東京リサーチ日記

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「日清食品さんにお願いする」

2022-06-30 00:00:00 | 日記
 2022年6月30日、錦織が社長室をジャック-。男子テニスの世界ランク6位で、一時帰国中の錦織圭(当時26)が2016年7月14日、所属する日清食品の一日社長に就任。東京都内の本社社長執務室で新製品にゴーサインを出すなど、1時間にわたって“執務”した。東京・新宿区の日清食品ホールディングス本社ビル。この日不在の安藤徳隆社長に代わり、錦織が社長のイスに座った。「すごく優越感がありますね」。いたずらっぽく笑う。営業担当者から、2016年7月4日に発売された「錦織圭選手応援 黄金カレートリオ」について説明を受けると、「できるだけ、スーパーの目立つところに置いてもらうようにしてください。そうしたら僕自ら(売り場に)行きます」と指示。続いて18日に発売されるカップヌードルのエスニックシリーズ3種類を試食した。実は、からいものや酸っぱいものが苦手な錦織。最初に口にした「トムヤムクン」には、思わず「からッ!!」と漏らした。「香りが強くて、本格的な感じですね。僕は苦手なんですけど」。それでも、そのあと口にした「シンガポール風ラクサ」「ミーゴレン」には「甘さの後に刺激がくる。からいのが苦手な人にもちょうどいい」と満足げ。3種類の販売許可書にサインした。さらに、エスニックシリーズのプロモーションでアフレコにも挑戦。2テークを撮り、「もうやりませんよ」と苦笑い。さすがにお蔵入りとなった。「社長は何百人、何千人に指示しなければいけない。僕にはすべてを自分に注ぐテニスの方が合っていると思います」と感想を話した。一方、リーダーという存在について聞かれ、サッカーの本田圭佑が選手としてだけでなく、子供たちのための活動も行っていることについて触れて、「同じスポーツ選手として学ぶことが多い。すごく尊敬しています」と話した。また自身もテニス界で上の年齢になりつつある中、「経験してきたことから、ほかの選手にアドバイスできることも出てきている。若い選手に何かアドバイスできると感じたとき、いうだけはいっておきたいという気持ちは、4~5年前に比べて感じる」と、自覚が芽生えてきていることを明かした。錦織圭社長として、契約選手である錦織圭が活躍したときに、どんなボーナスを考えているかと聞かれ、「一番のご褒美はオリジナルのカップヌードルを作ること。味を自分で決めたいですね」と希望を語った。どんな味がいいか聞かれると、「トムヤムクンはNGで(笑)。何百種類もカップヌードルがある中で、ないモノを作ってみたい。『おいしいの?』と思って、食べたらおいしいという魅力が、カップヌードルにはあるので」と“愛”を語った。近づくリオデジャネイロ五輪にも「ブラジルの食事は心配なところもある。カップ麺はすぐにエネルギーにもなるので、日清食品さんにお願いして、たくさん持っていきたいですね」と話した。最後の“訓示”では「短い間でしたが、社長の時間を過ごせて楽しかった。(実際の社長は)たくさん責任が生まれて楽しいことばかりじゃないでしょうし、今は本業に徹して、社長はいったん辞めます」と辞任を表明した。今後は2016年6月に痛めた左脇腹の治療に専念し、来週には米国で練習を再開。2016年7月25日開幕のロジャース杯(カナダ)で試合に復帰し、リオ五輪でメダル獲得を目指したが、2022年現在は・・・(井森隆) 

 

「テニスを取り巻く微妙な状況」

2022-06-29 00:00:00 | 日記
 2022年6月29日、2016年8月リオ五輪で112年ぶりに復活する男子ゴルフでは、世界ランキング上位10人のうち実に6人が不参加となった。ジカ熱や治安の問題があるとはいえ、最大の理由は競技におけるメダルの価値にある。これと同様のことが過去にテニスでも起こっている。2つの競技は五輪に頼らずとも成立するプロ競技。日常的にツアーで世界を転戦し、歴史と伝統ゆえに特別な価値を持つ4大メジャー(4大大会)があるという点で共通している。テニスは1988年ソウル五輪で1964年ぶりに復活したものの、男子シングルスのランキング(大会開幕時)上位10人で出場したのは今回のゴルフを下回る3人だった。当時世界1位のビランデルを始め、レンドルやアガシ、キャッシュといったトップ選手は軒並み欠場。ケガを抱える選手もいたとはいえ、ほとんどは五輪でテニス競技を行う意義を見いだせなかったようだ。一方で女子はトップ10から8人が出場している。女子は競技発展のため五輪にステータスを感じ、活用しようとしているのも今回のゴルフと相通ずる部分である。ソウル五輪ではグラフのゴールデンスラム達成、1992年バルセロナ五輪では16歳のカプリアティの優勝、1996年アトランタ五輪では母国でのアガシの金メダル。それなりの話題を振りまきながら歴史を重ねた五輪テニスは、2000年シドニー五輪から男子のランキングポイントが付与されることになり、これが1つの契機となって選手の意識も変わり始めた。フェデラーは2大会連続でスイス選手団の旗手を務めるなど、近年はテニス界をけん引する“ビッグ4”が高いモチベーションで五輪に臨んでいることも大きい。2012年ロンドン五輪が由緒正しきウィンブルドンの会場で行われたことで、その価値は一層高まったといえるだろう。そう考えて見ると、もしタイガー・ウッズが全盛時の強さで君臨し五輪への情熱を表明していたら、ロンドン五輪からゴルフが復帰して聖地セントアンドリュースが開催コースとなっていたら、五輪ゴルフを取り巻く熱気は随分と変わっていたかもしれない。ただし、五輪テニスも安穏とはしていられない。今回のリオ五輪ではランキングポイントが付与されなくなった。これは4年に一度の五輪を管轄する国際テニス連盟と、それによって影響を被ることへの“補填”を求めるツアー側の対立が一因のようだ。いずれにしろ選手への影響は大きい。賞金もない、ポイントもない。となればメダル獲得が厳しそうな選手は、裏開催のツアーで少しでもランキングを上げ、賞金を稼いだほうがいいと考えるのが自然なこと。今回のリオを回避した選手に15~30位あたりの中堅どころが多いのはそういうことだろう。「ポイントがつかない点では全く別の大会になってしまうが、日本全体が支援してくれる。(ツアーとは)また違った意味合いがある」とそれでも意義を見いだす錦織のような選手はむしろ少数派であったが、2022年現在は・・・(井森隆) 




