種々

世界の片隅でキラへの愛をこっそりと囁くブログ

共に生きることでしかとれない責任

2012-03-14 22:45:00 | SEED DESTINY
ちょびっと前回記事の続きも兼ねつつ、
恋愛というより、男女として共に死んでいった議長とタリアというのは、SEEDの恋愛ないし男女が人生を重ねることへの一つの結末かな、というか、他のキャラは大抵、さぁ、これからといったかんじですし、
29話みても、キララクとギルタリは、対比的に語られてもいるし。

恋とか愛とかだけではなくて。
相手の価値観とか人生に、不可逆な、取り返しのつかない変化、変質を与えた関係。
なによりも、それを背負う覚悟。
監督ツイッターの一連(ってもここ数日見てないんですが)の中で、まだしも具体的な・・・とまでは言えなくとも、
ヒントになりえる言葉は、覚悟、なんじゃないかな、と。

タリアは、自分が関わった、繋がった男が、どういう風に生きていったか、みたいなところで。
これは私の責任だ(私の原因だ)を思った部分もあったのではないかと。
私のせいで、ってのはちょっと違うし、選んだのは、あくまで議長なのだから、議長以外の人間に責任はないというのが前提で。
相手の人生に自分が関与しているという感覚。そして関与の自覚だけでなく。
もっと言えば、関与したい、あるいは関与したことに責任を持ちたい。そういう相手であるということ。
相手の人生を許せるか、そんな雰囲気というか・・・
「愛」というよりは「情」的なニュアンスの方が強いかもしれない。それこそ、しょうがない人ね、的な。
タリアがより愛しているのはやはり子供なんだろうな、と。
ただ、より責任を取らなきゃいけないと感じたのは、議長なんだろうな、というか。(日本的な言い方をすれば、親権は父親側が持っていたみたいだし)
そういう意味では、一緒に生きなければならない人だったのに、離れてしまった。それが相手の人生を変えてしまった。
大仰な言い方をすれば、絶望のその端の一端でも希望に転化するために。一緒に生きられなかった代わりに、一緒に逝く。彼の人生の意味を変える。その最後の意味を。ここまで彼を導いてしまったのはかつての自分なのだから。
他者本位と自己本位が裏表としてあるような、そんなような・・・

キラ(←)フレとキララクにもそんなニュアンスがある。
その責任とか覚悟を、先に決めたのは、それぞれ女性の方。
フレイの方は、あって謝りたい、そしてキラが一人で苦しんでいるのならば、ただ傍にいることしかできないけど、それゆえに、私が傍にいる。
愛も含んでいるけれど、イコールではなくて。
ただこれは、けっこうフレイの方の一方通行の気配があった気配を感じる。
キラは「守る(償う)」以上の未来を、フレイとは考えていなかったと思うし。

キララクについては、それぞれ愛情よりも責任(負い目含む)が先行しつつ、(ラクスのポット回収・人質・返却・決意・フリーダム譲渡。「大丈夫?」という言葉から、キラはラクス側のリクスを弁えていただろうし)
そこに共に歩める道、恋愛的な思慕、共感。それが付随していった感じながら、
徹底的に自体(というか関係性)が動いた、というか固定されたのは、キラの出自が判明した。あの時の「貴方を見つけて私は幸せになりました」「あなたにここにいて欲しい」かな。
貴方は悪くない的な一般論ではなくて、ただ私の幸せと願いと引き換えに、キラの存在を肯定した。
キラの生の意味そのものを、自分ひとりで負ってもいい、というだけの覚悟だったと思うし、
これからの、運命39話まで、キラがその手をとる覚悟を決めるまでの物語だったのかなーと・・・・
君の幸せの為に。それ(君の幸せ)を願う僕のために。そんなループを作ることが、共に生きるために・・・。

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