東京リサーチ日記

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「だらしなさ、いい加減な性格」

2022-08-25 00:00:00 | 日記
 2022年8月25日、TOKIOの山口達也が2016年8月5日、代理人を通じて離婚届を提出し、都内で会見を開いた。2008年に結婚した妻に感謝すると同時に、質問が予想される離婚の経緯を、冒頭に約10分かけて自分の口で丁寧に説明した。(一礼してから)「本日は私のプライベートなことで皆さまにお集まりいただきまして、ありがとうございます。すいません。なぜ、今回、皆さんをお呼びして会見したかというと、2008年に私が結婚した時に、皆さまの前で自分の口でご報告させていただいたもので、今回、またこのように自分の口でご報告できたらなと思い、お集まりいただきました。ありがとうございます」
(離婚について説明する)「各社にはファクスで事前にお伝えしてあると思いますが、8月5日、本日、私、山口達也は離婚をいたしました」
「離婚の原因ですけども、妻と出会って、つきあって16年以上、結婚してから8年ですけれども、その中で、簡単にすれ違いとか、不一致とかで片付けられないとは思うんですけども。自分がとても未熟で自分本位で幼稚だったとういうか…。とにかく、自分のペースで生きてきました。そのおかげで、彼女がすごく疲れてしまったりストレスだったり・・・。ひとことでは申し上げられないんですけど、結果、2人でたくさん話し合って、離婚することにしました」 「この離婚ということに関して、妻と2人の子どもには本当に申し訳なく思っていますが、2人で決めて決断したことなので、今に至ったということです。先ほど申し上げた自分が身勝手だったり自分本位というのは、自分がやりたいことばかりを優先しまして。都内に住んでいまして、2004年に自分が決断して、彼女を連れて鎌倉の方に引っ越しました。なぜかというと私の趣味であったり、住みたい場所が海の近くだったからです」
「そこで生活を4年しまして、2008年に結婚して、子どもをもうけて、しばらく住んでまいりましたけど、ここ数年忙しくさせていただいているので。自分の都合で、海の近くに住んでいるとなかなか帰る時間が持てなかったり、生放送だったり、地方ロケだったり、海外だったり。そういうことで週1回、2回、3回帰れるか帰れないかという生活の中ですべて彼女に家事一切を負担させて。そういう中で彼女ができる人なので、そこで彼女に甘えてしまったのもあります」
「もちろん、けんかもたくさんありましたし、大事な時にお父さんがいないというのは、私が思う以上に、想像以上に彼女にとっては負担だったんだなと思います。この5年ぐらい、特に、本当に忙しくさせてもらって、拠点も東京に変えようということで、(2年前に)家族で都内に引っ越してまいりました。そこで自分も安心してしまうこともあり、テレビ局は都内にあるということで、すぐ帰れるなと。またそこで自分のだらしなさが出てしまって、彼女に甘えてしまい。スタッフと食事に行ったり、すぐ帰れるから、というので家庭に対する手伝いだったり、フォローだったり、思いよりも、どうしても自分のやりたいことが優先してしまって、おざなりになってしまったというのがありました」
「幸い、会話はできる夫婦なので、それでも離婚しようかということになり、そこから今日に至るまで、3年間、夫婦間の話をしてきました。離婚するのか、もうちょっと頑張ってみるのか。生活していく中で、やはり僕のだらしなさだったり、いい加減な性格、自分のやりたいことを優先させてしまう(ところ)、仕事だったり、趣味のサーフィンだったり、人付き合いだったり」
「そういうことをしていく中で、しっかり別れた方がいいかということで、今年の春、4月ぐらいでしょうか。都内で別居することになり。別居することで不定期な時間に帰ってきたり、帰ってくると思うと彼女も頼りたくなるし。頼りたい時にいなかったり。そういったいろいろなズレがあったり(していた)。別居することで、今日は会いません、今日は会います。子どもの行事があるからとスケジュールを組む。必ず子どもに会える、家族4人で会うスケジュールを組むことでけんかも減りました。ほとんどありません」
「どうしても夫婦間はけんかが起こるので。子どもの前で絶対けんかしないというのは彼女の中で決まりがあって。お父さんとお母さんが子どもを目の前に言い争うことは絶対にしないということで、それだけは彼女は守っていた。別居することでお互い穏やかになり、今日に至った」
「大きな一つの原因はありません。すべてが原因と思っています。趣味のサーフィンだったり、お酒の飲み方だったり。皆さんが思う女性ではありません。自由さが今に出てしまったんじゃないかなと思います」
「先ほども妻から電話がありまして。非常に心配しておりまして。3回ぐらい電話がありまして。『大丈夫?あなた1人で大丈夫?』と。『とにかく私は現場にはいないけど、一緒にいる(つもりでいる)ので、全部しゃべってらっしゃい』と。『あなたはどんとやってきなさい』と言葉をいただいたので。皆さんの質問にすべて答えるつもりなので、よろしくお願いします」2022年現在は・・・(井森隆)





