釧路から実家に鮭2本を送る。今なら「宅配便」だが当時は駅留めの「チッキ」と呼ばれていたもので自宅近くの駅宛でした。手続きを済ませ駅で「きたみえさし」と言ったのに道南の江差追分で有名な「江差」の切符。「北見枝幸」の切符に変えたもらい夜8時出発、釧路14時間の滞在でした。阿寒湖経由網走からバスで行けたのに、鉄道しか載っていない時刻表で旅をしていたので長い旅になった。まず札幌の戻り、旭川、名寄と乗り換え音威子府に着いたのが昼、チョコレートと三ツ矢サイダー、そしてガムの旅だったので乗り換えの時間を利用して外に出、もりそばを食べた(今は365日ほとんど昼に麺(主にうどん250グラム)を食べているがこの頃から兆候があったのかな)音威子府の子供達の写真を撮ってあげた記憶がある。後で気がついたが、この時送る住所を書いた手帳(日記帳を兼ねていた)をどこかに落としてしまった。そして浜頓別に向かう。
