小原ルーツ

花巻市博物館所蔵の「安俵玄蕃系図」と東和町小原B家、北上市江釣子K家所蔵の「安俵小原氏系図」の信憑性について

花巻市博物館所蔵の「安俵玄蕃系図」と東和町小原B家、北上市江釣子K家所蔵の「安俵小原氏系図」の信憑性について

 

花巻市博物館には、江戸期の1765年に和賀郡東和居住の小原元甫と言う人物が作成した「安俵玄蕃系図」の筆写本が所蔵されています。

この「安俵玄蕃系図」や「安俵小原氏系図」は、主家である和賀氏の源頼朝落胤説に合わせて作成されている為、真実でない部分が数多くあります。

因みに、主家の和賀氏の出自は鎌倉幕府に提出された公的文書である「鬼柳文書 和賀系図」でも明らかな様に、武蔵国の武士団「小野姓横山党中条(ちゅうじょう)氏」に出自がある事が現在通説となっています。和賀氏が源頼朝の落胤を称する様になったのは1500年代初頭頃と言われています。

そして、この「安俵玄蕃系図」や「安俵小原氏系図」の概要については、

『武蔵国成木村で生まれた藤原氏系の人物が、京に上り平清盛に仕え、愛宕郡小原(おはら)郷を賜り「小原(おはら)」と名乗る様になり、その後、甲斐国に下り源頼朝の落胤と出会い、共に和賀郡に下向し、いつの頃からか「おばら」と名乗る様になった』

と言う内容になっています。これは創作に過ぎず真実ではありません。小原家の出自が私市党と和賀氏庶流にある事は、他の古文書や諸家の家系図からでも明らかです。そして、小原氏の宗家が代々「信濃守」を名乗っていたのも、小原姓発祥の地が信濃国伊那郡高遠郷小原である事を示しています。

因みに、書籍「没落 奥州和賀一族」の著者小原藤次氏も、この自著の140頁に安俵小原氏系図の信憑性について疑問を呈する記載をしています。

実は、この安俵玄蕃系図や安俵小原氏系図を筆写している家が複数あり、これらの系図に自家の数代前の先祖名を付記して自家の家系図としている家もあるそうです。

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