昨日の朝9時半頃、職員から電話がかかる。「今どこにいるのか」「部屋にいる」「これから小学校に行く、一緒に行かないか」という連絡、「今から」「そう」「行きます」というやりとりをして、コンピュータを片付け1階に降りていく。当該の先生はすでに車の前で待機している。せめて前日に連絡をしてくれたら、通訳も依頼して内容もよくわかると思うのだが、それでも、声がかかるだけよいかと思って同行する。
大学の施設のあるノーノーの近くを通り過ぎた所に小学校はあった。小さな学校で一学年10人くらいの児童である。いきなり入った場所が校長室、しばらくすると3人の先生が来る、そして当該の児童も校長室にやってくる。子どもも含めて記念撮影、学校訪問した場合は必ずあるといってよい記念撮影だし、子どもも入るのが何ともいえない。
その後、車で少し行ったところの家庭訪問である。田舎の小さな集落の中で軒先だけでの小さな店を営んでいる。子どもは入口すぐの1階に寝かされている。歩行はできない子どもである。母親と先生が立ち話をしている、何を話しているのか全くわからない、始めはおだやかであったが、母親の口調がやや厳しい、半時間近くで話は終わるが、部屋に入って子どもに声をかけたり、様子をみたりしない、そのまま車に乗って次の訪問先に行く。
家庭訪問した家のすぐ近くの役所のような田舎の農村の雰囲気にあわないきれいな建物、建物の中に入るが、目当てとする人が不在のようですぐに出て、センターに戻った。
今回の同行ではっきりしたことは、訪問先といつもアポをとっていないこと、もともと日時の約束をしないのがタイの習慣なのかどうかわからないが、日本なら文書で依頼しないと訪問できない内容だし、結局、不在もよくあって無駄が多いように思ってしまう。
大学の施設のあるノーノーの近くを通り過ぎた所に小学校はあった。小さな学校で一学年10人くらいの児童である。いきなり入った場所が校長室、しばらくすると3人の先生が来る、そして当該の児童も校長室にやってくる。子どもも含めて記念撮影、学校訪問した場合は必ずあるといってよい記念撮影だし、子どもも入るのが何ともいえない。
その後、車で少し行ったところの家庭訪問である。田舎の小さな集落の中で軒先だけでの小さな店を営んでいる。子どもは入口すぐの1階に寝かされている。歩行はできない子どもである。母親と先生が立ち話をしている、何を話しているのか全くわからない、始めはおだやかであったが、母親の口調がやや厳しい、半時間近くで話は終わるが、部屋に入って子どもに声をかけたり、様子をみたりしない、そのまま車に乗って次の訪問先に行く。
家庭訪問した家のすぐ近くの役所のような田舎の農村の雰囲気にあわないきれいな建物、建物の中に入るが、目当てとする人が不在のようですぐに出て、センターに戻った。
今回の同行ではっきりしたことは、訪問先といつもアポをとっていないこと、もともと日時の約束をしないのがタイの習慣なのかどうかわからないが、日本なら文書で依頼しないと訪問できない内容だし、結局、不在もよくあって無駄が多いように思ってしまう。