おくやみのつもりで…リンドウの花、です。
亡くなったのは友人のお姉さま、まだ61歳だったと。
肺炎だったそうで、急も急、最初は「肺炎なので4~5日入院」だったのが、
一週間でなくなられたそうです。肺炎って、怖いんですよね。
友人は高校の同級生、彼女は30代で母親を亡くしています。
女ばかり4人姉妹で、今年亡くなられたのは一番上のお姉さま、
実家にずっといらしたので、友人にとっては母亡き後「母親がわり」の人で、
本人も「実の母親がなくなったときよりショックで…」と言ってました。
そのお姉さま、私のちりめん細工をいたく気に入ってくださって、
私は頼まれないと作らないのですが、お友達へのプレゼントにして、
たいへん喜ばれたとのことで、お褒めいただきました。
その後もこういうのああいうの…と、リクエストしてくださいました。
なんどか載せておりますが、最初にお買上げいただいたもの、
題は「秋日和」です。
このアケビを気に入っていただいて、アケビだけはずして
プレゼントしちゃおうかと思ったのよ、なんていっていただきました。
その後頼まれた、柿だけのタペストリー
手間はかかるのですが、喜んでいただけるとほんとに作り甲斐がありました。
今年の一月、彼女と一緒によってくださって「時間かけてくださっていいから、
今年の秋に、もう一枚『柿のタペストリー』お願い」と…。
亡くなったのはそのほんの二週間後だったのです。
そういえば、三ヶ月に一度はヨーグルト作ったの、パン焼いたのと、
立ち寄ってくれていた彼女が、全然来ていませんでした。
今日、インターホンで彼女の声を聞いて「あっ、まだ作ってない!」と、
タペを思い出したのですが、ちっともそのハナシがでないと思っていたら、
「実はね…」と聞かされたわけです。
たとえ完成していても、もう見ていただくことはできなかったわけです。
私は兄弟がいませんので、姉とか兄とか、そういう感覚がわからないのですが、
「母親みたいなものだったのよ、子供が小さかったから、
親みたいに何でも相談してた」と聞いて、ああそういう感覚だったんだ…と。
私も母を送るべきときが近づいている年代です。
それはさぞかし喪失感が大きかったことだろうと、感じました。
彼女は「あまりにも急だったから、入院はほんの4~5日っていってたから」
とても信じられなくて、私の家へ来る道も、一緒によくきたので
通ることができなかったのだそうです。
当時の友人グループは5人なんですが、友人は自分が信じたくなくて、
結局誰にも知らせなかったと言ってました。
今日はじめて私に最初に言ったのだそうです。
やっと少し話せるようになって…といいながらもまだ涙ぐんでました。
今年の柿のタペストリーは、干し柿と駕籠の中の柿にしよう、なんて
考えて、駕籠をどうするか思案中でした。
もうたとえできあがっても、喜んでいただけないんだなぁと思ったら、
なんだかやっぱり寂しくなりました。
友人が「もーだいじょぶだよ!」と、自家製味噌をさしだしてくれて、
ちょっとホッとしながら見送った私でした。
亡くなったのは友人のお姉さま、まだ61歳だったと。
肺炎だったそうで、急も急、最初は「肺炎なので4~5日入院」だったのが、
一週間でなくなられたそうです。肺炎って、怖いんですよね。
友人は高校の同級生、彼女は30代で母親を亡くしています。
女ばかり4人姉妹で、今年亡くなられたのは一番上のお姉さま、
実家にずっといらしたので、友人にとっては母亡き後「母親がわり」の人で、
本人も「実の母親がなくなったときよりショックで…」と言ってました。
そのお姉さま、私のちりめん細工をいたく気に入ってくださって、
私は頼まれないと作らないのですが、お友達へのプレゼントにして、
たいへん喜ばれたとのことで、お褒めいただきました。
その後もこういうのああいうの…と、リクエストしてくださいました。
なんどか載せておりますが、最初にお買上げいただいたもの、
題は「秋日和」です。
このアケビを気に入っていただいて、アケビだけはずして
プレゼントしちゃおうかと思ったのよ、なんていっていただきました。
その後頼まれた、柿だけのタペストリー
手間はかかるのですが、喜んでいただけるとほんとに作り甲斐がありました。
