tomutaの気まぐれ日誌        One Wish♪

2010年12月に乳がん発覚! 右胸全摘手術!! 結果ステージ3C

明るい生活を求めながらさすらう放浪者♪

患者セミナーに行ってみた。

2013-06-29 20:54:12 | 各種講座
浜松で27日~29日まで日本乳がん学会が開かれていた。

最終日の今日、学会終わりの17時から患者セミナーがあり参加自由のしかも無料

街中で近いし無料と言うことでちょっくら視聴しに行ってきました。

手術療法(再建手術)・化学療法・放射線療法の先生方が講演してくれました。

学会終わりでお疲れのところ有り難いです。
しかも無料で。。。やっぱりソコ(笑)

最後の放射線療法のお話しは優しい声で眠りを誘う
予定時間の19時半少し前に終了。

始まる前に少し小腹を埋めて行ったんだけど大腹が空いたので
近くの駅ビルでお一人様ディナー
オムライス&ドリア専門店。

以外とお一人様女子が多くて安心 安心

美味しくてお腹いっぱいになりしあわせ

一番よく効く良薬だね

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予防的切除

2013-06-29 10:06:54 | つぶやき
今日の新聞に載っていた「乳房切除」

切除から6~7年後の乳がん発症率が49%から2%に減るデータから
乳がん発症を防ぐ効果は確実なんだって。。。

だけど、切除したのに2%の人は乳がんになるって事

乳房が無いのに乳がんになるって。。。

う~ん 分からない(・・?)

今日の学会終わりの患者セミナーで話題に出るのだろうか

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やっとこさ登録!

2013-06-24 01:28:11 | つぶやき
6月22日富士山が世界文化遺産に登録されましたね。

結構 富士山って世界的に有名だったけどなかなか認められなくて。。。

遠くから見ると綺麗だけど、登るとゴミが沢山あったりしたんですよね。
それを登山家の野口さんがゴミ回収活動を始め
その輪が広がり少しずつキレイになってきたようです。
世界文化遺産に登録され観光客が増えて、またゴミも増えなきゃいいけどね。

三保松原も同時に世界文化遺産に登録され地元は盛り上がってます。
ここは昔、結婚する前にデートでも行ったし家族でも時々行きました。
松並木を超えて海岸ばたで海を眺めたり波と戯れたり(笑)

天女が羽衣を掛けたと言う伝説の松も今は2代目です。
今まで訪れた時は渋滞なんて一度も無く、駐車場も余裕で停められてた。

最近は世界文化遺産登録の話題で付近の道路は大渋滞見たいですね。
確かに天気がいいと景色は抜群です。

皆さんも波と戯れながらのんびりと絶景を楽しんでみてはいかが!?

富士山は逃げないのでフィーバーが治まった頃にでもどうぞ。。。

ちなみに、私はハタチの頃富士山登頂を果たしてます
いやぁ~キツかったなぁ


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キューピー

2013-06-22 22:50:48 | 乳がん的日記
。。。なんて可愛いものじゃないけど

最近の体型が。。。お腹がポッコリとして。。。
いや、胃の辺りからポッコリしてます。
いわゆる幼児体型?とでも言いましょうか?(この年で)

こんなに蒸し暑いのに食欲も落ちる事もなく
元気モリモリ食べてます(笑)
脂肪を蓄えつつあるこの体、ウエストのくびれは何処へやら。。。

上から下を見下ろせば、貧乳→胃→お腹と末広がり。
健側の自前の乳さえも1番低い

あらゆる所に脂肪が付くのに、付いて欲しい所には全く無し。
全摘した右胸は相変わらず肋骨がゴツゴツ
肋骨の上には皮膚しかないようだが?胸筋は何処に行った?

お腹の脂肪を集めたら、かなりの巨乳が出来るのにな。。。


とボヤきにも似たつぶやきをつぶやいてみた

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父に日!に慕う(子供の頃)

2013-06-16 13:16:41 | つぶやき
私の子供の頃は 典型的な昭和の家だと思います。

絶対王制のごとく、「絶対父制」であった(笑)
父が右と言えば右、白と言えば白!

1台しかないテレビもチャンネル権も父にあり。
昔はリモコンも無く ガチャガチャタイプ。
私達3兄妹はチャンネル係り、今で言うリモコン役をしてました。

あの頃は本当に貧乏で食べるのにも気を使っていた。
牛乳もなかなか買えず、父優先。
夕飯の料理も父の品数が多い。
母が裏で私達に言い聞かせていた事は
「牛乳はお父さんの物」
「お父さんにしか無いおかずは欲しがらない」って事。
父は知らない我が家の家訓のようでした(笑)

父は星一徹の如く 怒ると恐かったぁ
ちゃぶ台返しもリアルに有りましたよ。
だいたい食事時に噴火する事が多く 色んな物が飛んでました。
箸・茶碗・ポット。。。挙句は炊飯器も投げ飛ばすことも

私達兄妹は父母の会話を聞きながら雲行きが怪しくなると
自分達の食器を持って身構える(何時でも逃げられるように)
父山が噴火すると大抵 母と皆で外に避難してました。
そして休火山になった頃を見計らって家に戻り静かに就寝。
翌朝は何事もなかったような普通の生活。
ま~色々あった子供時代!なかなかデンジャラスでしたね(笑)
今でも父の思い出話になると話は尽きない。

子供心に恐い父だったけど、恐いだけじゃないんですよね。
旅行好きでよく家族で色んな所に旅行に連れて行ってくれました。
車を持ってない頃は 会社で車を借りてお出掛け。

ポンポン(バイク)で出掛ける時は兄妹ジャンケンして後ろ席の争奪戦。
ちゃっかり者の姉は先にバイクの後ろに股がっている事も。。。

優しいけど短気で恐く、遊び好きな父!
会社では面倒見が良かったようで慕われていたようです。

そんな父が亡くなったのは59歳と定年前。
葬儀の時は会社の仲間が喪服で出席してくれている中
仕事の合間に作業着のまま沢山来てくれてました。
まるで社葬でもしてくれているようでした。
父の偉大さ慕われてた事を初めて感じましたよ。

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