元彼女は風俗嬢
客から始まりついにお付き合いするようになりそのことを報告するブログです。しかし別れが・・・。
 



祖母「殺してやる!!」


母親「や、やめてよ!!」


俺は何が起こっているのかわからなかった。


でも母親を助けなければと思い祖母と母親を引き離した。


祖母「殺してやる~!」


俺「どうしたの?なんでそんなこと言うの?」


祖母「殺してやる~!」


祖母は興奮状態になっており話が通じなかった。仕方ないので力ずくで鍵付きの部屋に入れて祖母を閉じ込めた。


祖母は一晩中部屋のドアを叩き、「殺してやる!」と叫び続けた。


その叫び声を聞きながら俺は母親に何故ああなったのかを聞くことにした。



俺が走りに行っている間に起こった出来事を簡単にまとめると、母親が風呂に入っていると祖母が風呂に突然入ってきたそうだ。出ていってと母親が言った所、祖母の機嫌が悪くなり風呂から上がると母親に詰め寄り言い合いの末あのような形になってしまったらしい。



結局その日は一晩中祖母が暴れ狂い(鍵付きの部屋の中で)次の日の朝、救急車をよぶことになった。


救急隊員が駆け付け祖母のいる部屋に入った所、祖母は裸で部屋の物を壊しまくっていた。父親が大切にしていた湯飲みや置き時計等はぐちゃぐちゃにされ、壁紙はボロボロになっていた。



祖母「うわぁぁぁ~~~!!!」


隊員「おばあさん、落ち着いて。」


隊員の声も虚しく祖母は担架に乗せられた。しかし錯乱しているため担架の上に縛りつけその上に毛布をかけ救急車に向かった。


時効は午前7時くらいだったので救急車の周りには近所の人達が集まり母親がお騒がせしてすいませんと頭を下げていた。


それから俺と母親は救急車に乗り込み病院に向かった。


救急車内でも祖母は叫び続け隊員の人に何故こうなったのか説明している内に救急車は病院に到着した。


病院は静かだった。


しかし祖母が運ばれると一転し叫び声が病院内をこだました。


結局祖母を病院に入院させたのだが一つ問題があった。


入院費のことだ。


この日を境に俺と母親の生活の歯車が少しずつ狂い始めることとなる。


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俺は数ヵ月ぶりに実家に帰ることにした。


最寄駅は何も変わってなく少しホッとしたようながっかりしたような気分だったのを覚えている。


そして最寄駅から歩くこと十数分、4ヵ月ぶりに俺は実家に帰ってきた。


だが実家は鍵がかかっており俺は荷物を玄関に置き久しぶりの地元を散歩した。


先程も書いたが駅同様地元はまったく変わってなくそんな街で俺は1時間散歩を楽しんだ。


そして実家に戻ると俺の荷物が玄関の中に入っているのがわかった。


「やっと母親が帰ってきたみたいだな。」


そう思い俺は玄関を勢いよく開け「ただいま!」と叫んだ。




?????




叫び終わった後家に入るとある変化に気がついた。


「こんな所にベッドなんかあったっけ?」


不思議に思いながらもおかえりと出迎えてくれた母親と話をした。


話を聞くと母親は水商売を辞め(辞めたのではなく無断で行かなくなった)介護の仕事をしていたようだった。


それでベッドがあったのかと俺は勝手に解釈した。



しかし話をしていく内にその解釈が間違っていたことがわかった。


母親が言うに俺が東京に行った後しばらくして父方の祖母がボケてしまいその面倒を今母親がしているというのだ。


ここまできて俺は何故母親が俺を実家に熱心に呼んだかがわかった気がした。



ベッドを覗くと祖母がスヤスヤと寝ていた。



翌日、予想通り俺は祖母の面倒をみさされることになった。


といっても祖母の話し相手をしてただけだが。


祖母「〇〇、学校はどうだ?」


俺「楽しいよ。」


祖母「そうか。でもしっかり勉強しないと大学に入れないよ。」


俺「うん。(今大学生なんだけど・・・)」


とこんな会話なら大丈夫だったのだが時にこんな会話もあった。





祖母「!!!ウワァ~~~!!!」


俺「どうしたの!?」


祖母「〇〇~、外に誰かいる~~~!」


俺「マジで!」


急いで外に行ったが外には誰もいなかった。


俺「誰もいないよ。」


祖母「そんなはずはない!そこに影が見えるじゃないか!」


俺には影は見えなかった。俺は母親が何故自分を東京から呼んだかがはっきりとわかった。


祖母は水商売をしていた母親を好きではなかった。母親も同じく祖母が好きでなかった。そんな母親に痴呆の祖母の面倒をみろと言っても無理に決まっている。


とまぁそんな所で俺を呼んだのであろう。



毎日祖母の話を聞き、時に母親の陰口を聞くという生活をし始め1ヶ月が経った。


そして2001年8月中旬、ある出来事が起こった。




行ってきます!