今年の一月、彼女と一緒によってくださって「時間かけてくださっていいから、
今年の秋に、もう一枚『柿のタペストリー』お願い」と…。
亡くなったのはそのほんの二週間後だったのです。
そういえば、三ヶ月に一度はヨーグルト作ったの、パン焼いたのと、
立ち寄ってくれていた彼女が、全然来ていませんでした。
今日、インターホンで彼女の声を聞いて「あっ、まだ作ってない!」と、
タペを思い出したのですが、ちっともそのハナシがでないと思っていたら、
「実はね…」と聞かされたわけです。
たとえ完成していても、もう見ていただくことはできなかったわけです。
私は兄弟がいませんので、姉とか兄とか、そういう感覚がわからないのですが、
「母親みたいなものだったのよ、子供が小さかったから、
親みたいに何でも相談してた」と聞いて、ああそういう感覚だったんだ…と。
私も母を送るべきときが近づいている年代です。
それはさぞかし喪失感が大きかったことだろうと、感じました。
彼女は「あまりにも急だったから、入院はほんの4~5日っていってたから」
とても信じられなくて、私の家へ来る道も、一緒によくきたので
通ることができなかったのだそうです。
当時の友人グループは5人なんですが、友人は自分が信じたくなくて、
結局誰にも知らせなかったと言ってました。
今日はじめて私に最初に言ったのだそうです。
やっと少し話せるようになって…といいながらもまだ涙ぐんでました。
今年の柿のタペストリーは、干し柿と駕籠の中の柿にしよう、なんて
考えて、駕籠をどうするか思案中でした。
もうたとえできあがっても、喜んでいただけないんだなぁと思ったら、
なんだかやっぱり寂しくなりました。
友人が「もーだいじょぶだよ!」と、自家製味噌をさしだしてくれて、
ちょっとホッとしながら見送った私でした。
逝かれるとショックも大きいですねぇ。
私も61歳の姉がいますから他人事とは
思えないです。母の時は入院したり
徐々に弱っていく姿をみたり年齢的にも
いずれ送らなければならないと覚悟を
していたのですが、姉妹の誰かが・・・
なんて考えた事もありませんからね。
お友達のショックと信じたくない気持ち
分かる気がします。
今年のとんぼ様の作品も見ずに逝かれた
お姉さま、どうぞ安らかに・・・
まのあたりにしてから、これからの時期になると
親や周囲を心配しています。
特に今年は、ウィルスに弱い治療をしているので
院内感染をさけるために処方をかえて
通院回数を減らす事にしました。あなどれませんね。
とんぼさんもお気をつけ下さいね。
ほんと、あけびがかわいらしいです。
まだ、お若いのに・・・絶句です。
一病息災というか、二病も三病も抱えながら生きながらえていることに申し訳ないような気もしますが、欲深く「百歳万歳」画像をテレビでみながら何しようなんて、考えているのですから失礼なヤツです。
私も一月にお会いして、そのときには
もちろんお元気でしたから、
最初に「姉がなくなってね」といわれて、
とっさには意味がわかりませんでした。
まだお若いのに残念です。
えみこ様
なんでもかなりタチの悪い
インフルエンザだったとのことです。
元々喘息気味だったとかで、
あつというまに両肺ひろがったそうです。
これから風の季節、
お体だいじにしてくださいね。
Tatehiko様
本当に、わからないものですね。
なんでも、ご主人も50代でなくされたけれど、
お孫さんをかわいがり、お友達と旅や
いろいろなサークルを楽しんでいらしたとか、
それだけでもよかった…と言ってました。
日々、明るく過ごさねば…と思います。
変悲しいお話でした。ご冥福をお祈りするばか
りです。
皆さんのおっしゃる通り「秋日和」のあけびが
かわいらしく、中の種まできちんと見えるのが
なんとも良いですねぇ。
柿のタペストリーも悲しい思い出になってしまいましたね。
本当にビックリでした。
よく会う人もそうですけれど、
年に何回かのかたは「あのときお会いしたのが
最後だったんだ」と思うとなんとも…です。
アケビの中は、一番悩んだんですが、
たまたま白生地の「絞り」がほんの少し
あったんです。うまくタネのように見えて、
嬉しいです。
柿のタペはもう一枚作ろうかと思っています。
秋には間に合いそうにありませんが…>