ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

一日遅れで・・

2006-01-10 17:52:50 | 着物・古布

昨日は「成人式」でした。
今年成人なさった皆様、一日遅れで申し訳ありませんが、おめでとうございます。
というわけで、本日はまたまた「昔の晴れ着」です。
これはたぶん幕末頃か明治初期ではないかと思われます。
その時代の割には状態がいいので、もう少しあとかとも思うのですが、
かなり保存がよかったのではないかと・・。
柄行の地味さは、江戸ちりと呼ばれる着物全般に言える特徴です。
但し、これはちりめんではなく「平織」つまり平絹ですが、
少しシャリ感があるので、縦糸が麻かな・・とも思っています。
触感だけで繊維の種類に自信が持てないときは、端を解いて少し糸を出し
それを燃やす・・という方法で確認するのですが、
これはとてもそれをする気にはなれませんで・・。
いずれプロの呉服屋さんに、確かめていただこうと思っています。
2枚目は、前の柄部分です。
全体に薄く綿が入っています。風景柄で、橋を渡った先には家があります。
かやぶき屋根の部分は「金糸」が使われて刺繍してあるのですが、
さすがに少し変色しています。袂に滝があったり、社のようなものがあったり
着物の裾も袂も内側も、全てをキャンバスにして大きな景色がひろがっています。



3枚目は裏側、共八掛も手を抜いてませんね。真ん中の白い○は、
汚れではなく、フラッシュの加減のようです。



晴れ着、と書きましたが、特別な晴れ着というより、これくらいのものを
普段から着ていたような、裕福な家の娘さんのものかもしれません。
たぶん「重ね」であつたはずですが、残念ながらこれ一枚の出品でした。
画面ではよくわかりませんが、控えめの上品なツヤがあります。
わずかに汚れがありますが、これは着ようと思えば着られる着物。
でも、着たらじっと動かないでいるかも・・。

さて「成人式」、現代は20歳ということですが、
昔はご存知のように、年齢が決められていませんでしたし、
もっと若い時期に「元服」という方法で「成人」と認められました。
元々は平安時代以降の公家や武士のしきたりで、成人という意味が
今とは少し違います。現代では心身ともに、いわゆる「オトナ」になったんだよ、
自分の行動というもの、社会人としての責任というものを、
自分自身で考え、やっていくんだよ・・とまぁそんなところでしょうか。
昔は、そういう意味ではなく「加冠(かかん)」とも言って、
要するに「オトナとしての身分」を賜る、ということです。
冠というのは、当時の人にとっては身分や立場をあらわす大切なものでしたから、
それを被ることを許されるということは、立場・待遇も大人として扱われる、
ということだったんですね。だいたいは10歳から15歳くらいというのが
多いのですが、武家などは先祖代々のしきたりに従って年齢を決めたりも
していたようで、10歳以下というのも珍しくありません。
時代がさがって、武士は元服して前髪を落とす・・というようになり、
それが町人にもひろまっていったわけですが、やはり年齢は、
立場・状況によってマチマチでした。例えば「奉公」しているような場合は、
勤続年数にもよりましたし、仕事ぶりでの出世というのもありました。
昔の奉公というのは、今の就職とは違って、雇い主は親のような立場でも
ありましたから、子供の頃から丁稚として入れた者については、いずれ
商いをやっていけるようにと仕込み、勤勉であれば手代、番頭、と出世させ
場合によってはのれんわけ、というようなところまで、面倒見たわけです。
その経緯の中で、元服もあったわけですがだいたい18歳くらいだったようです。

また、女性の元服、というのもありまして、女性のは場合は「婚期」を
迎えましたよ、というアピールみたいなものです。
したがって、髪型を変えたりとか、鉄漿(おはぐろ・お歯黒)をするとか、
そういったことで表しました。
お歯黒というのは「鉄奨水(かねみず)」と「五倍子粉(ふしこ)」で
作ります、って言っても「カネミズ」って「フシコ」ってなに・・ですね。
カネミズはお茶に焼いた古釘を入れ、飴・麹などを入れて保存するとできる
いわば「鉄さび」の溶けている水・・すごいもんです。
この「製法」というのは、個々で違っていて、いわば「我が家のぬかみその味」
みたいに、母親から伝授されたり、ヨメに行った先でお姑さんから
伝授されたりなんてこともあったようです。
これにこの水が歯によくつくように、「フシコ」という粉を入れるのですが、
この「フシコ」というのは調べたところによりますと「ふし(うるし科)
という木の幹をアブラムシの一種が刺してこの穴から流れ出た樹液」だそうです。
そーだったんだ、私は何かの木の実を粉にしたものかと思ってました。
あんまりキモチのいいもんじゃありませんね。で、この「ふしこ」には
タンニン酸が多く含まれているのだそうです。要は、鉄分と化学反応を起こさせて
「塩」を作るということでしょう。それで歯を守ることにもなったんですね。
この「お歯黒」については西と東、地方地域、また年代などで
いろいろ違っていたようですが、大まかに言うなら、結婚が可能になったころ、
つまり「子供が生める」ということですね、そういう時期に、
「かねつけ」というような儀式をして、これが女性の元服だったわけです。
中世には男性もやっていたましたが(時代劇でお公家さんがやってますね)
江戸時代はもう、女性の習慣として定着しました。
お歯黒をする時期やしきたりについては、いろいろ違いはあるようですが、
結婚すると必ず「おはぐろ」「眉剃り」をする、というのはポピュラーな
「既婚者の印」だったようです。
今の時代に暮らす私たちは、眉がなくて、歯が真っ黒というのは
どうにも「異様」に感じるものですが、当時の男性にとっては、
新妻の「眉なし」「歯がまっくろ」というのはとてもセクシーだったようです。
いつも思います、美しいということに「これ」という基準はないのだ・・・と。









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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
とんぼ様、教えて下さいませ、 (ぶりねぇ)
2006-01-10 21:03:29
これは、大振袖、それとも、中振袖?