午後9時、俺はそう言って日課であるマラソンをしに近所の公園に向かった。


話を一日中聞いているとストレスが溜まる。


走ることによって俺はストレスを解消していた。


1時間程走り実家に帰った。


ドアを開けようと鍵をポケットから探しているとうっすら玄関に母親と祖母の人影が見えた。


どうしたんだろうと思い、ドアを開けると俺は目の前の光景を見て顔面蒼白になった。




祖母が母親の首を締めていたのだ。



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予備校の授業が9時に終わり俺は近くのコンビニで過去問をコピーしていた。


コピーが終わり缶コーヒーを二本買い、もう閉まった予備校の前のガードレールに腰掛けMを待った。


5分くらい待っているとMが来た。


M「お待たせ。んでコピーは?」


俺「はい、これ。でも久しぶりだね。」


M「まあね。」


俺とMはお互い受験生ということもあり受験の話で盛り上がった。


30分程話をし、結局受験の話ばかりで母親の話をできないままMと別れてしまった。




誰かに聞いてもらいたいのだが言えないと言う俺の損な性格のおかげで俺は母親のことを自分の中に封印することに決めた。


もうどうでもいいやという思いが全身を駆け巡り勉強に集中することにした。




そして2001年3月、俺は東京大学文一に合格した。


Mは東大には入学しなかったが東京の私立大学に進学した。



家族から離れ大学生活がスタートしたものの俺は特に目標もないままバイトをし学校に行っていた。


自分が何をしたいのかもわからないまま時だけが過ぎ季節は夏になろうとしていた。


この頃母親から夏休みは帰ってくるのか頻繁に電話がかかってきた。


やはり俺が出ていって少し淋しいのかなと思い俺は夏休み実家に帰ることにした。


母親が俺をどうして実家にしつこく呼んだかも知らずに・・・。



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俺はその場から急いで立ち去り家に帰った。



どうしよう?でも冷静に考えなきゃ!



母親がソープで働いていることのショックもあったが見てはいけないものを見てしまった気持ちの方が大きかった。


自分の部屋で冷静に考えた結果、


〓・・・母親にソープで働いているか問い詰める。


〓・・・見なかったことにする。


〓・・・それとなく探りを入れる。


の三つの案が浮かんだ。


もう一つ、俺が働くのを止めてほしい!と母親にいう案もあったが母親の働く気持ちを考えると言えなかった。


考えに考えた結果、俺は〓を選択した。






翌日の朝、俺が朝食を作っていると母親が帰ってきた。


俺「おかえり。」


母親「ただいま~。あ~、疲れた!」


母親はきつい香水の香りを撒き散らしながら奥の寝室へと消えていった。


その日は予備校は休みだったので俺は食料の買い出し、たまっていた洗濯、掃除、その後部屋で勉強をした。



夕方になり、夕食の支度をしていると母親が起きてきた。


俺は普段通りに接するつもりだったがどうしてもギクシャクしてしまった。


そんな俺の変化に気がついたのか母親が俺に話かけてきた。


母親「勉強、うまくいってる?」


俺「う、うん!この前の模試もA判定だったしこのまま頑張るよ。」


母親「あまり無理しないようにね。体には気をつけるんだよ。」


俺「わかってるって。」


その後俺の作った夕食を食べ、俺は再び勉強をしに部屋へ、母親は仕事に行った。




俺が黙ってれば何も変わらない。これでいいんだ・・・。




自分の気持ちに嘘をつくのは慣れっこだった。しかし今回は事が大きすぎたためか体がついていかなかった。


毎日胃がチクチクし、頭痛がとまらなかった。夜もよく眠れない。


母親は俺の異変に気がつき俺を病院に連れて行ったが俺は「受験のストレスです」と医者に言い本当のことが言えなかった。




「俺の母親はソープで働いてます。どうしましょう?」なんて誰に言えよう!




