ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

着物は「恵考(エコ)」の優等生です。

2007-07-20 20:27:49 | 着物・古布
昨日の「エコバッグ考」、着物にからめてお話ししようと思います。

エコバッグ、これってつまり「買い物かご」のことなんですね。
今「買い物かご」というと、すぐに思い出すのは
ネットショップの買い物かご、あれはつまり「レジを通るカート」のことです。
でも私たちが子供のころは「買い物かご」といえばおかあさんの必需品、でした。
母はなにやら「とうもろこしの皮」で編んだようなのを
持っていたように記憶しています。伯父のお嫁さんが楕円形のシャレたカゴを
持って嫁いできまして、真新しいそのカゴがいやに高級品に見えたものでした。
なんでそんなカゴが必要だったか…スーパーなんてなかったんですね。
いろいろ置いているといっても酒屋さんがおみそや乾物、缶詰なども置いている…
なんていう程度で、奥さんたちはみんな肉は肉屋、魚は魚屋、野菜は八百屋、
豆腐は豆腐屋、お茶はお茶屋、乾物は乾物屋…で買ったわけです。
なぜか…、まず冷蔵庫が普及していませんでした。
私は木製の冷蔵庫を覚えています。毎日氷屋さんが届けてくれる大きな氷を
まるで金庫みたいにがっちりと作られた木の冷蔵庫の上の扉をあけて入れる。
その冷気が下に下がるわけで、下の扉をあけてモノを入れる。
当然開け閉めで冷気が逃げますから、めったなことでは
あけさせてもらえませんでした。
主婦は日持ちしないものは、その日のうちに食べきるようにモノを買い、
おかずを作り、もし残ったときはよく火を通し、涼しいところに保管!
夏場などは、家で一番風の通る窓際だの北側の壁際だのに、
ふきんをかけて置いたり、蝿帳に入れたりしてました。
ちいさい蚊帳のようなのも蝿帳といいますが、我が家ではまだ現役です。
また世の中全体がいまほど裕福ではありませんでしたから、
どこの家にもママチャリが人数分あるとかマイカーがあるとか、
そういう状況でもありませんでした。
だから、主婦は毎日買い物かごをさげて買い物に行ったわけです。

私は昔の方がよかったから戻ろうといっているわけではありません。
一度味わってしまった便利さから抜け出すのはたいへんなことです。
時代が進み、豊かになり、働く女性が増えた今、買い物は週に一度のまとめ買い、
大型冷蔵庫に詰め込む…それもまたやりくりして暮らしていく方法ですから。
一度便利な思いをしてしまうと、面倒なことに戻るのはたいへんですけれど、
「買い物かごは、持っていて当たり前」、ここに戻ることは、
買い方の問題ではないと思うのです。
エコバッグひとつあればスーパーの袋がなくたって、ちっとも困りません。
沢山買う人は二つ三つと持てばいいわけです。

街に大型スーパーができたとき、人はみなそちらに流れました。かく言う私も。
きれいな柄のポリ袋に入れてくれる、買い物かごがいらない、
なんでもきれいにパックされてる、ラップでくるんで見栄えがいい、
水物を入れるビニール袋は「ご自由にどうぞ」…
なんて近代的でカッコよかったことでしょう。
でも、もう私たち、気がついてますよね、
あの手提げ袋も、お持ち帰り自由のビニール袋も、パック材もラップも、
みんな商品価格に上乗せされているのです。
それでもスーパーが安いのは「大量仕入れ」によるもの、
おかげでキュウリはみんなまっすぐ、ナスやピーマン、ジャガイモは
大きさが揃ったものばかり全部ビニール袋かパック入り、
葉つき大根、泥つきネギなんてものは、めったに見かけなくなりました。

私たちはどこで何をまちがえたんですかねぇ。
ポリ袋、ペットボトル、便利だ便利だととびついて、
いまやごみの始末に困っているやら、石油資源を守るやら…。
紙や経木やガラス瓶で暮らしているころは、ゴミもまとめて出せました。
今やモノひとつ捨てるのに「はがしたこれはこっち、本体はあっち、
この蓋はそっち…」なんかめんどくさいことになっちゃいました。
毎週一度の「プラゴミ」の日は、生ゴミよりはるかに大量のゴミが出ます。
便利に暮らしていくことは、わるいことではありません。
ただ、知恵はいつも必要です。いつも与えられる側の私たちは、
「選択」という知恵を使わねばなりません。
エコバッグは、その一番身近でカンタンなもののひとつだと思うのです。
テレビで「そのうちスーパーの袋をさげるのが恥ずかしい…になるといい」と
言っていました。ホントにそうだと思います。
しかもそれって「今日」からできることなんですよね。