母や祖母は、袖丈が3尺ぐらいで、紋付のを大振袖と言っていました。 紋がなければ、袖丈が2尺5寸だろうが、3尺あろうが、中振袖と呼んでいたのですが、この分類、命名方法には、少なからず疑問を持っていました。

(なんで、生きていた時に訊いておかなかったと自分で、ツッコミ(^^;)



ご存じでしたら、どうぞ、よろしくお願いいたしまーす♪



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ちとややこしいのですが・・ (とんぼ)
2006-01-10 21:38:36
ぶりねぇ様



単純に言ってしまうと、紋がついてなくても袖丈が3尺程度のものは「大振袖」といいます。現代ではカンタンに「振袖は未婚女性の正装」と言いますが、もっと細かく言えば「大振袖が、一番の正装」なのです。つまり花嫁さんが着る振袖。コレには昔は紋をつけましたが、それは着物で暮らしていた時代に娘さんは振袖を何枚も持っていて、今の人がブランドのスーツやフォーマルドレスなどを、目的によって着分けるように、振袖を着分けていたからです。今日は紋がついてないのでいいわ・・とか。紋をつけると格があがりますから、なかなか着る機会がありません。また模様がだんだんハデになつてきて、紋をつけてもめただなくなりましたから、大振袖でも紋をいれないというものもで出来たわけです。振袖についてだけでも、ブログ一本書けますから、今度やってみましょう。
返信する
かさねてお願い (蜆子)
2006-01-10 21:40:36
昨日百貨店での「利休の世界」という催しを見てきました。

展示品の中に小袖がいくつかありました。この小袖、袖巾は見たところ6寸ぐらいしかありません。その分身幅が肩幅から裾巾にいたるまで真っ直ぐ、今のように肩幅が広くて、身幅は狭いってなことないんですね。

写真の振袖の身幅、袖巾はいかがでしょうか?

直線立ちの和服、身幅が現在のようにいささかその人にあったように仕立てるようになったのはいつ頃から、

どんなものなんでしょう

私にも教えて下さいませ。よろしくお願いいたします。
返信する
正確ではないかもしれませんが (とんぼ)
2006-01-10 22:46:36
蜆子 様



まず、写真の着物ですが、身幅は30センチ、袖巾は32センチです。

着物の巾、というのはこれまたダイジェストになりますが、帯の太さと着物の着方に関係してきます。だんだん帯巾が広くなっていき、着物の身幅も少しずつ狭く、当然袖巾はその分広く・・ですね。ここから先は、推測部分が多いのですが、以前おはしょりとかそういうところで書きましたように、昔は着物はグズグズと着ていたわけです。そういう状態ですと、あまりピッタリしていなくても着物はうまく身体にまとわりついてくれます。帯の締め位置や締め方も今より下だったりゆるゆるだったりします。そういう状態は明治まで続きました。これは幕末から明治の写真を見るととてもよくわかります。今のようにきちんと着るのが当たり前になったのは、歴史でいえば近代に入ってから。そうなると、きちんと胸高に帯を締めるのには下がボワボワではカッコ悪いので、下がすぼまってきた・・ということではないかと思います。このことについては、また調べてみたいです。はっきりしなくてすみません。
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忘れてまして・・! (とんぼ)
2006-01-11 00:13:54
ぶりねぇ様



すみません、書き忘れました。この振袖は「大振袖」です。袖丈は102センチで背中と袖外の三つ紋付です。
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鉄漿。 (中村屋ダン之助)
2006-01-11 01:37:45
とんぼさん、こんばんは。



江戸時代に結婚をした女性は眉を剃り鉄漿で歯を染めたようですが、さすがに時代考証に比較的忠実なNHKも再現していませんよね。やはり現代の美的観点から遠慮なさっておられるようですね。

その点民放は歯茶目茶ですからね~水戸黄門に銭形平次・大奥物・・・話の筋はともかく、中途半端な知識が邪魔をして途中で見るのも嫌になって消してしまいます。



毎年毎年「忠臣蔵」を制作・放送するのでしたら、一度史実に限りなく忠実なものを再現して欲しいです。46士ではなく寺坂吉衛門のような小者を含めると100人近く居たとか、装束も綿入れの重ね着であってバラバラだったとか・・・これも推定なんでしょうけどね。
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見てみたい! (とんぼ)
2006-01-11 09:20:54
ダン之助様



昔「木枯らし紋次郎」とか「三匹の侍」が放映されたころに「今までのきれいなウソ衣装ではなく、実際に近い状況での時代劇」と銘打って、あのボロボロの道中ガッパや、きたな~いヨレヨレ着物の浪人とかがでましたけれど、それまでのものよりやはり、リアルな感じはありましたね。殺陣も実際にはあんなにバッサバッサと何人も切ることは出来ないそうです。一度、時代劇のウソ・・ということを書いてみようかなーと思っているんです。ウソを責めるわけではなくて、実際の暮らしはこんなだったらしいよ・・ということで。
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