「予定」

2022-08-24 00:00:00 | 日記
 2022年8月24日、歌舞伎俳優の市川海老蔵が2016年8月11日、自身のブログを更新し、2人の子供と夏休みに入ったことを明かした。この日朝に更新したブログで「今日から夏休み」と3度繰り返して、その喜びのほどを伝えた。夏休みについては当初、綿密な計画を立てていたようだが、全てやめたといい、「よって無計画の夏休みに突入」とつづっている。その後のブログでは、家族3人で虫取り網を持って虫取りに出かけている動画をアップしたほか、蝶々と蝉を捕まえたことを報告。その後は3人でお風呂に入ったといい、長男の勸玄くんがはしゃいでいる写真ともに「水風呂にはいってる・・・ 自主的に・・・ 絶対風呂好きだよ」などと明かしている。初日から家族団らんでの夏休みを満喫している様子だったが、2022年現在は・・・(井森隆) 

 


「神経も皮膚も全部使った」

2022-08-23 00:00:00 | 日記
 2022年8月23日、2016年3月末にタイで性別適合手術を受けたタレントのKABA.ちゃんが2016年8月12日、関西テレビ「快傑えみちゃんねる」に出演。命がけで受けた手術の詳細を、声帯手術で高音に声変わりした女性の声で打ち明けるとともに、生活費を貢いでいた“恋人”と2015年9月に破局したことを明かした。これまで小顔にするためにアゴを削り、頬骨を寄せ、目や鼻、唇など「完全な女性」を目指し、整形手術を重ねてきたKABA.ちゃん。2016年3月28日にタイで3時間をかけ性別適合手術を受けた。手術については「男性器を女性(器)に替える手術。なるべく“具材”は全部使って。神経も皮膚もなるべく全部使って」と詳細を明かした。両親には「事後報告」だったという。声帯手術では、のど仏の下を切開し、声の性別を変更。現在の声色は、安田大サーカスのクロちゃんのような高音で、「今はこれしか出ない」と説明した。今後は女性への戸籍変更のため、書類を準備している段階だという。身も心も女性となったKABA.ちゃんだが、プライベートでは悲しい別れも。MCの上沼恵美子から「好きな人はいるんでしょ?」と聞かれると、「去年の9月に別れました」と寂しげに告白。交際期間は「9カ月ぐらい」で、「生活費も出してあげて、(高い時計なども)買ってあげて、毎回毎回『ここ行きたい』と言われて私がご馳走しなきゃいけなくて。(相手からは)おごってもらったのは、600円のコーヒー1回だけ」と貢ぎ続けた末に別れたことを明かした。上沼からは「絶対奥さんいるわ。貢いだお金、奥さんにいってるわ」とKABA.ちゃんが思うような“恋人”ではなかったことを指摘していたが、2022年現在は・・・(井森隆) 
 
 




