ハートの日記

ビビりまくりながら2012年年末を迎えたくないのでやれるだけやったろうと思います。

祖母の東京大空襲体験談

2012-02-03 07:13:21 | ひとりごと
何度聞いても私にとっては登場人物もリアルでおもしろいのだが
いつも細部を忘れてしまうので、今回はメモを取ってしかも文章に残すことにした。
今回は自分の震災対策に何か手がかりがもらえるんじゃないかと思って
気持ちも新たに聞いた。

母方の祖母(せつ子)は神田に嫁いだ。
夫(私の祖父道夫2010年没)とその両親(私の曽祖父母ウモンおじいさんと穣おばあさん)と同居。

空襲警報のサイレンがなるとみな防空壕に入る。
防空壕はみな各家庭の庭に掘って用意してある。
祖母の家には関東大震災の教訓でコンクリをうった8畳ほどの地下室を作ってあった。
扉は頑丈な金庫みたいな扉。
関東大震災でとにかく全部焼けてなくなってしまったので
それを防ぐために穣が作らせた地下室だった。
そこに大事で高価な衣類や布団など、燃えては困るものを仕舞い込んでいた。
穣はいつもボロを着て堅実で、お金を貯めていたので地下室を作れたのだ。

普段なら空襲警報があっても民間に攻撃があることはない。
米軍の飛行機が軍事工場を爆撃して帰っていくだけ。
だが、その時は違った。
焼夷弾(祖母のジェスチャーからすると15センチ直径の50センチ長さくらいのものか?)が
突然バラバラ落ちてきてボーンと落ちてバーッと火が出たそうだ。
そんなものがバラバラそこらじゅうに落ち始めたのでせつ子は
「焼死んだら大変だ!!」
と言ってオロオロするばかりで全く頼りにならない夫道夫とその父うもんを(穣は?不明)引き連れて
最低限の持てる物を持って上野の山に登った。
「忘れたことはない3月九日の夜のこと。」
寒かったろうな。

上野の山とは今の上野公園のことかと。
関東大震災の時も、みなこの上野の山に逃げて助かったのだ。
米軍は爆弾を家のあるところに落とすから
この山に登れば人気もないので爆弾も落とされないだろうと上ったのだ。
山は走って15~20分くらいのところにあったそうだ。

いつもは落とさないのに3月九日は爆弾を民間にボンボン落としてきた。

このとき持ってた荷物の鍋のふたが転がり落ちて坂を転げていった。
ウモンがこれを拾おうと追いかけようとしたところをせつ子は
「そんなもの、いい!!」とやめさせた。
命に係わるときにそんなものいい。
拾わせなかった。
という話のたびにうちの母は「拾わせて逃げ遅らせればよかったのに」という。
ひどい?いやそうでもない。
このウモンが曲者。
道夫の祖父母夫婦に子供がいなかった。
当時M百貨店で働いていた道夫の祖父は家を守るために
部下で働き者のウモンを養子にするにあたり奥さんも見つけてきてともに養子として迎え(両養子という)た。
ところがこのウモン、まじめで働き者に見えたのだが、とんでもない浪費家で
いつも会社でチャラチャラとお洋服をこしらえたり
ゴルフの会員権を買ってゴルフ遊びをしたりと
女遊びはなかったがひどかった。
しかも老年はボケて寝たきり。
私もこのボケてせつ子が介護している状態を見たことがある。
私が幼稚園に上がる前頃かな、亡くなるが。
というわけで、母はこんなじいさん空襲の時に置いて来ればよかったんだというわけです。
せつ子は姑も舅も実の母も全員最期までお世話したので
本当に偉いです。

横道にそれました。

神田川には空襲で逃げ遅れた人の死体がたくさん浮いたそうです。

そして翌朝山を下りたら焼野原。
そこに神田の自分の土地はあるものの、住むところに困った。
ので、道夫の母の実家が町田にあり
今ならバスで駅から30~40分くらいあるだろうか、
頼るために歩いて行った。
町田まではどうやって行ったか覚えていないらしい。
電車でも動いていたのか?

そこで一年くらいお世話になりつつ落ち着く先を探す。
蔵のような納屋に煮炊きできる場所のついた離れのような倉庫のような場所を借りて暮らしていた。
もちろん早く出て行かないかなあという嫌な顔をされつつ。
現在は道夫の弟夫婦の家族が住んでいる。
Yまとやという地主だったそうだ。

神田にまた家をたててもいいのだがごちゃごちゃした都会はもう嫌だ
神田はもう嫌だということで
田舎の地に家を建てることにする。

(わかる、その気持ちわかるなあ。私もばあさんと同じ感覚で来年長野にいきます。)

道夫が成城学園の学生の頃、親に学校が無理やり分譲した土地がある。
もちろん道夫の親も買わされ持っていた。
喜多見に住んでいる農家にその土地を耕してもらい年末だけお野菜を少しもらうという感じで
無料で貸していた。というか耕してもらっていたというか。
その土地に住むことにしたのだ。

