夢、という言葉がわりとよくでてきていたなぁ、という話。
といいつつ、いきなり、夢という単語のでてこない台詞を引用すれば、
運命プランを語りあうAAのシーンで、
望む力を全て得ようと、人の根幹、遺伝子にまで手を伸ばしてきた僕達コーディネイターの世界の究極だ
のキラの台詞はみょうにどきっとしたんですよね~
なににといわれると上手くいえないんですが、
内容とか以上に、キラの言葉だということが。
僕たちコーディネイターの世界の究極、
このくくりもちょっとどきっとするというか。
わりと無印当初から、コーディネイターの世界、というものからはじかれてきたキラが、
コーディネイターというくくりの中で、まとめているという部分もあるのかな、とか、
コーディネイターの究極、最高のコーディネイターという出自を知っているのは、
この場では、ラクスとマリュー(多分)のみ、
本人とごく少数しか知りえない意味合いがあるというその場での裏表というか・・・
システムとしての究極が運命プランなら、
個体としての究極がキラ、というくくりになるのかな、と。
そういう意味では、キラがどういう心地であの場所にいたかというあたりにどきっとするのかもしれないなと。
「でもそれってナチュラルの、と言うか、夢だったんじゃないの?みんなの」
「キラ・ヤマトという夢のたった一人」
「人の夢、人の未来、その素晴らしき結果」
「夢を見る。未来を望む。それは全ての命に与えられた生きていくための力です」
「貴方の夢は貴方のものですわ。それを歌ってください。自分のために。
夢を人に使われてはいけません」
あるいは
「キラには悲しい夢が多すぎます」
「悪夢」
コーディネイター、あるいは「キラ・ヤマト」が夢として語られているなぁ、と。
ラクスは、コーディネイターは進化したものである、ということは否定しつつも、
コーディネイターという夢と、そしてキラのことは限りなく肯定し、
存在するだけで肯定されるべきという意識とともに、
自分とはなにかということは常に問い続けるべきだという意識も訴えているのかな、と。
ラクスがキラと共に歩いていくことを決めたのは、キラには悲しい夢が多すぎる、というこのシーンからでないかなぁとなんとなく思っていたり。
覚悟というか誠意というか、どこかで「見届けよう」的な部分もあったのでは、と。
この、コーディネイターの夢の行きつく到達点の1人である彼がどうなるかという、クラインというプラントの最高位の名前を継ぐ者としての自意識と、
ただ、見守るだけじゃなくて、返してくれた恩義や純粋に惹かれる気持ち、合わせて私的な部分の自分の人生彼にあげよう的な部分もあるのではとかちょっと思ったり、
なんとなく、最後議長と命運を共にしたタリアに通じる感じなのかな~と勝手に思っていたり・・・
最近どうもギルタリとキララクが重なるというか・・・
相変わらずまとまらないorz
というか、今日はなんとなく、私が普段かいている文章そのものが言葉や設定をいじくりまわしているだけの無味乾燥の内容なんかじゃないかと我にかえりかけてしまった・・・orz
といいつつ、いきなり、夢という単語のでてこない台詞を引用すれば、
運命プランを語りあうAAのシーンで、
望む力を全て得ようと、人の根幹、遺伝子にまで手を伸ばしてきた僕達コーディネイターの世界の究極だ
のキラの台詞はみょうにどきっとしたんですよね~
なににといわれると上手くいえないんですが、
内容とか以上に、キラの言葉だということが。
僕たちコーディネイターの世界の究極、
このくくりもちょっとどきっとするというか。
わりと無印当初から、コーディネイターの世界、というものからはじかれてきたキラが、
コーディネイターというくくりの中で、まとめているという部分もあるのかな、とか、
コーディネイターの究極、最高のコーディネイターという出自を知っているのは、
この場では、ラクスとマリュー(多分)のみ、
本人とごく少数しか知りえない意味合いがあるというその場での裏表というか・・・
システムとしての究極が運命プランなら、
個体としての究極がキラ、というくくりになるのかな、と。
そういう意味では、キラがどういう心地であの場所にいたかというあたりにどきっとするのかもしれないなと。
「でもそれってナチュラルの、と言うか、夢だったんじゃないの?みんなの」
「キラ・ヤマトという夢のたった一人」
「人の夢、人の未来、その素晴らしき結果」
「夢を見る。未来を望む。それは全ての命に与えられた生きていくための力です」
「貴方の夢は貴方のものですわ。それを歌ってください。自分のために。
夢を人に使われてはいけません」
あるいは
「キラには悲しい夢が多すぎます」
「悪夢」
コーディネイター、あるいは「キラ・ヤマト」が夢として語られているなぁ、と。
ラクスは、コーディネイターは進化したものである、ということは否定しつつも、
コーディネイターという夢と、そしてキラのことは限りなく肯定し、
存在するだけで肯定されるべきという意識とともに、
自分とはなにかということは常に問い続けるべきだという意識も訴えているのかな、と。
ラクスがキラと共に歩いていくことを決めたのは、キラには悲しい夢が多すぎる、というこのシーンからでないかなぁとなんとなく思っていたり。
覚悟というか誠意というか、どこかで「見届けよう」的な部分もあったのでは、と。
この、コーディネイターの夢の行きつく到達点の1人である彼がどうなるかという、クラインというプラントの最高位の名前を継ぐ者としての自意識と、
ただ、見守るだけじゃなくて、返してくれた恩義や純粋に惹かれる気持ち、合わせて私的な部分の自分の人生彼にあげよう的な部分もあるのではとかちょっと思ったり、
なんとなく、最後議長と命運を共にしたタリアに通じる感じなのかな~と勝手に思っていたり・・・
最近どうもギルタリとキララクが重なるというか・・・
相変わらずまとまらないorz
というか、今日はなんとなく、私が普段かいている文章そのものが言葉や設定をいじくりまわしているだけの無味乾燥の内容なんかじゃないかと我にかえりかけてしまった・・・orz
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