さて「エコ」から着物を考えるほうのお話し。
元々着物くらい「エコ」はありません。「恵考」としたのは、
元々着物は絹も木綿も麻も、みんな自然の恵みです。
その恵をよぉく考えて、最後まで使い切る、これがものへの感謝だと思ったから。

着物は元々35センチ前後の幅、12メートル前後の長さのある反物で、
これひとつで、着物、羽織(羽尺もありますが)、長じゅばん、帯、
なんでも作ることができます。
そして、全て長方形に裁ってそれを組み合わせるため、
全部解いてつなげれば、元の反物の形に戻ります。
傷んだところは断ち切って長方形をうまく選んで組み合わせることで、
着物だったものをじゅばんや子供の着物に、あるいは帯に、
少しずつ減った分を工夫すれば、繰り回していくことができます。
長方形であればこそ、小さくなっても布団の側や鏡掛、巾着、前掛け…、
その布がボロボロになっても、最後はかまどにくべて土に返す、
灰は灰汁、肥料に使う…自然の恵みは自然に還す、これができるわけです。

実際には「着物を縫う」ということが、今や「技術」になってしまい、
私たちは昔の人のようにはできません。
それでも、着物は大事に着てメンテをしていけば、親から子へ、子から孫へと
伝えていくことができます。

着物ばかりをほめるわけではありませんが、
「モノを大切にする」という「エコ」の基本を思うとき、
昔の人の「大切にする・ムダにしない」という知恵を、
着物からたくさん学ぶことができるのです。
モノがなかったればこそ、貧しかったればこそ、
うるさい規制があったればこそ、人はそのワクの中で、
精一杯、モノを慈しみ、むだをなくし、大切にしてきました。

江戸の町では「モノを捨てる」というのは最小限でした。
書き古した帳面や手紙も、ろうそくを使ったあとのしずくも
梳いて落ちた髪の毛も、かまどの灰までも、専門の買取業者が買いまわり、
それぞれにリサイクルしました。
なべや釜の直し、ゲタの歯入れ、ちょうちんの張替え、
割れたせともののつくろい、桶や樽の直し…。
つまり、使い捨てがありませんでした。どれもみな修理し、それでダメなら
回収してリサイクル…すごい世界です。
豊かになる、ということは、捨ててもいいということではないはずなのに、
たくさんあるからいい、また買えばいい…となぜかモノがなくなるという
危機感がなくなってしまいます。
かつて「トイレットペーパー」がなくなったことがあり、
「米」がなくなったことがあり、今はガソリンの値上げが問題になっています。
「足るを知る」ということ、がまんするということ、それを思い出すとき、
大切にするべきはなんなのか、わかるのではないかと思うのですが…。




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7 コメント

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同感です!(再度) (青め猫)
2007-07-20 22:10:55
はい!(とんぼさんのこの記事を読みまして、思わず背を正して気合いが入りました!)

絹着物は蚕が一生懸命に絹糸を出して作った貴重な自然の恵みだし、畑で育った木綿も麻も。
それらはいろんな人々の手が加えられてやっと着物と完成したんだなーと思いを巡らすと、ちょっとした端切れももったいなくて捨てられませんー。

でも、私の場合、まだ着物の良さに気づいて間もなく、それらをフルに生かす知識が足りませんので、偉そうなことは言えませんが。

・・・とりあえず、端切れや解いた着物はきれいに保存して、時たま取り出してはアレコレ何に使えないかな~と考えています。
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Unknown (陽花)
2007-07-20 22:12:21
結婚した当時はまだ買い物籠で駅前の市場へ買いに行っていました。その頃は何をを買ったって新聞紙か茶色い紙でくるくると巻いて「はい」と渡してくれるだけでした。トレーも無くてゴミはもっと少なかったです。最近プラパックに入っている物はプラパックをはずしてもらっていますが、地域によってはゴミの分別が細かく決められていて本当に大変です。
見栄えも大事かもしれませんが、余計なものはつけてほしくないとつくづく思います。
返信する
日本の行き着くところ。。。 (武者子)
2007-07-20 23:47:13
前にも少しお話ししたかも知れませんが、僅かながらでも海外生活経験のある私がいつも思う事は、日本ってものすごく『過重包装』な国だという事です。
お菓子はみんな個包装、ひとつずつ開けては食べる、なので食べ終わる頃にはゴミの山になります。
化粧品にしても、透明ビニールを破いて、シールで塞がれた箱を開けて、箱の形が崩れないように補強してある厚紙を取って、そしてやっとお目にかかれる化粧水のビン。
スーパーの野菜や果物だって、あちらは必要な分だけの量り売りが殆どで、最初からパックされているなんて事はまずありません。
まぁ、私も全ての国を見て廻ったワケではないので、偉そうなコトは言えないですけどね。。。

