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男爵練馬店トムのひとりごと(花の写真いっぱい)

写真大好き、絵も旅も大好き!
Tomのひらめき・お客様との会話・時々川柳・目標(花の写真投稿1000枚ちかく投稿済み)

海の想いで・・・

2008-07-21 09:02:08 | 想い出
昨日が海の日と思ってカレンダーをのぞいたら、今日が「海の日」になっていた。小学校の時は近くの石神井川で泳いでいた、川の土手近くに湧き水があり、シジミもいた。水は腰よりちょっと深いくらいで、海水パンツが無いのでベルトの真ん中ににタオルを結わき、ベルトを腰に巻きタオルを前にたらす、丁度越中ふんどし状の水着?で泳いでいた。川から上がると、必ずヒルが何匹か足にたかっていた。
覚えている海は、「衣笠」でアメリカさんの基地があって入れなかったところが解放されすぐ行ったので、人が少なく綺麗な松林に囲まれた海水浴場でした。親父が「抜き手」という古代泳法で泳いでいたのを思い出します。
写真は仲間で沖縄に行ったときの写真ですが、私の状態は、水中をのぞく船に乗り、船酔いして最悪な状態です。ちなみにこの後、沖縄のビール「オリオンビール」を飲んで元気になりました。

富士山のご来光

2008-07-02 08:58:21 | 想い出
昨日は日本一富士山の山開きが無事行われた。山開きにきれいな日の出が見られたのは5、6年ぶりとの事、「午前4時半頃,雲海の彼方に太陽が姿を現し・・・・」と夕刊に写真入りで報道されていた。去年登ったときは、雲海の彼方でなく雲海の中から太陽が顔を出したので感動したのを覚えている。去年は7合目で目の前に虹が現れ、これも感動ものでした。あと、太陽が地上で見ているオレンジ色でなく紫の混ざった赤だったので目が点になりました。今年も計画していましたが、事故でいためた内股の回復がいまいちで、去年は4月からトレーニングしたのに、今年はまだトレーニングゼロの状態です。のんびり行けたらの所でないので考え中です。写真は去年行ったときの写真です。

今日は何の日~~~童謡記念日

2008-07-01 09:38:52 | 想い出
昨日はかたずけで少し筋肉痛、天然温泉「庭の湯」に行ってほこりを落とし、美味しいビールも飲んだので、良く寝られました。
今日は「童謡記念日」わらべ歌と言うと、ねんねこばんてんを着て妹をおぶっている姿が浮かびますね。「か~ら~す~なぜ泣くの~」思わず口ずさんでしまいます。わらべ歌をお母さんが赤ちゃんの目を見て歌ってあげると、言葉を早く覚えると言ってました。そればかりでなく親の愛情に包まれる赤ちゃんって絶対心の優しい大人に育つはず。わらべ歌歌って優しい日本人が増えるといいですね。あと、あの映画「フラガール」で有名になった、小名浜で、この「か~ら~す~なぜ泣くの~」に合わせフラダンスを町おこしでやっていたのを見ましたが、楽しそうでした。7月21日から隣のお寺さんで盆踊りが始まりますが、フラダンス盆踊りもいいですね。昔は太鼓も叩いていましたが気持ちいいですよ。盆踊り来ませんか、練馬区氷川台の「光伝寺」です。

ちんちん電車の想いで

2008-06-12 09:27:09 | 想い出
小さい頃母の実家、墨田区吾妻町に行く時、池袋から山手線に乗り上野に着く(小さい時上野駅のアナウスをよくまねをしていた.今でも「上野~上野~到着の電車は東京・品川・目黒方面行きです」と何となく覚えている.50年経っているのでこんな事書いていたら上野駅にアナウスが変わっているか確かめに行きたくなった)上野に着くと路面電車つまり、ちんちん電車に乗り換える.24番の柳島行きに乗る。母は私と弟を連れ、下の弟をおんぶしての乗車である.でもなぜか切符を買ったことが無い、あとで聞くと、おふくろは都電、つまりこのチンチン電車の車掌さんをしていた事が判明、知り合いの運転手さんがおまけしてくれたらしい.昭和16年前後3~4年ぐらい女性の車掌さんが勤務していた時代があったそうだ.勤務時代の話を聞いたとき、乗り換え切符があって大変だったと話していた.今でもおふくろの勤務時代の写真があるが、いつも端で静かに写っていて性格が出ているな~と眺めている.ちんちん電車で思い出すが、小学2年生の時足を怪我し、親父の自転車に乗せられ、後、ジャイアンツで有名になった吉田先生にかかったとき、痛くた泣いていたら「京王電車花電車、真ん中通って、ちんちんちん』とチンチンをつままれたの思い出した.