「家族を守れる男に」

2022-08-22 00:00:00 | 日記
 2022年8月22日、タレントの清水アキラ(当時62)の三男で俳優・ものまねタレントの清水良太郎(当時27)が2016年8月12日、自身のブログを更新。2016年5月に一般女性と結婚したが「今日のライブで報告させていただきましたが、第1子を授かりました」とパパになることを報告した。「これからはまた1つ大人になり、そして家族を守れるような男へと成長していきたいと思います」と決意を新たにした。2016年6月の結婚報告時には「彼女は僕のことを陰ながら支えてくれ、いつも僕の仕事を応援してくれています。何度も彼女の言葉に励まされ、助けられています」と妻の日頃のサポートに感謝し「これからは、彼女と二人三脚でお互いを支え合い、明るい笑顔の絶えない家庭を築いて行きたいと思っています」と新生活への抱負をつづっていた。2006年のNHK大河ドラマ「功名が辻」で俳優デビュー。2011年からは父と同じものまねタレントとしての活動も開始した。2013年にはNHK連続テレビ小説「あまちゃん」に出演し“若き日の橋幸夫”を演じたが、2022年現在は・・・(井森隆) 
 
 


「アイヌ遺骨」

2022-08-21 00:00:00 | 日記
 2022年8月21日、2016年8月、研究目的で収集されたアイヌ民族の遺骨が、ドイツに17体保管されていることが分かった。当時の記録から、1体は19世紀にドイツ人が札幌市内の墓から盗掘し、運び込んだことも判明。北海道アイヌ協会によると、独国内で遺骨が確認されたのは初めて。協会は今後、日本政府を通じてドイツ側に調査や返還を求める方針だ。ある新聞が入手した収蔵リストなどによると、独国内で保管されているのは、国所有の頭骨10体と骨1体▽民間団体「ベルリン人類学民族学先史学協会」(BGAEU)が所有する頭骨6体--の計17体の遺骨。このうち国所有4体とBGAEUの1体は日本国内で収集されたとみられる。11体は今のロシア・サハリンで収集され、1体の収集地は不明。いずれも19世紀後半以降、人類学などの研究資料として集められた。国所有の遺骨はシャリテー・ベルリン医大が資料として収集した約8000体の骨の一部で、政府系機関ベルリン博物館連合(SMB)が管理する。戦争や東西ドイツ分裂により、長期間放置された。現在、データベース化に向けた作業が進められている。SMBは、サハリンで収集された頭骨6体の写真を開示。頭骨の左側頭部に「Aino Sachalin Jacobsen」とあった。当時、アイヌの表記に使われた「Aino」と収集場所、収集者が記録された。BGAEUは頭骨6体の確認を終えており、今後SMBが作成するデータベースに統合される。また、BGAEUにある頭骨1体は、札幌で盗掘されたことが1880年発行のドイツの民族学誌から判明した。北海道アイヌ協会の事務局次長は「ドイツでの発見は、なぜアイヌが人類学のために研究され、盗掘の手法が用いられたのかを解明する手がかりになる」と話す。協会は海外に散逸した遺骨について国に調査の徹底を要請しているが、2022年現在は・・・(井森隆) 
 
 

「さんまのまんま」

2022-08-20 00:00:00 | 日記
2022年8月20日、明石家さんま(当時61)が2016年8月6日に放送された大阪・毎日放送のラジオ番組「ヤングタウン土曜日」(土曜後10・00)に出演。1985年4月にスタートした長寿番組「さんまのまんま」(カンテレ土曜後1・56、フジテレビ日曜後1・00)が2016年9月24日をもってレギュラー放送を終了することに初言及した。さんまは「ぶっちゃけた話をしますと、もう制作費が出ないんですね。今の放送局は不景気だから、申し訳ないでしょ、オレ、ギャラが高いねんな。頑張って下げたりもしたんですけども、もう下げ切れずという感じですね。(放送日時が)昼間の土曜日で、そんなに制作費が出ないところを頑張っていただいていたんですけども。他の番組のこともあるから、こっちもそう下げてやるわけにもいかず。最近のテレビはね、とうとう制作費がオレに追い付かず」と“裏事情”を明かした。続けて「オレはギャラなしでしゃべってもええねんけども、他とのバランスを考えると、そういうわけにいかない。オレがギャラ要らないと言っても、後輩たちが『さんまさん、ギャラ取ってないのに何や』ということになるんですよ。その辺がいつも後輩に怒られるところで。(ギャラを)下げないでくれ、と。そのままいてくれ、と。そうじゃないと、われわれ、給料上げてくれと言えない、と。みんなも生活があるから。この辺はものすごい悩みどころですね」とし“苦渋の選択”だったようだ。レギュラー放送は31年半の歴史に幕。今後は特番として継続。制作のカンテレ(大阪市北区)は「今年3月に、30周年という記念の1年を終えたことを区切りと考えた」とコメントしたが、2022年現在は・・・(井森隆)



