ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

♪おふねは どこへ~行くのでしょ~

2006-01-08 01:28:20 | 着物・古布

これはオークション落札品、しぼ大きめのちりめんです。
PCの横に置いてあったのですが、実はこちらへコメントをくださっている
「中村ダン之助」様のHPにおじゃましておりまして、
「かもたま」さんの「日本丸」のところを拝読しておりました。
で、ふと気がついて、おぉっこっちも船だった・・と思い、
今日のお題決定!「お船」、ってちょっと安易じゃない?まぁまぁ・・・。

上の写真は「柄の一部」なんですが、モノの全体写真はこれです。
じゅばんってことだったんですけどねぇ・・こりゃ長ばんてんのような・・。
どうみても、前が合わさらないのですよ。衿は黒繻子ではありませんが、
袖は人形になっているし・・。男の人が家の中で羽織ったのでしょうか。
よく網元なんてヒトは、ゾロッと長いこういうの、着てますよね。
これは私が着て、ちょうど対丈です。ダン之助さまぁ~ご入り用でしたら
お譲りしますよ~、但し傷みアリですー、ははは。





手持ちの材料用のものを見てみると「船柄」というのはけっこう多いです。
子供のもの、大人のもの、老若男女問いません。
ちなみにこの下は「元じゅばん」こちらは日本の船ではなく「南蛮船」。
平絹でまぁまぁの状態、実際はもう少し地色が茶がかってます。
その下は「帯」、これは「猪牙(ちょき)ぶね」ですね。並べてあるところを見ると
「船橋(ふなはし)」でしょうか。




というわけで、ホントに多い船柄ですが、柄としてよく使われるのは、
やはり「千石船」「宝船」です。まぁ宝船というのは「千石船」に
宝が載っているわけで、同じものですが・・。
日本は四方を海に囲まれていますし、雨も適度に降る国で、日本国中
たくさんの川が流れています。当然「水運」ということは発展したわけですが、
そのわりに外国のような帆船の大きいものが作られなかったのは
「鎖国」という政策で、こちらから外海を越えていくということは
なかったからですね。南北朝時代に活躍した「村上水軍」もいましたが、
瀬戸内海では、あまりにバカでかい船は使いにくかったでしょうし・・。
もっとさかのぼると「遣唐使船」なんてのもありましたが、
あの船は底が平らで大波には弱い構造、実際あちらに渡るのは命がけでした。
だんだん一緒に行く船の数が増えたのは、そのうち一艘でもつけばいいから・・
というとんでもない目論見だったわけです。
確かに遣唐使船のおかげで、日本にとってたいへん有益なヒトや物の行き来は
行われましたが、同時に貴重な人材が多数「海の藻屑」と消えたことも事実です。

さて、江戸に戻りまして「千石船」ですが、最初の頃は実際千石積めるという
大きい船をそう呼んだようです。しかし江戸時代に入って、そういう大型船
が当たり前になってくると、今でいうところの「何トン」というような正確な
積荷の石高で呼ばれていたわけではなく、とにかく大型でたくさん積める、
ということで「千石船」と呼んだようです。「廻船」のことですね。
元々江戸時代に入ってすぐは、幕府が西国大名に対して、大型船の製作を
規制しました。つまりは「謀反」防止ですね。この措置は商船にも及びましたが
結局「海運業」は、国内物流に重要な役割を果たしましたから、
商船については緩んで行ったようです。それでも作っていいのは
帆柱一本の和船に限られていたわけで「黒船」にはほんとに驚いたことでしょう。

帯の柄の「猪牙(ちょき)」は、長さ3間前後の細長い船です。
いのししの牙のように、細くて先がとがっていたため、そう呼ばれました。
船頭一人にヒトは2~3人、荷物も運びましたが、もっぱら「水上タクシー」
としての利用が中心だったようです。今の東京は川を埋め立ててしまったところも
たくさんありますが、昔はもっと川がありましたし、運河も多く、
遠出をするには途中川を船でくだって・・というほうが便利だったんですね。

江戸時代は「武士」にしか許されなかった「屋形舟」は、今では庶民の娯楽船。
私も乗ってみたいと思いつつ、まだ未経験です。

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5 コメント

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船ですか ()
2006-01-08 02:10:51
今年もこちらを読んで他力本願で少しでも脳の皺を増やそうと企んでいます。

夏帯に舟の絵が描かれているものを1本持っています。

とんぼさんのお話の”猪牙ぶね”らしい。

ふーーん そうなんだ と 感心しきり。



日本橋あたりも川がなくなって久しい。

風情が無くなりましたなあ。

なんていつを生きていたんだろう 私。



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pxn06132@nifty.com (ぶりねぇ)
2006-01-08 22:58:00
船の柄、いろいろ、ありますよね。

昭和初期の着物や帯、帯留めには、豪華な帆船も。

水運といえば、曳舟。 夏の柄でしょうか。

それと、池波正太郎の「剣客商売」。 剣客商売のおはるが、伝馬船を漕ぐ場面がよくあるの。

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川といえば・・ (とんぼ)
2006-01-08 23:52:34


恵様



横浜もなくなりましたよ。

昔は関内・石川町のあたり、汚い川がありました。

相○線沿いには「帷子川」という川がありますが、

私が高校のころ、まだ川で染物を洗ってたんですよ。

横浜の知られざる名物「スカーフ」などの・・。

きれいな川、欲しいです。



ぶりねぇ様



形がいいんでしょうね、絵になるというか・・。

おはるさんがこくところ、可愛いですよね。

あれは一丁櫓の伝馬船、猪牙よりもう少し小さい

でしょうかね。こぐのは猪牙より難しいそうです。
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船の襦袢。 (中村屋ダン之助)
2006-01-09 01:06:08
船柄の襦袢、まさに私にピッタリではございませんか!お譲り下さいませ。



私の襦袢は総て関東衿です。関西襟の方が着易いという向きもありますが、関西衿の襦袢は打合せが深くなり過ぎて「裾捌き」が非常によろしくないですよね。ゆえに関東衿ばかりを持っているわけです。

しかもこの襦袢(?)更に打合せが浅そうじゃないですか。これなら多少大股でも歩けそうです。先日の同心スタイルでも書きましたが、打合せが浅いほど活動的ですよね~。でも長着でこれをやると格好が悪い・・・
返信する
おぉっほんと? (とんぼ)
2006-01-09 01:53:44
ダン之助様



お譲り致しますですよ。

とりあえず、ダン之助さまのHPに、メルアドいれましたので・・。

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