うちの看板

2008-05-23 09:52:37 | 想い出
男爵の看板いかがですか?練馬の名店に選ばれ,補助1万円ということで始まったが,性格上とことん自分のイメージを貫いたらこれが出来上がった。塾長にもお世話になり,元町中華街のお店にも何度か足を運んだ。会議所からの紹介もあった。結局最後は友人のお店に行ったときの雰囲気が良かったので話をすると,茨城の裏筑波にその人がいるとのこと,自分は作無衣を来た年配の方と思いきや,アトリエに行ってみるとまだ30代前半,眼鏡をかけおっとりした青年でした。友人の看板を製作中,それを見て即お願いしてしまった。アールの出し方がすごく奇麗だった。私の描いたスケッチをお渡しして帰る。鋏の開いたデザインで,上を向き何でも受け止めるデザインにしました。出来上がったデザインは彼のアイデアで下の刃に花を生けられるデザインにしてくれました。可愛いです。上の方にも小鳥のデザインで花が盛れるようになっています。ピンクの花は生けたのですが,最近朝顔のような花が可愛く咲いています。土の中に混ざっていたのか,にぎやかにさせてくれています。本物はいいですね。お仕事もお客様に助けられ,基本を忘れず頑張っています。

また行きたい(日本・イギリス 外交150周年)

2008-03-14 09:30:04 | 想い出
今、日英外交150周年の行事が行われている。今朝、英国大使館からの生中継が行われていて「背広」の語源を話されていた、石けんを「シャボン」と言いますが、秋葉原の電気街のように、イギリスの洋服屋さんの並んでいる通りがサヴィルロウ通りと言いその「サヴィルロウ」から来ていることを知った。イギリスというと何か親しみがわく、初めて乗った飛行機が国際線ブリティッシュエアーラインでヴィダル・サッスーンにカットの勉強に行った、その時のモデルさんと30年近く文通が続いている。2度サッスーンに行っているがまた遊びにゆきたい。

可愛い、懐かしい(シーザー15)

2008-02-23 08:55:59 | 想い出
昨日神楽坂に行ってきた。10年ぐらい前おふくろが逓信病院に入院していたり、自分も通院したりしていたので、ぶら~と神楽坂を歩った事があった。久々に言って驚いた。夜九時を過ぎているのに、地下鉄が4本も入っているせいか人の流れがすごかった。
ぶらっと横町に入ると花街の風情が感じられ黒塀もあった。~通りや、~横町があった。風情を感じるネーミングいいですね。いつまでも残してもらいたいですね。

雪が降ってきた~(トッポ・ジージョ)

2008-02-03 08:37:12 | 想い出
今朝は雪が降ると思い部屋にカメラを持参、寝ていても脇を走る車のわだちの音で雪が積もっているのを耳で確認。起きて早速シャッターを切った。雪の多い国の人は雪下ろしで大変でしょうが、東京では去年雪が降らず久々の雪。今年はねずみ年、トッポジージョの声をしていた山崎唯さんの♪雪がふ~て来た~、ほんの少しだけ~れど~♪のメロディーを思い出す。この曲は奥さんになられた久里千春さんに送られた曲と言っていました。久々の雪いいですね。小さいとき雪が降って喜んでいたら「雪が降るとお客様が来ない、何喜んでいるんだ」と親父から怒られた事もありました。今は怒る人がいない・・・

旅の想いで・八戸・鮫

2008-01-25 08:58:23 | 想い出
 北海道から少し下がって青森県の港「鮫」の想いで書いてみます。
 いつものように上野発の夜行列車に揺られ朝方着く。八戸からローカル線?で鮫迄行く。乗り換える間の時間を利用して八戸放送局のレポートを書いた。QSLカード(放送局の受信証明書)の収集をしていたので。訪ねる人にはすぐに会えて仕事をする。4時頃終わったのでその日泊まる宿探しをした。ここは「八戸小唄」♪歌に~夜明けたあ~かも~め~の港♪で船乗りの人が泊まる宿が多いと思っていたが、なかなか見つからず、あっても気に入ったところがなかった。よく考え時刻表を見たらまだ汽車が間に合いそうなので駅に行き上野迄の切符を買い帰路につく。朝、上野に着き家に直行したら、泊まってくるはずの私が帰ったので親父がビックリしていた。今、ヤフーの地図で調べても鮫港の近くには宿泊施設が出てこなかった。もう40年位前青森県鮫からとんぼ返りする人も少なかった頃我ながらすごい行動力?と今でも感心?してます。
何もなかったら明日は沖縄の想いで書いてみますかね。

北海道(函館)の想いで・パート3

2008-01-24 07:11:00 | 想い出
函館に1ヶ月近くいたのに、ドックに届ける品物が届かず、函館山にも登れず、やっと品物が届いて仕事が終わり、いざ函館山にと毎日宿から眺めていたケーブルカーで登る事になった。ここから先は普通に書けば、ケーブルカーで頂上に着き世界3大夜景・・うんぬんとゆくはずが、台風もどきの低気圧が来てケーブルカーが動かず、夜景を見たい一心で少し先輩と徒歩で登ってみたが無理とわかり引き返す事にした。函館最後の夜は「たぬき小路?」に先輩と飲みにゆき、明日、東京に帰る事にした。青森から列車に乗り上野に向かう。青森を出てすぐ海上に浮かぶこんもりとした島が見える、有名な浅虫温泉は此処と教えてくれる「湯の島」で夜行で青森に向かう時、眠い目をこすりながらいつも眺めていたので何とも言えない愛着がある。何度か北海道にお邪魔しているが、未だ写真で見るあの夜景にはお目にかかってない。一番初めに見るのはどこの夜景かな