「復帰&謝罪計画」

2022-08-19 00:00:00 | 日記
 2022年8月19日、お笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳(当時42)が2016年8月6日放送のフジテレビ「めちゃ×2イケてるッ!」(土曜後7・57)に出演。2016年7月30日放送の同番組で地上波復帰したお笑いコンビ「極楽とんぼ」の山本圭壱(当時48)が2010年に「めちゃイケ」の新メンバーオーディションに参加していたことを明らかにした。この日は、前週のオンエアに入り切らなかった「めちゃイケ」メンバーらの山本への思いが放送された。山本を慕う後輩芸人による「軍団山本」の淳によると、山本がこの10年間で「めちゃイケ」に接触を試みた日があった。「ナインティナイン」岡村隆史(当時46)が体調不良のため休養。新メンバーオーディションが開催された。プロアマ合計1万人が受験し、1次試験から面接官を務めた「めちゃイケ」メンバーに会うことが可能だった。淳は「絶対(お台場に)行った方がいいです。頼みますから、そこでオーディションに落ちてもいいから、そこに顔を出すというのは、山本さんの『めちゃイケ』への気持ちがスタッフに伝わる」と強く進言したが、当時、宮崎にいた山本は固辞。しかし「こんな必死に言っても伝わないのかと思っていたら、気付いたら言っていたんです」。予選の番組に関する「○×クイズ」をクリアさえすれば「めちゃイケ」メンバーに会えたが、自責の念から当時、番組を見てなかった山本は敢えなく不合格。カメラはタオルで丸刈り頭を隠し、うつむいて歩くスーツ姿の山本をとらえていた。淳は「その時に、より愛すべき人だと思いました」と振り返った。山本は1996年の番組スタート時からレギュラー出演。2006年7月、淫行騒動で所属していた吉本興業を解雇され、同番組などを降板して謹慎。2015年1月の単独ライブで活動を再開していたが、2022年現在は・・・(井森隆) 
 

「キャバレー」

2022-08-18 00:00:00 | 日記
 2022年8月18日、女優、長澤まさみ(当時29)が2017年1月に上演される「キャバレー」(演出・松尾スズキ)でミュージカルに初挑戦することが2016年8月2日、分かった。米ブロードウェーミュージカルの傑作で、妖艶な歌姫に変身。劇中ではランジェリー風衣装に身を包み、美声を響かせる。「女優として新たな一歩を踏み出してみたい」と長澤。“人生最初で最後のミュージカル”のつもりで挑む覚悟だ。長澤がセクシー歌姫になる!!「キャバレー」は、1966年の初演以来、世界各国で繰り返し上演される傑作ミュージカル。1972年には米女優、ライザ・ミネリ(当時70)と米俳優、ジョエル・グレイ(当時84)の主演で映画化され、米アカデミー賞で監督賞、主演女優賞など8冠を獲得した。日本でもたびたび上演され、松雪泰子(当時43)主演、松尾スズキ(当時53)演出の2007年版はエロスと笑いを強調した内容で話題になった。今回、松尾版を10年ぶりにリニューアル。そこで、色っぽい歌姫、サリーを演じられる女優として抜てきされたのが、抜群のプロポーション(スリーサイズは非公表)を誇り、昨年の映画「海街diary」などで妖艶な演技に磨きがかかったと評判の長澤だ。ミュージカルは初挑戦で、「また1つ女優として新たな一歩を踏み出してみたく、挑戦することにしました」と長澤。「以前から松尾さんの舞台に出るのが夢だった」とも語っており、出演を決めた背景には松尾作品だったことが大きかったようだ。関係者は「長澤さんは『これが最後のミュージカルになるぐらいの気持ちで、勝負作だと思って挑みたい』と話しています」と明かす。舞台上では、主題歌「キャバレー」などメインボーカル曲だけでも5曲を、ランジェリー風衣装でエロティックなダンスを交えて歌う予定。巨乳で知られる胸の谷間や美脚を惜しげもなくさらす姿は、話題になること間違いなしだ。長澤は2006年のTBS系主演ドラマ「セーラー服と機関銃」で、役名の星泉名義で同名主題歌を歌ったことがあり、久々の美声にも期待がかかる。演出の松尾は「長澤さんは、この『キャバレー』に向けて『なんでもやります!』と言い切りました」とニヤリ。米国版の初演から約50年。長澤が日本で新たな“伝説”を作ったが、2022年現在は・・・(井森隆) 
 

