一時TVの前から離れていたんですが、
濱中、鳥谷の連続アーチの時に
タイミング良く見ることが出来ましたよ~。
その代わり、その後の球児のストレスたまる投球にも
付き合わされてしまいましたが!
甲子園だとちょっとは頑張れるみたいですねー。
もう明日からは9月。
優勝は奇跡だとしても、
もうしばらくの間は、楽しく野球が見たいものです。
ほんとお久しぶりね~。なんですが。
夏が終わっちゃわないうちに、設定公開いきます。
ネタバレ部分は例によって反転でー。
①フルネーム
テルカ・ファン
②生年月・出身地
アシアン暦244年10月生まれ
半島南東部グルカ侯領の都ヴィトリア近郊にある旅芸人の村で生まれる。
③身分・素性
旅芸人の座長ジェルバ・ファンを父に、領主グルカ家の血を引き、
グルカ侯の側近をつとめた才媛を母に持つ。
大恋愛の結実として生まれた娘だったが、両親の関係は長続きせず離縁。
父の後妻の一族である旅芸人たちに育てられた。
スーリの他何人かいる異母弟妹とは区別され、姫として大切に扱われる。
実母とはたまに会い、勉強して役人になることをすすめられるが、
本人は性に合わないと辞退。父に従うヒバリ一座の一員となる。
担当は芸ではなく、裏方としての経理・庶務・広報等々。
分隊の隊長として父の補佐役として、信頼を集める立場となった。
16歳の夏に、イムレ火山の山裾で休んでいたところ、
王子シャリオルフィンに求められて、彼とフィダム・レイを窮地から救う。
帰る手段のない二人を一座に同行させることになるが、
短い旅の間にシャリオルフィンと愛し合い、彼の初めての女性となった。
しかし王都行きを誘うシャリオルフィンをあっさりと拒否。
思い出の他は何も得ず、旅芸人の行き方を選んだ。
その後父を継いでヒバリ一座の座長となるが、
異母弟スーリが成人すると一線を退いた。
恋多き女でもあったが、母のすすめる官僚と結婚する。
見合いのような縁ではあったが、理想が高くて性格のアツい者同士で気が合い、
多くの子どもをもうけた。
息子のひとりはクォーナの学問所に進み、
母の昔の恋人と意外な再会を果たすことになる。
結婚して母となっても、単なる奥様の立場にはおさまらず、
ヒバリ一座の為、グルカ家の為、何かと働く一生を送った。
④外見
ほどほどの身長(160㎝ちょっと)。
日焼けしたスレンダーボディに肩出しヘソ出しの原色の衣装が映える、
健康的な色気の持ち主。目は緑がかった褐色。
くるくると渦を巻く長い髪は本来赤褐色だが、
陽の当たりすぎで退色し、毛先ではほとんど金色。
美人というよりは愛嬌のあるタイプで、常ににこやかだが、
必要な時には意志の強い凛とした表情を見せる。
⑤性格
常に前向きで立ち止まらないタイプ。頭の回転が速く機転がきき、行動派。
恋愛にも非常に積極的だが、気性がさっぱりしているので、
ドロドロした関係とは無縁。
商売上、下手に出ることもあるが、本来は誇り高い人間。
芸人の気性と貴族の人格をあわせ持つ、市井のカリスマである。
⑥趣味・特技
舞台には立たないが、踊りは師匠の腕前。
料理・裁縫・読み書き・計算なども得意。
趣味というほどではないが、髪を洗ったり風呂に入ったりするのが
やすらぎのひとときらしい。
⑦その他 作者コメント
シャリオルフィンの初恋のひと、テルカ。
彼女はマジャスと対照的にしようと意識的に設定しました。
外見もそうですし、年齢も少し年上ですが同世代、
ポジティヴで強くて、幸福で愛にあふれた少女。
けれども、作者の思惑とは別に、彼女は生き生きとシャリオとの関係を
楽しんでくれたように思います。
彼女にとっては星の数ほどの恋愛経験のひとつに過ぎないのでしょうが。
テルカの父が率いるヒバリ一座は、表向きはグルカ侯領とアルシス侯領を
行き来する旅芸人ですが、アルシス侯領で捕らわれた人間(主に女こども)を
故郷に戻すというグルカ侯の密命を帯びた組織でもあります。
これはテルカの父が前妻の意向を汲んで始めたことで、
地道ではありますが、大きな意味のあることです。
グルカ家は巫女の家系であった為、兵力財力に乏しく、
その領内は海賊山賊の根城になっている。賊はしばしば隣のアルシス侯領に入り
悪事を働くのですが、その中で最も悪質なのが、人さらい。
さらった人間は北部の鉱山や農場で働く奴隷として売りさばかれ、
賊の重要な資金源となっています。
グルカ家はこの悪事がもとで“南海の覇者”アルシス家と戦争になることを
恐れています。勝負にならないですから。
かといって領内にはびこる悪の勢力を討つのも、なかなかはかどらない。
せめてわずかでも、被害者側の感情をやわらげるべく、
保護した奴隷を故郷に帰そう、そして帰郷したかれらに、グルカ家の誠意を
語ってもらおう…それがヒバリ一座が請け負っている裏の仕事です。
