


うわぁ~、門の上にコウノトリがいる



ちょっと遠かったので写真がモヤっとしていますが、ちゃんと撮れました。
考えてみれば、生でコウノトリを見たのは生まれて初めてです。
この大きな鳥が街の上空を飛んでいる姿は、なかなか迫力がありました。

・・・つづく。