北海道(函館)の想いで・パート2

2008-01-23 07:16:41 | 想い出
 雪で大騒ぎして出かけたが降らず、帰ってきて朝起きたら雪が舞っていた。沖縄の旅はあとにして、お約束の函館書いてみます。
 函館の函は昔は「箱」だったそうだ。1ヶ月近くもいると仲居さんとも親しくなり、家の娘とお見合いしてくれないと頼まれる。もう1人、所帯持ちの先輩と行っていたので、先輩にも勧められOKした。帰る日、函館の連絡船乗り場でお会いする事に決めた。娘さんはタイピストとの事、小柄で細身な方だった。当日が来た。本人1人で見え、当時20歳なのに25歳ぐらいに見えた私、先輩の方が若く見えたので、彼女は勘違いして先輩と話し込んでいた。先輩は面白そうに話していた? 引っ込み思案の私はその光景を見つめていた。何だったんだろう。お母さんと見えていればこんな事なかったのに。初めてのほろ苦い思い出でした。

北海道(函館)の想いで

2008-01-21 04:51:06 | 想い出
 函館ドックに用事でいった事がある。末広町に宿を取り、弁天町迄路面電車で往復した。ドックにはあの摩周丸が入っていた。末広町の宿からは、函館山に登るケーブルカーの動きが手にとるように毎日眺められる。用事が済んだら世界三大夜景の函館山に是非登りたいと心に決めていた。ある日第7艦隊が函館港に接岸、乗組員が函館の街に繰り出した。MPの腕章をつけた兵隊さんも見かけた、監視の隊員だろう。面白い事が始まった。我が宿の下が食堂になっていて、この兵隊さんを呼び込もうと看板を出した。「ウエルカム」は理解出来るがあと何と書いてあるのか等と聞くと、よその看板を写してきたのでわからないとのこと、納得してしまった。ドックに届ける荷物が届かず函館山もお預け、20日ぐらい待機で明け暮れていた。
 北海道の想いでに慕っているのに、これから9時のフライトで沖縄に行ってきます。雪で飛行機が飛ぶか心配です。

北海道は広いな大きいな・パート6

2008-01-19 06:58:49 | 想い出
帰りは熊笹の繁る細い山道を、足早に稚内駅に向かった。駅に着き函館迄の切符を買う、汽車の来る迄だいぶ時間がある。考えたら上野から青森迄夜汽車(車中泊)、函館から釧路迄夜汽車(車中泊)、釧路から旭川迄夜汽車(車中泊)、北見枝幸で2泊したが、礼文島にご対面出来なかったがっかりもあってか、疲れがどっとでた。駅の近くの宿に行き、「汽車の来る迄のご休憩出来ますか」と聞いてみた。OKがでたので畳の上でひと寝りした。時間が来ておこされ汽車に乗り幾つか乗り換え函館に着く。来るときは「羊蹄丸」であったが帰りは「摩周丸」丁度、夕日が見える時間帯で最高だった。青森に着き、また上野迄夜汽車の旅が続く。
もう一度連絡船に乗った事があったが、その時は今回と逆で「摩周丸」で渡り、帰りは「羊蹄丸」であった。後に函館ドックで「摩周丸」に再会した。次回は北海道の広いのわかったので函館の想いで書いてみますかね。

北海道は広いな大きいな・パート5

2008-01-17 07:10:53 | 想い出
稚内公園に登るとよくテレビで映し出される三角形のモニュメントがあった。遠くアラスカがかすかに見えるかなという展望であった。何でここ迄来たかというと、中学の教科書に載っていた「礼文島と日食」の記事が焼き付いていて一度、礼文島に行きたい想いがあったので、その礼文島を見たく登った訳。地図で見ていると稚内公園に登れば見えると思っていたのに現実は厳しく、礼文島方向に小高い山があった。でもその山を登れば礼文が見えるとの一心で、何のためらいもなく登り始めていた。高さ1メートル程のクマザサがおおい茂った細い山道を歩いていると、一番初めに見えてきたのが白いドームがあったりアンテナがあったりの無線基地であった。その基地を右手に見ながら登ってゆくと今度はNTTの基地があった。そして歩く事どのくらいか覚えていないが、その山を登りきってがっかり、もうひと山あった。熊の話も聞いていたし、一人も人に会わなかったりしたので今度はおっかなくなりあきらめて引き返す事にした。