誰かに相談したい!でも誰もいない。
俺はこの時父親の存在というものを痛感した。
どんなに意気がっても俺はただの高校三年生。
何も出来なかった。


「お父さん、俺はどうしたらいいのですか?」




そう思いながらも時は過ぎ、十一月。父親が亡くなって一年が過ぎた。


学校や予備校でも受験生はピリピリモードで息苦しかった。


そんなある日学校が終わり予備校へ向かう途中、俺の携帯が鳴り響いた。




Mだ!




Mは一浪したが国立大学受験に失敗しバイトをしながら浪人し国立大学受験に向けて勉強していた。


M「よ!元気だった?」


俺「まぁ・・・、んでなんか用?」


M「そっけね~な。あのさ、あんた東大の過去問持ってない?」


俺「あるけど、M東大受けるの?」


M「かもね。んで持ってるならコピーしてくれ!!!」


俺「今持ってるしいいよ。俺これから予備校あるから9時に予備校来れる?」


M「バイトが9時半までだからちょっとだけ待っててくれる?」


俺「いいよ。」



Mはどんな時でも明るくいつも笑顔で周囲の人間の心を癒してくれる。


Mに母親のことを相談してみようかな・・・。


俺はそんな思いを巡らせながら予備校の授業を受けていた。





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実はここから書くことが「彼女との出会い」の最後に書いた私の彼女に言えない不安なのです。
情けない話ですが私自身、このことを彼女に言うかどうか迷ってます。
それでもしよろしければブログを読んでいただいてる皆さんの意見を聞かせてほしいのです。
書きにくい内容かもしれませんが、ブログのコメントでもいいですし私に直接メールでもいいので是非お願いします。



では書き始めます。



父の死後俺は学校、予備校、俺の行く所全てで皆に励まされた。


ダメージは受けたが俺はすぐに頭を切り替えていたため皆の励ましに「はぁ・・・。」などと生返事をしていた。


それは置いておき、この時俺には不安があった。


学費のことだ。


私立高校+予備校、それに大学の入学金+学費。東大に行ったとして東京での生活費等お金が俺を悩ませた。


俺はなんとかしたいの一心でバイトする!と母親に申し出たが、


母親「あんたは勉強だけしてりゃいいから。お父さんの生命保険もあるし。」


と言われた。


納得は出来なかったが無力な俺は母親に従い勉強に身をささげた。


この頃から母親は夕方に出かけ、朝方帰ってくるという奇妙な生活を続けていた。


俺はもう子供ではない年齢であったので母親が水商売をしているのには気がついていた。だが俺は知らないふりをした。


しかし運悪くこのことが祖母に知れてしまい、体裁を気にする祖母と母親に隔たりが出来てしまった。祖母は俺を溺愛していたのでなんとか争いにはならなかったが二人は俺にお互いの悪口をよく言った。家族の悪口を聞くのは辛かったが二人の関係がこれ以上悪くなるよりマシだと言い聞かせ俺は二人の悪口を聞き続けた。




そんなこんなで俺はとうとう高校三年になった。


母親は相変わらずの生活をしていたが以前よりお金を持っている感じがした。


行き帰りは必ずタクシーになったし、あまり自炊をしなくなっていた。クローゼットいっぱいにブランド物の服が並び、同様にブランド物のバッグ、時計、靴。それプラス俺の学費のための貯金。俺は水商売って儲かるんだなと思っていたが同時にちょっと貰いすぎじゃないか?とも思っていた。


怪しく思った俺は跡をつけようかと思ったが自転車ではタクシーを尾行するのは不可能だ。しかたなく水商売=儲かるの思考を押し通すことにした。


そして夏、夏季講習が夕方に終わり、駅前近くのコンビニで立ち読みをしていると偶然母親がコンビニに入ってきた。派手な恰好は周囲から浮きまくり注目を集めていた。


俺はチャンスだ!と思い母親にばれないように跡をつけた。


二、三分歩くと母親は一軒の店に入っていった。


ここが母親が働いている店だな!



勇んで店の前まで行った俺はその店の名前を見て愕然とした。



「ソープランド〇〇〇」



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手紙・・・!


父親が俺に残した手紙・・・!


俺は正直戸惑った。


何故手紙?
彼は俺に成績しか期待してなかったのでは?


