亡くなって2日後の夜が通夜、4日後が葬儀である。葬儀が行われた村は、道路も舗装されていないイサーンの貧しさの残る田舎である。葬儀の場所は実家からガタガタ道を10分位車で行った所の集会場と焼却場のある所、遺体の焼却場は寺院の中にあると思っていたが、この村は寺院の外にあった。
午後1時にセンターを出発すると聞いて玄関に行ったが、実際に出発したのは2時前、会場に着いた時は、すでに式も後半のようで、僧侶のお経も終わっていた。
出席していた僧侶は上段に14人、下段に9人、23人が前に座っている。自分も含めて何人かの出席している大学関係者の名前が紹介される。その後、一人ずつ焼却場の前に置かれた棺桶の中に花(紙で作られた)を入れる。棺桶の蓋はなく、遺体が見えるようになっている。
献花が終わると若い僧侶がお菓子とリボンで包まれた1バーツ貨幣を出席者に向かって節分の豆まきのようにまく。すると爆竹が鳴り、気がつくと焼却場の煙突から煙が出ていた。
その後、先生の実家に行き、通夜と同じように食事が出される。しかし、通夜と異なり、普通の米飯はなく、カオニョ(餅米)のご飯であった。足下を犬だけでなく、鶏とひなが何度も通っていく。人間に慣れているのか平気である。通夜も葬儀の日もお酒は一切出ないで、飲み物は水とジュース、コーラであった。食事しながら、日本ではお酒が出ることを話したりしていた。宿舎に戻ったのは6時であった。
午後1時にセンターを出発すると聞いて玄関に行ったが、実際に出発したのは2時前、会場に着いた時は、すでに式も後半のようで、僧侶のお経も終わっていた。
出席していた僧侶は上段に14人、下段に9人、23人が前に座っている。自分も含めて何人かの出席している大学関係者の名前が紹介される。その後、一人ずつ焼却場の前に置かれた棺桶の中に花(紙で作られた)を入れる。棺桶の蓋はなく、遺体が見えるようになっている。
献花が終わると若い僧侶がお菓子とリボンで包まれた1バーツ貨幣を出席者に向かって節分の豆まきのようにまく。すると爆竹が鳴り、気がつくと焼却場の煙突から煙が出ていた。
その後、先生の実家に行き、通夜と同じように食事が出される。しかし、通夜と異なり、普通の米飯はなく、カオニョ(餅米)のご飯であった。足下を犬だけでなく、鶏とひなが何度も通っていく。人間に慣れているのか平気である。通夜も葬儀の日もお酒は一切出ないで、飲み物は水とジュース、コーラであった。食事しながら、日本ではお酒が出ることを話したりしていた。宿舎に戻ったのは6時であった。