大っぴらに出来ればいいんですが、領主が直接やってしまうと、
領内の賊の存在を公認しちゃうことになりますので、
あくまでも秘密の慈善事業というかたちになっています。
長くなりましたが、そういった複雑な環境で、芸人と貴族の絆の結晶である
テルカが、姫としてあがめられて育ったのは当然といえるでしょう。
わがままな人間にもなれたのでしょうが、そのあたりは周囲のしつけがよろしく、
彼女は奔放ながらも使命感の強い娘となりました。
離れて暮らす実母からの影響もあったでしょうね。
そしてそんな彼女の強さは、自分の使命に悩む王子シャリオルフィンを
強く惹きつけることになるのでした…。
テルカとシャリオの恋はひとつの理想型。でも長続きはしない。
一緒にいる為にはどちらかの存在を手折ることになってしまうから。
そんな青春であり、想い出の恋です。ちなみに彼女の目とか髪の色は
のちにシャリオが出会うシャロムに似た感じにしてます。
テルカはその後シャリオと会うことはしませんでしたが、
なんらかの形で王政に助力したいとは思っていたようです。
その想いが、彼女の息子の一人を王都の学問所に向かわせます。
テルカの面影を持った青年が、シャリオの目にとまるのは
そう難しいことではなく、その新たな出会いは田舎出の青年を
歴史の中心へと導くのでした…続く。
テルカは、短い名前にしようと思っていました。庶民っぽく。
テルカは本文中で語られているとおり、照であり輝であり、
火、歌、夏、果、そして花です。
ファンは英語のFUN。雑伎団っぽいイメージも狙っています。
えーと、普通自分の中では一度評価したものを
ひとさまの目に触れる範囲では語り直さないんですが、
最初のレビューを見て、ちょっとずれというか
誤解を招いちゃった方がいらっしゃったかなーっていうのがあって、
もう一度、創作者から見た映画「ゲド戦記」を
いくつかの視点から語ってみようと思います。
以下、一応反転で。
最初から酷評しても良かったんですが、
やっぱりジブリブランドの呪縛があったようです。
これだけマスに受け入れられているものをけなすのは、
自分のへそ曲がりを公表するだけではないのか、みたいな。
でもネットで色んな意見を見ているうちに、原作を読んだ人間として、
納得のいかない部分が出来てきたんですよね。
ひとつは、登場人物のストーリーの整合性です。
ル・グィン作品の特徴として、
キャラクターすべてに人生がある点が挙げられると思います。
ゲドしかり、「闇の左手」しかり「言の葉の樹」しかり。等々。
(初期作の「ロカノンの世界」あたりだとちょっと?ですが)
主人公、その相手役、悪役、脇キャラ、その全部が
おのれの必然とする理由によって動いているのが、ル・グィン作品です。
詳しくは小説を読んでいただくとして、でも映画版ですが。
アレンの行動については、色々と説明をしようと言う意志は感じます。
でもゲドは?クモは?そして何よりテルーは?
アレンに対する興味、同情、理解といったものは感じます。
でもそれが何故なのか、映画では説明されません。
何故テルーが竜なのか、という大切な点でさえ。
原作では、テルーは竜でした。それゆえに人とは相容れず、
可哀想なんだけど素晴らしかった。
竜は竜で、人を助ける道具じゃないと思います。
少なくとも、ああいう便利な遣われ方をする存在ではない。
もっとひとの意志にはそぐわないものである筈です。
でもテルーは助けてくれたテナーの為、
普通に接してくれたゲドの為、ちょっとした心の交流を持ったアレンの為、
クモの城に向かいます。いい話です。でもそれは普通の少女の話。
テルーとしての必然はどこにあったのでしょうか。
それと、真の名前についてなんですが。
映画では信頼の証として交換されたり、
心を奪われる象徴として奪われたりしてましたが、
どちらも自分から名乗っていたんですよね。
でも原作では逆の場合が多くて、
ゲドが名付けられるシーン、
テナーが名前を取り戻すシーン、
ゲドがレバンネンを呼ぶシーン、
テルーがテハヌーと呼ばれるシーン、
それらは、自分を信頼する誰かが、
新しい自分を見出してくれる場面であったと思います。
オジオンは違いましたけど、でも彼も最後に名乗ることによって
「新しい何か」に成っていきました。
映画のアレンやテルーは新しく全き自分になれたのでしょうか?
それは過去の罪と向き合うどころでない
もっと重い何かを背負うことだと思うのです。
ファンタジーのほとんどは普遍的な解釈を持っています。
「これ」もひとつの見方なのでしょう。
しかし「彼」の語りたいものはゲド戦記の骨の部分ではなかったように思います。
私の思うゲド戦記とも多くを違えるものでした。
不幸な齟齬というべきかもしれません。
大作であるだけに、残念だったと思います。