意識の話つづき
レッスンでの実例とで説明しますと、
正座の「前」をレッスンしている場合
《手を柄にかける前後から抜き付け終えまで》
☆脇は絞めて、肘は開かない☆
この真逆をやって前を抜けば
100%注意されます。
大会や奉納演武など人目に触れる場合は
そうなんですが
居合を武術として稽古を受ける際には
100%そうしないといけないは、
間違い、誤謬となります。
さて、意識(氣)の話です。
私は、複数の居合道の先生の前でわざと
肘を開き気味(ちょっと語弊ありですが)で抜いてみたとき
肘は開き気味なので気をつけるように注意を受けました。
これは至極当たり前の指導で、
間違いはありません
肝心なことは、
私なら次のように言います。
肘を意識して前を抜くのは重要です。
どうしてかというと、
人間の骨格上の理由からと
姿勢からの理由からです。
その2点を今から説明しますので
一緒に@@と@@を意識して
外に出て散歩しに行きましょう。
骨格と姿勢についてある形をとることを教えることと
同時に
その際の意識する内容をも合わせて教えて
さらに
その理由をきちんと合理的に、
生徒さん、つまり相手に腑に落ちるように
レッスンしていきます。
そんな先生は見たことがないし、
聞いたこともない
かもしれませんが、
実は私も長年そうおもっていました。
が、
いろんな個人の武術家や居合道の諸連盟
空手、合気道、拳法家などで
たったお1人のみそういう方がいらっしゃいます。
それはともかくとして
意識の操作(レッスンも)
ことばで教えるだけでは相手に何も
伝わったこととはならないものです。
つまり、
先生と生徒との間に
同じ意識状態をもち(共有)
ある行動を伴った場合のみ
感覚・客観的事実として自身の身や外の世界に対して作用がおこります。ここまでレッスンがすすんだところではじめて武術として生徒さんの一身上に変化(技化)がおきます。書いてることは難しいですが、現実は至ってシンプルなものですよ・・・(A)
では、「前」を抜くときに
肘を開いて稽古する時もあるというのは
あるとして
審査時や人前での演武、さらには
実戦として(仮想の)はどうなのかという
当然の質問があると思います。
(A)を通過できた方にとっては
もう肘にこだわらなくても
意識の操作で何とでもできる
そういう次元へと進むことが出来ます。
そこは、意識の話の中でも
極意レベルの所です。
誤魔化しているわけではなくて
本当の話です。
当然のこととしてお分かりの
先生方、武術家にとっては
極意といっても簡単で、なんのこともないことです。
本日は、わけのわからない話と
なったかもしれませんが
《極刀クラス》のレッスンの概要を
文章化してみました。