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旧逢坂山ずい道東口

2013年05月05日 | 鉄是好日
国道161号線の脇にひっそりと佇むずい道(=トンネル)入り口。
坑門上部には三条実美の揮毫による「楽成頼功」の文字が。

 今回は京津線撮影のついでに立ち寄った上栄町の近くにある鉄道記念物の旧逢坂山ずい道東口のご紹介です。
 明治13年に東海道線が開通した当時、京都から東のルートは、現在の東山トンネルから山科に抜けるものではなく、一旦今の奈良線稲荷駅まで南下、そこから概ね名神高速道路の経路を通って大谷に向かい、逢坂山をトンネルで抜けてこの東口から大津に出るというものでした。当時トンネルを掘るというのは大変な難工事だったので、できるだけトンネルを避けて線路を敷設し、どうしようもない部分にだけ最短距離でトンネルを掘るというのが基本方針だったようです。ちなみに東口を出てからは現在の国道一号線の経路で膳所まで行き、さらにスイッチバックで今の浜大津に向かっていました。
 トンネル入り口の説明版によると、この逢坂山ずい道は日本人の技術者、技能者が主体となって建設した我が国初の山岳ずい道で、664.8mを専らノミやツルハシを使って手掘りで掘り抜いたそうですから、如何に難度の高い工事であったか想像することができます。

 大正10年に東海道線が現在の山科経由のルートに変更になると、この旧東海道線は廃線となり、その後、旧東海道線の築堤は名神高速道路や国道一号線に再利用され、逢坂山トンネルの西口は名神高速道路の蝉丸トンネル建設の際に土台部分として埋め立てられたそうです。
 結果的に再利用できなかった部分だけがこうして鉄道記念物として残っているというのは何とも皮肉なものですが、長大な山岳トンネルや海底トンネル、大深度地下鉄建設など、日本が誇る土木技術の礎がこのトンネルという訳ですね。
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