前に藤井美帆さんの記事を書きましたが、私はバレリーナの去就について結構興味があります。
どんなにトップで踊るバレリーナにも引退の時期が来ますよね。
どんな引き際をするのか。
何歳で辞めるのか。
引退後はどんな生き方をするのか。
ということに興味があるのです。
大体、外国で長年踊って、日本に戻り、最後の数年を踊って引退するというケースが多いようですね。
そんな中、引退しても日本に戻らず現地でバレエ教師をして生きるという選択をした方がいます。
パシフィックノースウエスト・バレエの中村かおりさんです。
中村さんはシアトルにあるこのバレエ団でプリンシパルとして活躍した後、付属のバレエ学校でバレエ教師として生きる道を選びました。
45歳が定年のパシフィックノーストで、「ちょっと早めに辞めたい」との考えで44歳で引退したそうです。
引退公演では中村さんのポスターがシアトルの町に貼られたとのこと。
シアトルの日本人と言えばイチローですが、イチローほどの知名度はないものの、シアトルで長年踊ってきたバレリーナとして中村さんがいかに愛されていたか判ります。
「まだ踊っているの?と言われるより、惜しまれる内に辞めたかった」というご本人。
中村さんらしい気の強さ、そして潔さを感じます。
定年より早めに辞めて、第二の人生の準備をするのってなかなか勇気が要ることですよね。中村さん、思い切りいいなと思います。
もっとも現地に残ったのは家族の存在もあったと思います。
独身だったら日本で踊るなり教えるなりの道も選んだかもしれませんが、アメリカ人のご主人とお子さんがいらっしゃった中村さん。家族のためにも現地で留まることを選んだのはもちろんですね。
ちなみに最初のご主人はオリヴェエ・ウェーバーさんという方で、同じくパシフィックノースウエストでプリンシパルをしていました。
ウェーバー氏は退団して、今は振付の仕事をしてるみたいです。
中村さんはかつてこの方と共に夫婦でロイヤルウィニペグ・バレエからパシフィックノースウエスト・バレエに移籍して来ました。
長年パートナーを組んでいたウェーバー氏となぜ離婚したのかは判らないですが、今のご主人が一般人であることを考えると、ダンサー同士の確執とかあったのかな?と想像しています。
ウェーバー氏はイケメンで中村さんとお似合いだったのに、と残念に思ったこともありますが、それも今は昔のことになってしまいました。
中村さんの話に戻ると、
スクール・オブ・アメリカンバレエ留学、
ロイヤルウィニペグ・バレエ入団、
パシフィックノースウエスト・バレエ移籍、
というキャリアを見るに、アメリカの水がとても合っているのが判ります。
これからもアメリカを拠点に頑張っていただきたいです。
引退しても現地に留まったイチローと中村かおりさんの共通した生き方、清々しくて、私はとても好きです。