一関市大東町摺沢の摺沢小原家について
摺沢小原家は小原左馬介藤次郎忠秀の次男忠継(房匡)の子孫の家系です。忠継は、主君和賀忠親に嫁いでいた妹とその子らを救い出し、東磐井郡摺沢村に落ち延びています。この落ち延びた摺沢村は...
宮城県大崎市松山の松山小原家について
松山小原家の家祖「小原忠義」は、諱(いみな・下の名)に和賀氏庶流家の通字である「義」の...
南部家による安俵小原氏一門残党への追跡について
旧和賀郡東和町(現花巻市東和町)の「元町長・故小原秀夫氏」のご先祖のひとりである「小原采...
小原氏宗家(平姓安俵氏・信濃守家・玄蕃頭家)について
【1601年に主君の和賀忠親と共に仙台国分ヶ原で殉死した「小原左馬介藤次郎忠秀(享年62歳)」は「安俵玄蕃頭」と同一の人物だと言われていますが、それは、あくまでも後世に作成された系...
花巻市博物館所蔵の「安俵玄蕃系図」と東和町小原B家、北上市江釣子K家所蔵の「安俵小原氏系図」の信憑性について
花巻市博物館には、江戸期の1765年に和賀郡東和居住の小原元甫と言う人物が作成した「安俵玄...
藤系の紋を家紋としている東和町の小原家(安俵小原氏)について
藤系の紋を家紋としている東和町の小原家の中には、「元々は蔦紋を家紋としていた」と、子孫...
饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と唐松神社について
物部氏本家筋の先祖であり、モノノフ一族の族長でもあった饒速日命は、私市氏系小原氏の遠い...
秋田県横手市増田町の増田小原家について②
増田小原家は和賀氏の一族である煤孫(須々孫)氏の末裔です。この煤孫氏は、かつて和賀郡西部...
私市党が武蔵国北部(現埼玉県北部)で形成された経緯について
肩野物部氏は、 587年7月に起きた丁未の乱(ていびのらん)に敗れ、一族の日下部氏らと共に畿内...
安俵小原氏の出自に関して
安俵小原氏が出自を藤原氏に改変した理由は、伊達家重臣の藤原氏流小原氏と誼を結ぶ為に同族...