これはオークション落札品、しぼ大きめのちりめんです。
PCの横に置いてあったのですが、実はこちらへコメントをくださっている
「中村ダン之助」様のHPにおじゃましておりまして、
「かもたま」さんの「日本丸」のところを拝読しておりました。
で、ふと気がついて、おぉっこっちも船だった・・と思い、
今日のお題決定!「お船」、ってちょっと安易じゃない?まぁまぁ・・・。
上の写真は「柄の一部」なんですが、モノの全体写真はこれです。
じゅばんってことだったんですけどねぇ・・こりゃ長ばんてんのような・・。
どうみても、前が合わさらないのですよ。衿は黒繻子ではありませんが、
袖は人形になっているし・・。男の人が家の中で羽織ったのでしょうか。
よく網元なんてヒトは、ゾロッと長いこういうの、着てますよね。
これは私が着て、ちょうど対丈です。ダン之助さまぁ~ご入り用でしたら
お譲りしますよ~、但し傷みアリですー、ははは。
手持ちの材料用のものを見てみると「船柄」というのはけっこう多いです。
子供のもの、大人のもの、老若男女問いません。
ちなみにこの下は「元じゅばん」こちらは日本の船ではなく「南蛮船」。
平絹でまぁまぁの状態、実際はもう少し地色が茶がかってます。
その下は「帯」、これは「猪牙(ちょき)ぶね」ですね。並べてあるところを見ると
「船橋(ふなはし)」でしょうか。
というわけで、ホントに多い船柄ですが、柄としてよく使われるのは、
やはり「千石船」「宝船」です。まぁ宝船というのは「千石船」に
宝が載っているわけで、同じものですが・・。
日本は四方を海に囲まれていますし、雨も適度に降る国で、日本国中
たくさんの川が流れています。当然「水運」ということは発展したわけですが、
そのわりに外国のような帆船の大きいものが作られなかったのは
「鎖国」という政策で、こちらから外海を越えていくということは
なかったからですね。南北朝時代に活躍した「村上水軍」もいましたが、
瀬戸内海では、あまりにバカでかい船は使いにくかったでしょうし・・。
もっとさかのぼると「遣唐使船」なんてのもありましたが、
あの船は底が平らで大波には弱い構造、実際あちらに渡るのは命がけでした。
だんだん一緒に行く船の数が増えたのは、そのうち一艘でもつけばいいから・・
というとんでもない目論見だったわけです。
確かに遣唐使船のおかげで、日本にとってたいへん有益なヒトや物の行き来は
行われましたが、同時に貴重な人材が多数「海の藻屑」と消えたことも事実です。
さて、江戸に戻りまして「千石船」ですが、最初の頃は実際千石積めるという
大きい船をそう呼んだようです。しかし江戸時代に入って、そういう大型船
が当たり前になってくると、今でいうところの「何トン」というような正確な
積荷の石高で呼ばれていたわけではなく、とにかく大型でたくさん積める、
ということで「千石船」と呼んだようです。「廻船」のことですね。
元々江戸時代に入ってすぐは、幕府が西国大名に対して、大型船の製作を
規制しました。つまりは「謀反」防止ですね。この措置は商船にも及びましたが
結局「海運業」は、国内物流に重要な役割を果たしましたから、
商船については緩んで行ったようです。それでも作っていいのは
帆柱一本の和船に限られていたわけで「黒船」にはほんとに驚いたことでしょう。
帯の柄の「猪牙(ちょき)」は、長さ3間前後の細長い船です。
いのししの牙のように、細くて先がとがっていたため、そう呼ばれました。
船頭一人にヒトは2~3人、荷物も運びましたが、もっぱら「水上タクシー」
としての利用が中心だったようです。今の東京は川を埋め立ててしまったところも
たくさんありますが、昔はもっと川がありましたし、運河も多く、
遠出をするには途中川を船でくだって・・というほうが便利だったんですね。
江戸時代は「武士」にしか許されなかった「屋形舟」は、今では庶民の娯楽船。
私も乗ってみたいと思いつつ、まだ未経験です。
夏帯に舟の絵が描かれているものを1本持っています。
とんぼさんのお話の”猪牙ぶね”らしい。
ふーーん そうなんだ と 感心しきり。
日本橋あたりも川がなくなって久しい。
風情が無くなりましたなあ。
なんていつを生きていたんだろう 私。
昭和初期の着物や帯、帯留めには、豪華な帆船も。
水運といえば、曳舟。 夏の柄でしょうか。
それと、池波正太郎の「剣客商売」。 剣客商売のおはるが、伝馬船を漕ぐ場面がよくあるの。
恵様
横浜もなくなりましたよ。
昔は関内・石川町のあたり、汚い川がありました。
相○線沿いには「帷子川」という川がありますが、
私が高校のころ、まだ川で染物を洗ってたんですよ。
横浜の知られざる名物「スカーフ」などの・・。
きれいな川、欲しいです。
ぶりねぇ様
形がいいんでしょうね、絵になるというか・・。
おはるさんがこくところ、可愛いですよね。
あれは一丁櫓の伝馬船、猪牙よりもう少し小さい
でしょうかね。こぐのは猪牙より難しいそうです。
私の襦袢は総て関東衿です。関西襟の方が着易いという向きもありますが、関西衿の襦袢は打合せが深くなり過ぎて「裾捌き」が非常によろしくないですよね。ゆえに関東衿ばかりを持っているわけです。
しかもこの襦袢(?)更に打合せが浅そうじゃないですか。これなら多少大股でも歩けそうです。先日の同心スタイルでも書きましたが、打合せが浅いほど活動的ですよね~。でも長着でこれをやると格好が悪い・・・
お譲り致しますですよ。
とりあえず、ダン之助さまのHPに、メルアドいれましたので・・。