昨年5月に書いたブログです。一部加筆等しています。
「時の記念日」について、キチンと知識として調べてみようと思い検索してみた所、
(以下ウィキペディアより引用)
1920年に東京天文台(現在の国立天文台)と文部省の外郭団体である財団法人の生活改善同盟会によって制定された。
日本国民に「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と呼びかけ、時間の大切さを尊重する意識を広めるために設けられた。記念日ではあるが、法定された国民の祝日ではない。
現在の日本では6月に国民の祝日がないため、時の記念日を6月の国民の祝日にすべきとの意見も多いが、実現には至っていない。
生活改善同盟会が、1920年(大正9年)5月16日から7月4日まで東京教育博物館で「時の展覧会」を開催し、期間中の6月10日を時の記念日として設定し、行事・宣伝を行ったのに始まる。
翌1921年(大正10年)以降20年以上にわたり成果いつ改善同盟会を中心に全国各地で記念行事が行われた。
戦後は時計の業界団体をはじめ各種の民間団体が関連行事を行い、特に東経135度の子午線上にある明石市の時のウィークや、天智天皇をまつる大津市の近江神宮の漏刻祭はよく知られている。
なぜ6/10なのかですが(これもウィキペディアより引用)
『日本書記』天智天皇十年四月辛卯条(天智天皇10年4月25日(グレゴリオ暦671年6月10日))に、
「置漏尅於新臺。始打候時動鐘鼓。始用漏尅。此漏尅者天皇爲皇太子時始親所製造也。云々。」
(漏尅を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。始めて漏剋を用いる。此の漏剋は、天皇の皇太子に爲(ましま)す時に、始めて親(みづか)ら製造(つく)りたまふ所なりと、云々(うんぬん)。
とあり、日本初の時計が鐘を打った日が6月10日であることからこの日となった。なお、「漏尅」すなわち「漏刻」とは水時計のことである。また、下記脚注のとおり、斉明天皇6年の条にも「漏尅」創設の記述があるが、天智天皇10年の記述との関係は不明。前者には日付がないので、後者の日付が採用されたものと考えられている。
とのことでした。
引用ばかりですがすいません。
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