俺は隣にいるSさんを気にしながら手紙を読み出した。


以下の文章は俺が父親から貰った手紙の一部である。


「〇〇、自分の気持ちを手紙でしか表現できなくてすまん。お前は俺のことが苦手なようだからこんな形でしか表現できなかったんだ。お前はいつも一生懸命勉強してるな。俺はその姿、いや、お前の全てが生き甲斐だった。実はな、俺もそんな風に育てられたんだ。だからお前にいつも辛くあたってしまってすまなかったな。俺は情けない話だがお前とどう接していいかわからなかったんだ。

(中略)

最後になるがこれからはお前の自由にしなさい。我が儘な俺を許してくれ。

最愛の息子、〇〇へ。」


(本当は全てひらがなでしたがここでは漢字を使わせてもらいました)



父は最後の力を振り絞りこの手紙を書いたのだろう。自分が死ぬとわかってからどんな気持ちでこの手紙を書いたのだろう・・・。


しかし当時の俺にはこの大きすぎる愛を受け止めることが出来なかった。


俺「なんだよ!こんな手紙!いらないよ!!!。」


と手紙を母親に突き返し、俺は2階の部屋で一人ふさぎ込んだ。


お父さんどうして!?どうして生きている間に言ってくれなかったの?




その日の深夜、皆が寝静まったのを確認して俺は動かなくなった父がいる部屋に行ってみた。


動かなくなった父が部屋に横たわり顔には布がかけられている。


俺は顔の布をとり父に呟いた。


俺「お父さん・・・、なんで言ってくれなかったんですか?」




父が亡くなって初めて俺は泣いた。




次の日、俺は喪主をつとめこの後普段通りの生活が続くこととなる。母親を除いては・・・。




あれから七年、高校生の時より少しだけ成長した今だからわかります。俺は17年間父親に・・・、いや、お父さんに愛されて育てられました。




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俺「えっ!?」


祖母「だから!あんたのお父さん死にそうなの。うちに早く来なさい!!」


俺の家から祖母の家まで自転車で十五分、祖母の家から父が入院している病院まで歩いて三分。すぐに着く距離だ。


しかし俺は急がなかった。台所で見つけた食べ物を食べてからゆっくりと祖母の家に向かった。


祖母の家につくと親戚一同が俺を出迎え早く病院に行きなさいと皆口をそろえた。家族はすでに病院にいるらしかった。


病院につくと夜だけあってシンとしていた。静けさを聞くとはこんなことかなとのんきに思いながら父親の病室に向かった。


病室では家族に加えて医者、看護士の二人がいた。見たこともない機械がたくさんあり、その真ん中のベッドでいろんな管をつけられた変わりはてた父親がいた。酸素マスクもつけていて今にも死にそうだった。


顔はやつれ生気がまったく感じられなかった。


俺はこの瞬間、初めて焦りのようなものを感じた。


俺の母親「〇〇!早くお父さんのところに行ってあげて!」


泣きそうな母親を宥め、俺は父親の横に行った。


父親「〇・・、〇。〇・・・・・・・〇。」


俺が横に来たのがわかると父親が必死で俺の名前を呼ぼうとしているのがわかった。


医者「手をにぎって、お父さんと呼んであげて。」


俺「お父さん!!お父さん!!」


俺の声に反応するかのように父親が俺の手を握ってくる。俺も必死で手を握った。




この日は一旦祖母宅に帰り仮眠をとることになった。祖母宅では親戚がご飯やら寝床やら全部を用意してくれ俺達家族は不安の中眠りについた。




次の日の朝、父親の1番の親友が遠い所から駆け付けてくれた。彼は医者で何かできないかとわざわざ来てくれたのだ。その人の名をSさんとする。


俺はその日学校を休み家族共々一日父親の側にいた。


しかし運命は無常なもので父親は夕方4時に帰らぬ人となった。



泣きじゃくる家族、それを遠くで見つめる俺。涙は一粒もこぼれなかった。




Kの時と同じだ。




それから葬儀屋や通夜をどうするか等がすごい勢いで決められ、喪主を長男の俺がすることとなった。(父親を除いて男は俺だけだったため)




