Nasebanaru

アメリカで趣味と生活を綴る

NHKの問題で思うこと

2007-03-04 07:41:13 | 政治
アメリカにいても日本語の新聞や、多くのサイトをインターネットを通してみることができる。Gaoなど一部のサイトではIPアドレスを制限しているので海外で利用できないものもある。日本語で情報を得られることは非常にありがたいことだ。

衛星放送もまたそうである。私自身はサービスを購入していないが日本語でのテレビ放送をアメリカでも見ることができる。そしてそのほとんどがNHKの番組だ。

さっきも書いたように私自身はサービスを利用していないが、時々、サービスを受けている友人がビデオに録画したものを見せてもらうことがある。日本では、よくそんなことするな、と思われそうだが、それくらい日本語での番組を見ることはありがたいことなのだ。当然NHKの番組が主なものになるが、見ていてNHKならではの番組だな、と思わされるものもある。例えば「今日の健康」。毎日の健康を維持するために、また、今はやりつつある病気の紹介、その予防など、生活の中で実際に使えそうな有益な情報にもしばしば出会う。地域密着型の「のど自慢」や、本の紹介をする番組などなど、民放だと採算の面で企画すら通りそうにないような番組を数多く提供していることに気がつく。

ニュース番組にしても、他の民法の比べれば、よっぽど論調は中立、公正であるように思う。にもかかわらず、民放の側が放送の中立性だとか、独立性だとかを喧伝しているように感じる。

今回、せっかくNHK改革の機運が高まり、一気に受信料義務化まで進むか、と思いきや、肝心のNHKの側が、受信料の値下げに難色を示し、今回の法改正は進まなかった。

どうしてだろう?

値下げに難色を示したNHKのことである。

受信料の支払い拒否の問題はこの際おいておいて、もし義務化されれば、いったいどれくらい今より「余分に」受信料収入が増えるか、簡単に想像できる筈である。それに今でも受信料は、徴収員なるひとが、個別に家庭を回って足で徴収して回っているらしい。このデジタルの時代に、である。その人件費も100パーセント浮くとまでいわぬが、かなりの人件費の削減にもなる筈だ。

私が大阪で貧乏大学生をやっていたころ、私の家賃1万5千円のぼろアパートまでは、徴収員はやってこなかった。こんなみずぼらしいところに住んでいる人間は、テレビなど持っていない、と判断したのかどうかはしらないが、とにかく一度も来なかった。だが実際テレビは持っていたのだ。それにもし徴収員がくれば、私は払うつもりでいた。

マスコミは払いたくない人の話ばかり載せたがるが、私のように考えている人も現実にいるのだ。それだけに今回のNHKの対応は疑問だ。このあたりのギャップが、視聴者から批判を受ける温床になっているのかもしれない。

トップが替わればすべて変わってくるとも思うのだが。
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