日本を離れて暮らすと、日本の良いところ、悪いところ、それぞれ見えてきます。
日本人って、物を増やすのは好きだけど、捨てるのは嫌いな人種だと思います。
で、着ない服の為に箪笥を、読まない本の為に本棚を、使わない食器の為に食器棚を買っちゃったりするワケです。
もともと物を増やさないのが一番なんですけど、新しい物を生み出すのが得意な人種でもあるから、なかなか『すっきり暮らす』という事ができないのかも知れません。

でも、とんぼさんの記事を拝見して、究極のエコである着物を民族衣装とするこの国が、なぜこれ程過重包装を愛する国になってしまったのかな、と考えてしまいました。。。
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なるほど (蜆子)
2007-07-21 10:16:37
「恵考」とは素敵な造語です。なるほどですね。
買い物篭、嫁入りに持ってきました赤い楕円形の篭まだ持ってます。ねぎが飛び出たりしましたが、最近長ネギ、もとの3分の2ほどの短い葱が近くで作られるようになりました。
必要は発明の母かも。
エコバッグ、手持ちの生地のなにかで作れば、それは世界に一つ、
自己を主張してやまない人が、なんでブランドの誰でも持てるバッグに殺到する?個人主義の主張とてんで違うだろうとは、私のまわりの反応です。
その人、傘がこわれたので、その生地で作ったのを持ってました。
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Unknown (とんぼ)
2007-07-21 14:05:35
青め猫様
一端の反物を作るのに3000から、
ものによっては倍近くの蚕が使われます。
大切な命をいただくのですから、
あだやおろそかにはできませんね。
はぎれ、大切にしてください。


陽花様
私もカゴもって嫁にきました。二人暮らしでは、
そんなに買わなくてもよかったし…。
今じゃエコバッグしょって買出し部隊ですけど。
こちらのゴミは、ときどき「あれっこれは
どっちだっけ」なんてのがあって、
「ゴミの保管」もたいへんです。
チョコレートひとつ食べても
「これはこっち、これはあっち」ですもんね。
はかりでお菓子買ってたころが懐かしいです。


武者子様
おっしゃるとおりです。
たけのこじゃあるまいし、本体に行き着くまでに
どれだけ「むかなきゃ」ならないか…。
貧しくて、なんでも新聞紙にくるんで
「あいよ」っと売り買いしていたのに、
それがかっこわるい、になったんでしょうね。
戦争って、街が焼けたとか沢山の人がなくなったとか
そういう眼に見えることだけでなく、
よその文化がなだれこんでくることの結果、
これも影響として残ったんですね。
おまけに日本人は「美しいもの」好きだから、
どっかで「美しい」ということの本質を
まちがえた…んでしょうねぇ。
買う側にも責任はあるんですよね、
「高○屋」の包装紙でないと…なんて、
同じものを贈るのに「お店」というブランドを
きにしたりしてるんですから。
もういいかげん「本当にいいもの」を、
しっかり見つめる時期だと思います。


蜆子様
眼の色かえる人は、一部なのだと思いますが、
ほんとに「どうしちゃったの、日本人」って
思います。エコバックは「ラクに持てて
たくさん入る」が原則ですね。




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恵考eko・エコ (Tatehiko)
2007-07-21 15:44:29
恵考(エコ)・・・何のことかと一瞬思ってしまいました。
環境と言う意味で読ませていただいたら良いのでしょうか?
ちょっと英語と言うか外国語に弱すぎるものですから、エコパックなどということにもすなおについていけないのですが・・・。
いま使っているカバンが壊れたら“風呂敷”に代えてやろうと思っています。
着物の絵柄や羽裏の柄なども面白いですよね。
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Unknown (とんぼ)
2007-07-22 00:09:58
Tatehiko様
「恵考」は、ほんとの当て字です。
記事にも書きましたが、
昔は自然素材ばっかりでしたから、
自然の恵みを考えたいと思いましてね。
風呂敷はほんとに便利ですね。
私も大小けっこう持っていて、使い分けています。
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