「子供が欲しい気持ちに抗えなかった」

2022-08-17 00:00:00 | 日記
 2022年8月17日、女性の社会進出と晩婚化が進む中、高齢出産(35歳以上の初産)に臨む女性は少なくない。ところが、FM局の人気パーソナリティーで現在は日本テレビ「PON!」(月~金曜)にレギュラー出演中のタレント、坂上みきさんが2012年7月、53歳で初めての妊娠を発表すると、世間は“超高齢出産”と大騒ぎし、注目を集めた。あれから4年。私生活については口を閉ざす坂上さんが、ある新聞の独占インタビューに応じた。仕事はもちろん、母としても伸びやかに今の生活を楽しむ坂上さんに、不妊治療を成功させ、高齢出産を乗りきった経験や、育児、そして今の仕事について、あるライターが話を聞いたのだ。
◆妊娠を諦める年齢から不妊治療
--妊娠を発表し、“53歳超高齢出産”の見出しがスポーツ紙に踊った時の心境は?
「それはもう、驚きましたよ。7月の暑い日に突然、自宅のインターホンが鳴り、『週刊誌の者ですが、この辺に坂上みきさんのお宅があるはずですが』と聞かれたので、『それはウチですが』と答えたんですね」
--それはドン引きするような、怖い話!
「ええ。あちらもびっくりしていましたけど、『妊娠している噂は本当ですか』と質問が始まったので『事実です』と答えた。そうしたら間髪入れず、新聞社の方もすぐ来られて、翌朝にはスポーツ紙の一面に“53歳超高齢出産”の見出しが躍った。それで慌ててお昼のレギュラー番組で発表させていただきました。そこからですね、電話やメールが次々きてオファーが殺到し、初めて事の大きさを認識しました(笑)。そんなに驚かれることだったんだ!と」
--驚かれるとは思っていなかった?
「思っていなかったですね…。もちろん、高齢出産ということは分かっていましたけど、長らくjをしていたので、自分の中ではやっと授かった、という気持ちがいっぱいで、年齢は心の中でどこかに追いやっていたのでしょうね(笑)」
◆気持ちが「もぐら叩き」のように…
--不妊治療はいつから?
「結婚をした47歳ぐらいから。普通なら妊娠を諦める年齢から不妊治療を開始していましたから、無謀なことだったんです。それでも、周囲には『半分諦めていますから』と言いながら、治療のたびに現実を突きつけられると、ものすごく辛かった。泣いて、泣いて、どれだけ泣いたか分からない」
--どうしても産みたかった?
「もう諦めるべきだろう、というささやきは常にあっても、(子供が欲しいという気持ちが)ピコピコもぐら叩きみたいに出てきちゃう」
--45歳でフルマラソンに初挑戦して完走できた坂上さんにはタフで諦めないイメージがあるが
「そんなタイプじゃないです。簡単に諦めたものはヤマのようにあります! そろそろアンニュイと呼ばれたい(笑)。
でも、これだけは抗えなかった。抗っても、抗っても、湧きあがる思いがあって、“なぜ、私はこうなんだろう”と、何度も何度も自問した。それでも、もう1回、もう1回と続けてきた。だから、授かったことには何か意味があるし、私たち夫婦には必要な子だったんだ、と今は思っています」
◆一度は流産…唱え続けた「呪文」
--不謹慎な話だが、不妊治療で障害児が産まれると、それみたことかと揶揄する風潮がある。それについてどう思う?
「実は人は“出産”についてあまり知らずに生きている、と気がついた。私自身もそう。ひとくくりに“高齢出産”といっても、治療の方法や、出産方法など様々。調べれば分かることが、まだまだアンタッチャブルな世界なのか、世間一般の高齢出産に対する理解が少ないのは残念ですね。もっと教育の現場で、出産について教えてしかるべきだと思います」
--意地悪な質問だが、もし産まれてきた子に障害があったら世間から集中砲火を浴びたのでは?
