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ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

大津絵の袖

2006-12-21 19:27:51 | 着物・古布

まずはテンプレートを替えました。
というより、以前使っていたものですね。
gooはテンプレートが少ないです。おまけに字の大きさがいろいろ変わる。
ちょっと字が小さくなりましたが、まとまりがよくなった??ということで
ご了承ください。いつまでも紅葉柄というわけにもいきませんので、
しばらくこれで参ります。

さて、写真は時間がなくて広げた写真を撮れず、すみません。
一応じゅばんだということがわかる程度の写真です。
端縫いですね。両袖のみ正絹、胴から裾は2種類のモスリンです。
例によって「穴のもよう付き」…。胴や裾のモスリンは、
よくある「唐獅子柄」などで、どちらも「ウロコ柄」が入っているあたり、
繰り回し、端縫いであっても、作り手の気遣いが感じられます。
今回の「心惹かれた理由」は両袖の柄。大津絵を題材にしています。

「大津絵」というのは、文字通り滋賀県大津で作られた「絵」のことで、
元々は「仏画」「仏絵」が始まりらしいと言われています。
江戸時代に入ってキリシタンが弾圧され、「宗門」が厳しく問われることとなり、
それまで以上に「仏教徒」であることをが大事になったわけです。
まぁそういうものを買ったり持ったりすることで、
仏教徒だよーと、さりげなく主張できたということなのでしょうか。
やがて東海道が整備され、街道沿いの宿場町では、
さまざまま「土地の名物」を売り出しました。
大津絵もそのひとつとなり、また軽くて小さくて持ちやすいという利点もあり、
おみやげとしてたいそうな人気を博したということです。

大津絵は、ありとあらゆるものを題材として描かれたようで、その中から
「おみやげ」という観点から、やはり「売れる図柄」が残っていったようですね。
浮世絵などと違って「美しい」とか「粋」とかいうことではなく、
「決まった意味を持つ決まった絵」というのがセールス・ポイントでした。
なにしろ長い江戸時代、ずっと作られ続けましたので、
最初は「戒め」といいますか、教訓・ことわざ的な意味を持つものでしたが
それが発展して、その後はまじない札とかお守りというような
縁起ものや護符としても使われたようです。
この襦袢には、中でも「売れ筋?」の図柄がいろいろ入っています。
決まっている、と言っても全く同じ図柄というわけではなく、
たとえば「七福神」のように、名前や特徴が同じで福の神が七人いる絵、
というように、ポイントだけは同じ…と言う感じです。
雑誌やパンフなどでもよく見かけるのは、下の右「鬼の寒念仏」、
これは子供の夜泣き封じと魔よけの意味を持っています。
図柄の「鬼が僧侶の衣服を着て念仏を唱えている」というのは、
「いくら外側だけそれらしく装ってもだめだ」という教訓を含むわけです。
それがなぜ「夜泣き封じ」なのかは、よくわかりませんが…。
左は「釣鐘弁慶」、頑強な身体と大金を授かるというおまじない。





ちょっと小さい上、元々の絵が沈んだ色調なので見えづらいですが、
何種類か入っています。今回の写真は、とにかく色の再生が難しく、
また色を近づけると絵が見づらいので、色より「見える」ように加工しました。
実際には地色はミルクココアの色、地模様が「鹿の子」です。





左はし、半欠けですが「座頭」、つまり目の不自由なあんまさんですね。
これは「不倒」、つまり杖をついていて倒れない、用心深いということから
「物事につまずかぬ」、或いは「慎重に」という意味のようです。
この辺まではなんとなく知っていたのですが、この先はあやふや…、
で、調べました。サイトによって説明が違う場合もあったので、
まぁこのへんだろうというセンで…。
次が「ひょうたんなまず」、物事の円満と水魚の交わりの縁、
その次は「鷹匠」、利益を上げるとか失せ物の戻り、鷹は戻ってくるから?
なんかこの鷹匠サン、鷹に逃げられてる絵のように見えますが…。
そのお隣は「長頭翁」または「外法の梯子剃り」というそうで、
長い頭のジサマは七福神のひとり「寿老人」ですね。
ご利益は「長寿」と「百事如意」、つまり願い事叶うってことですかね。
右端は見たとおりの「槍持奴」、ご利益は「道中安全」だそうです。
ほかに「大名行列の先頭で毛槍を振るので目だって威張っているが、
実は身分は低い」ということから、いわば「虎の威をかる狐」の意味も…。
次はこちら「かつぎ娘」、女性としての美しさやミリョク倍増、良縁来る!


             


あれっ?これって「藤娘」じゃないの?…はいそーです。
この藤娘、日本舞踊でおなじみですが、実はこの「かつぎ娘」を題材として
文久年間に当時の中村座で長唄・舞踊として作られたもの、
初めは「大津絵から娘が抜け出てきて…」という踊りだったそうです。
歌舞伎の演目にも、あの近松サンが書いた「傾城反魂香」というお芝居があり、
主人公の「吃の又平」という絵師が大津絵を描いた…ということで
これが広まり、大津絵は彼が描きはじめた、なんて説もあったそうで…。
大津絵は、明治に入って「鉄道」が通るなどして客が遠のき、
衰退していきましたが、中に残そうとする努力をする人々もいて、
消滅は免れました。今も専門の絵師が残っています。

というわけで、この柄に惹かれて入手しました。
ありがたいことに「無双」なので羽裏分くらいはとれそうです。
胴の方もよくある柄ではありますが、色目もいいし、いいとこ取りで、
またまたマフラー・スカーフ(それしか思いつかんのか…)など、と考えています。

今日はおかげさまで「テレビ」が入りました。
古いのはもう色がダメになってきていて画面が暗く、赤ばかり強くて
息子に見せるのにもちょっとなぁ…と思っていました。
早めに交換してもらえてよかったです。








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3 コメント

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Unknown (とんぼ)
2006-12-22 02:44:22
蜆子様
江戸時代のものは、そう残っていないのでしょうね。
それでも今に技術を残し伝えているというのは
すごいと思います。
お宝、大切にしてください!

陽花様
少しは知っていたのですが、調べたら
へぇ~~ほぉ~~ということが多くて
私も驚きました。以前大津に行ったんですよ。
あのとき買ってくればよかったー「藤娘」…。
いえ別に「ミリョク倍増」だの「良縁」だのを
気にしてるわけじゃないですけどね!
返信する
Unknown (陽花)
2006-12-21 22:06:49
大津絵のそれぞれに、そういういわれがあったなんて
知らずに見ていました。なるほど、そうなんだ~と
感心と同時に勉強になりました。
返信する
お~大津絵! (蜆子)
2006-12-21 21:37:20
大津絵二年も前から悩んだあげく、えいやっと先月買ったのでした。江戸時代の泥絵の具仕上げ、茶会の待合掛けに使うつもり、大津の三井寺の土産ですよね。
土産でしたので、そんなに大事にされて保管されてなかったのでしょう、現在そんなにはないようですね。
私は「鬼の念仏」を。稚拙な泥絵の具の絵なのですが、結構な値段するんで二年も悩んでいたのでした。古道具屋には二年たっても売れず、鬼は私をいつまでも威嚇しているようで、縁があるのかもと買ったのでした。
次の茶会では・・・・と色々想像して楽しんでいます。
大津絵!と反応してしまいました。
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