戦後の混乱の中物資も不足。
住んでいる家族人数によって建てていい家の大きさが決められていた。
国がものすごくうるさかった。
資材がないのでみんなにいきわたるように、
制限の詳細は忘れたが
15坪の家が建てられることになったが、
それでは狭すぎるので、親戚から一人名前を借りて18坪の家を建てたとのこと。
ずるですね。
のちに建て増ししていく。
この家も私が幼いころはまだあった。
平屋だった。
私が小学生に上がったころにつぶしてコンクリの家に建て替えたが。

この建て替えの時にせつ子は夫道夫に怒髪天。
道夫の退職金で家を建て替えることにしたのだが、
なんと道夫は勝手に退職金の残りを外車に換えてしまった。
せつ子は寝たきり老人介護を全部ひきうけ
姑から虐げられ何も好きな買い物をしたことがなく
もちろん旅行だってしたことがない。
この退職金の残りでどこか旅行にでも行って休んでみたいと願っていたのだ。
それが、欲しくもない外車に換えられてしまい
それはもう道夫の話をじっくりするとなるとこの話題が必ず出るので相当恨んでいるようです。
あの世でも会いたくないほど愛想を尽かしています。
元は恋愛結婚なのにね。
よく働いた奥さんをねぎらわないと世の旦那さん、恨まれますよ☆


と、東京大空襲の話が半分しかなくてうちの歴史だったりしてしまいました。


東京大空襲の少し前の有楽町の爆撃の話を加えます。

祖母せつ子と曾祖母穣は近く嫁ぐ道夫の妹(当時は神田に同居中)のために
結婚の嫁入り支度の着物一式を借りに道夫のもう一人の妹の嫁ぎ先横浜YR堂に借りに行った。
(金持ちだろうからいろんなものたくさん持ってるからイケそうだということなんでしょう。)
その結婚間近の小姑は神田に留守番。
戦時中なので買えないとかそろえられないとかなんかそういう理由かと思うが
貸してと言いにいったのか荷物はどうしたのかよく覚えていない。

その帰り道。
省線(のちの国電。またのちのJR)桜木町駅から乗ってきた。
有楽町で空襲警報が鳴る。
電車が止まってしまって「降りろ」と言われた。

このとき爆撃されるのだが、初めて民間に爆弾を落としていった事件。
どうやら爆撃先の工場に落としそびれた残りの爆弾をその辺に落としていったんじゃないか
といううわさ。

ホームに降りたせつ子と穣。
ホームには水兵さんがいっぱいいいた。
本来なら水兵さんにくっついていたら頼れそうなところを
せつ子はとっさにここじゃいけない!!と感じホームから慌てて外に出ることに。
改札から出ると土嚢が積んであった。
普通民間に爆弾は落とさないのだが一応爆風よけで積んであったものだ。
駅長さんが「そこに入れ入れ!」とみんなを誘導していたので入った。

しゃがんでじっと身をひそめた。
そしたら



ドッカーン!!!!



と音がした。
近くに爆弾が落ちたのだ。
死ぬと思った。
土嚢が爆風で飛びちりその土がつちぼこりになった。
目を開けても土埃でまっくろ。
これから生き埋めになって死ぬのだろうと思った。
耳を塞いだままうずくまっていた。

しばらくすると土煙がおさまりまわりがみえるようになっていた。
若い男が「手をつないで。大丈夫だから外に出よう」と声をかけてくれた。
皆で手をとりあってそろそろと外に出た。

外に出ると爆風でやられた人があちこちに転がっていた。
男の子やなんか(よほど印象にのこっているらしく、男の子のことだけ必ず言う)

穣は恐怖であわあわして口がきけない。

自分は東北は仙台生まれで嫁いで東京にきたばかりなので道がわからない。
もちろん交通はマヒしていたので歩いて帰らねば。
有楽町から神田(末広町あたり)まで穣がなんとか土地勘があり歩いて帰った。
当時は車なんて走っていない。
やっと電車が走っている程度だった。

よく穣と
「あの時死んでいたら使えない男やもめ二人(うもんと道夫)しかのこっておらず、
この家なんて持ちこたえられなくて
何も残っていないだろうね」
と話したそうだ。

この一連、せつ子二十歳そこそこの頃。
怖いって感じがしなかった。
あたしびくともしなかった。
みんなブルブル震えて青くなっているところを平気だった。
私、怖さを知らないっていうか少しおかしいんだと思う。
今の方がだめかも。

なるほどね。
若いころは今を生きているんだろう。
だから怖いものもなかったのかもね。

65年以上昔の話。
絶対に忘れない。
だそうだ。

勘だな。
そして人気の少ないところに移住するんだな。
誰が何と言おうと自分を信じて走る!!
そんな感じだな。
おばあちゃん、ありがとう。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
最悪 ()
2012-04-06 20:29:17
だらだら長い文章で貴重な話が読み取りにくい。
返信する
Unknown (ブログ主)
2012-06-29 08:00:23
最悪さん

すみませんひとりごとなんで。。。文才もありませんし。
でも、貴重ですよね。よかったです、投稿を公開してみて。
返信する