アマゾン以外でも購入出来るようで、大元出版のHPには以下の様にあるので、一般書店でも購入可能のようだ
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「出雲王国とヤマト政権」 ー伝承の日本史ー
富士林雅樹著 大元出版
より敬意を持って引用させていただく
第六章 武御名方と五十猛の移住
1.出雲内の秦人たち
ホアカリの奥方になっていた高照姫は、夫が父王を殺したと聞き、怒って息子・イソタケを残して、実家に帰ってしまった。渡来人の父系社会では、子は父親のものという考えがあり、高照姫は非難されなかった。
「鬼村」 グーグルマップより引用
ホアカリは、「ホヒとタケヒナドリカが捕まり、処刑されるかもしれない」という報告を受け、恐くなった。かれは、息子・イソタケを置き去りにして、船で秦に逃げ帰った。そのため、人々はホアカリのことを「鬼のような人だ」と言った。それでホアカリが住んだ村は、「鬼村」(大屋町)と呼ばれ、その地名は現在も残っている (図15)。この付近に住んだハタ族も、武器を使って先住民に嫌がらせをしたり、ワラヘビを切って回ったりしたので、先住民から鬼と呼ばれるようになった。
ホアカリ(徐福)は、のちに 『記紀』ではスサノオノ命と名を変えて書かれた。これは、出雲人が徐福たちの悪事を思い出さないようにするため、ホヒ家 (出雲国造家)の果安はたやすが忌部子人いんべのこびとに頼んだ結果であった。忌部子人は、『記紀』の編集の中心となるよう、秘密裏に指名された人物であった。
徐福やハタ族が出雲で働いた横暴なふるまいについては、『古事記』ではスサノオの悪事として次のように書かれている。
スサノオが、天照大神 (サイノカミの太陽の女神)の耕作田の畔をこわし、その溝を埋め、新米を召し上がる神殿に、排泄物をまき散らした。
『日本書紀』では、徐福たちの悪事が「スサノオノ尊の所行しわざ無状あずきたなし」と表現されている。
『日本書紀』は、シナなどの外国に見せることを意識してつくられた。文章が漢文で書かれていることが、そのことを示している。
奈良時代の日本政府は、諸外国に対して軽く見られないよう、気を使っていた。徐福集団の渡来のことをシナ人が知ると、日本はシナの植民地のように見られてしまうということを外交上警戒した。そのため、『記紀』において徐福集団の渡来は隠された。『記紀』と異なる文書は廃棄され、隠し持っていると死刑となった。
こうして徐福の名前は、日本の官史から消えることとなった。しかし、徐福の事績をスサノオの神話として残したことは、出雲国造・果安の大きな功績であった。
『記紀』の影響を受けて、徐福が渡来した五十猛海岸 (大田市五十猛町)では、徐福の名前は消え、スサノオが上陸したという伝説が語られるようになった。
次回に続く