「そうでしょうね。本当は、すべての妊婦にとって、無事に出産できるかどうかは、年齢に関係なく、最後まで分からない。実は、一度流産したことがあるんです。当時は不安な気持ちで四六時中過ごしていた。不安な気持ちと流産に関連性はないけれど、その時に、出産とはそんな気持ちで臨んではいけないものなのだ、と骨身に染みて痛感したんです」
--流産はいつ?
「40代後半」
--では二度目は確固たる意志で出産に臨んだ?
「そうです。“不安に思ってはいけない”と呪文のように唱え続け、不安になるたび、ダメダメダメ!!とひたすら気持ちを打ち消していました」
◆「100歳以上生きる」でも「いつ死んでもいい」
--出産前は、ギリギリまで働きましたね
「ええ(笑)。出産の10日前まで」
--出産して、気持ちの変化は?
「幸せを感じる瞬間が圧倒的に多くなったということと、53歳で産んだから100歳以上生きる、と言うのが完全な目標です(笑)。ただ、長生きしなくてはと思う反面、矛盾するけれども、次の世代がいると、もういつ死んでもいいや、と思える、相反する2つの思いが常にあります。それは面白い変化ですね」
--お子さんは、とても明るく元気ですね。
「そうですか?(笑)まあ、活発で健康な子です」
--子育ての流儀は?
「自分流のスタイルを探している所。寝食忘れて打ち込めるものを何か見つけてほしい、と思っているので、その手助けをするのが親の仕事だと今は思っていますね」
--子育て中に何か感じることはある?
「他界した母と話したい、と常に思いますね。母もこういう気持ちで子育てしてきたのか、と細胞の隅々で実感する感覚が、折に触れて充実感につながっている。子育ては幼いころの自分に重ね合わせながら追憶の旅をする、とても素敵な時間になっています」
--いつも穏やかでニコニコしているお母さんの印象だが
「そんなことはないですよ。他のお母さんと同じように、私も子育て中にイライラすることはありますよ! まあ、そんなふうに感情の起伏があっても、子育て中の自分を俯瞰してみていられるのは、高齢で産んだお土産なのかな、とも思いますね(笑)」
◆夢はプライベートの還暦ライブ
--育児に専念するという選択肢でなく、仕事を続ける理由は?
「私にとっては、仕事は“生活をする”という、とても大事なことです。それは、お金が欲しいという意味ではなく、仕事をして対価を得られる感覚や、ピリッとした緊張感が好きなんです。仕事は私の屋台骨のようなものです」
--坂上さんはテレビ新潟のアナウンサーを経て、テレビ、ラジオ、イベント、司会と活躍の場を広げてきた。今後も?
「私は目標を定めてがむしゃらにやるタイプだと見られがちですが、実はその場に置かれたらやる! と決めて集中するタイプ。天才肌ではないから、どこまでできるかコツコツ堅実に続けて、活躍の場を広げてきたつもりです。
自分の可能性をぎゅっぎゅっと少しずつ膨らましていき、死ぬまでその枠を延々と広げていくんだろうな、と思います。今後は、全然違う仕事ができるんじゃないか、とか、やってみたいな、と思う自分もどこかにいます。ただし、それはまだ探し中(笑)」
--過去のインタビュー記事を読むと、ライブをやりたいと言っていたが?
「ハハ、そんなことを言ってました? でも、学生時代に楽器をやっていたので、トーク中心のライブをやりたいですね。年代ごとに好きだった曲を集めて、当時の話を皆さんにするような、プライベートの還暦ライブが夢です」
--それなら仕事の場でも出来るのでは?
「そういう場が与えられたら嬉しいですね。“ライブ”と言ったものの、本当はあまり目標を公言しないタイプで、口にするのも恥ずかしいんです。でも、残り時間も少ないので、自分の夢をこうして語るのもいいのかもしれないですね(笑)」
坂上さんの2022年現在は・・・(井森隆)