人ってすぐいなくなるなぁ。




その夜俺はSさんに誘われ祖母宅近くを散歩することに。


S「この辺りもずいぶん変ったんだな~。僕が高校の時はあんなのなかったよ。」


俺「確かSさんは父と同じ高校だったんですよね?父はどんな高校生でした?」


S「僕とはよく君のおばあさんの家で遊んだな~。煙草吸ったり悪いことばかりしてたな~。」


俺は初めて父親の学生時代の話を聞いた。



バイクの免許を獲るためにバイトをしたこと。


女の子をナンパしたこと。


二人で弱いサッカー部を盛り上げたこと。




恥ずかしながら一つも知らないことだった。


Sさんはこれからの俺に多大な影響を与える人となるのだがこれはもう少し先のことなのでその時書かせてもらう。



Sさんと二人家に帰ると夕食が用意されていた。二人で食べていると母親が来て俺にこう言った。


母親「〇〇、これ・・・、お父さんから。」



そういって手渡された物は父親が書いた手紙だった。







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Nに振られてしまった。


そんな失意の中俺は一人で家に戻り眠りについた。


悲しさが爆発しそうになったが冷静になってみた。


俺「走りさってしまっただけでまだ振られてないじゃないか!予備校が始まったら会って聞いてみよう!」


となんとか自分を励ましながら最悪の年明けを過ごした。


そして数日後、話は変わるが父親が倒れた。
といっても胃潰瘍でたいしたことはなかったようだ。


俺「早くよくなって下さいね。」


と口では言っていたが内心はどうでもいいやと思っていた。


そして予備校の日、俺は普段より早く来てNを待った。


ずいぶん待ったがNはその日現れなかった。Mが言うに風邪らしい。その日俺はコンビニで栄養ドリンクやらサプリやら色々買ってNの家の前まで行ったが結局ドアノブにメモと買った物をひっかけて帰ってしまった。


俺「またいつか会えるさ。」


そんな安易な考えが俺の心の支えだった。
というか直接会うのが恐かった。はっきり振られたくなかった。


しかし次の日もNは来なかった。
Mに聞いてみたが知らないの一点張りだった。

「おかしい!」


と思い始めた時すでに私立大学の受験が始まろうとしていた。

Nは医大、Mも有名私立を受験するようだった。


Mには頑張れと伝えたがNにはまだ会っていなかった。



そして月日は流れ四月。俺は高校二年生、Mは私立をけって浪人、Nは他県の国立医学部に、そろぞれの春をむかえた。


振られて三ヵ月、Nとは会ってない、返事も聞いていない。


Mは浪人生とのことであまり会わなくなったがお互い携帯を持つようになっていたのでたまに連絡をとりあっていた。


ずっと勉強ばかりしていたのだが、たまに自分の学校や他校の女の子にお付き合いを頼まれた等という青春らしいイベント(?)もあった。


しかし全て断ってしまった。付き合う気分ではなかった。次第に俺は人と距離をとるようになり学校や予備校でも一人で過ごすことが多くなっていった。


そんな調子で夏休みが目の前という時、俺の父親がまた倒れた。どうやらまた胃を悪くしたらしい。


俺の母親「お父さん、今日から入院することになったから出来るだけお見舞いに行ってあげてね。」


俺「わかりました。(行きせん!)」


俺は本当にお見舞いに行かなかった。


それどころか快適な自宅ライフを満喫していた。


テレビが自由に見れるのって素晴らしい!

ゲームが出来るのって素晴らしい!

漫画を買って読み終えても捨てなくていいって素晴らしい!(漫画雑誌が見つかったら怒られる)


しかし成績は絶対に下げないよう努力した。俺を唯一評価する物を失うと家での居場所を失うと思っていたからだ。そのかいあって、俺は高校三年が受ける東大オープン(模擬試験です)で東大文1がA判定だった。



これで誰も文句言わないだろう。そう思っていた。







季節は進み十一月半ば、予備校が終わり家に帰ると誰もいなかった。


どうせ皆父親の見舞いに行ってるんだと思い、台所で食べ物を探している時家の電話が鳴った。


俺「はい、もしもし。」


俺の祖母だった。


俺の祖母「あんた、携帯の電源切りっぱなしじゃないのよ!!!」


いつも優しい口調の祖母の声が珍しく荒かった。


俺「ごめん、予備校だったんだ。んで何?」


祖母「早く私の家来なさい!」


俺「だから何で?」


祖母「☆☆☆(俺の父親の名前)が死にそうなの。」





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