「笑いに」

2022-06-28 00:00:00 | 日記
 2022年6月28日、NHKの有働由美子アナウンサー(当時47)が、テレビ生放送中のトークの内容について視聴者からクレームを受け、V6の井ノ原快彦(当時40)が“神フォロー”を見せる一幕があった。2016年7月15日生放送の「あさイチ」では、ゲストに歌舞伎俳優の尾上松也を迎えトークを展開。視聴者から失敗談が寄せられ、井ノ原から「有働さん、やらかしそうですね」と失敗したエピソードを求められた有働アナは、過去のデート中の失敗談を披露した。ゴルフの打ちっぱなしでのデートだったが、その時お腹こわしていたという有働アナ。「気をつけなきゃなと思って。すっごいピーピーだったんだけど、キャンセルもできないし・・・・・・」と細心の注意を払って臨んだが、わずかに粗相をしてしまったことを明かすと、松也は「『あさイチ』で話していいの!? 生放送なのに」と仰天。井ノ原も「そこまでとは言ってない」と思わぬ大胆告白に苦笑いを浮かべた。その後、番組に寄せられた視聴者からのFAXを紹介し、その中には有働アナのエピソードトークに不快感をおぼえた視聴者からのクレームも複数あった。有働アナは「恥をかいた上に怒られた・・・」とうなだれ、井ノ原は「ついつい僕も振っちゃったから悪かったかな。サービス精神がある人って、『(期待の)その上を行かなきゃいけないかな』って思うっちゃうの、僕も良くわかるんですよ」とフォローし、有働アナと一緒に「申し訳ありませんでした」と頭を下げた。しかし井ノ原は、「こういうの(失敗談)は心に残るから、笑いにするしかないのよ。そこらへんわかっていただけたら嬉しいです」とのコメントも付け足した。井ノ原の対応に、ネット上では「優しくフォローするイノッチ神」「イノッチのクレーム対応カッコよかった」「さわやかイノッチのフォロー&謝罪も素敵やったー」といった声があがったが、2022年現在は・・・(井森隆) 

 

「報道とは・・・」

2022-06-27 00:00:00 | 日記
 2022年6月27日、2016年熊本地震について、熊本市出身、NHKの武田真一アナウンサー(当時48)は、発生直後から被害や復旧・復興の状況を日々のニュースで伝える一方、特集番組で故郷への思いもにじませてきた。〈武田アナは本震のあった2016年4月16日夜の「NHKスペシャル」で、「熊本県は私のふるさとです。ふるさとを思うと、胸が締め付けられます」と心情を吐露。番組終盤では「この災害を乗り越えましょう」と現地に呼びかけた〉私たちはあの番組を放送するにあたり、「被災した方々の状況を代弁し、日本全国にその声を届けたい」というメッセージを込めた方がいいと考えました。番組・キャスターとしての立ち位置を鮮明にするために、ああしたことを申し上げました。NHKでは東日本大震災以降、災害時、視聴者にどのような呼びかけをしたらいいか、検討を続けてきました。ただ単に情報を伝えるだけではなく、私たちが被災した方々の立場に立ち、時に励ますことも必要なのではないか。「皆さんに寄り添う放送」ということを鮮明にすることで、災害を乗り越える力に、少しでもなれば。そういう考えに至りました。また、私は5人兄弟なのですが、みな地元を離れて暮らしています。発生直後、互いに連絡を取り合っていたのですが、うまく家族や親族と連絡が取れず、不安の声が募っていました。故郷を離れた私のような人たちも、全国にいらっしゃるのではないか。そういう思いも共有したいと思いました。〈武田アナは地震発生から10日ほど後、休暇で熊本に帰郷。親族の自宅の片付けなどを通じて、自身の仕事も見つめ直したという〉阿蘇に母が住んでおり、妻の実家が熊本市の、益城町の近くにありまして、そこの片付けに行きました。幸い、母の方は無事でしたが、妻の実家では、家の壁が壊れたり、建物にひびが入ったりしていました。帰郷前の話ですが、妻の実家では2回目の地震で、アルミサッシの大きな窓が外れてしまったと聞きました。その日の予報が雨で、雨が降り込んだら家の中がめちゃくちゃになってしまう。たかだか窓一枚なのに、私も家族も、絶望的な気持ちになりました。ましてや、大切な方を亡くされたり、家が全壊された方々はどんな思いを抱かれているのか。そう思うと、胸が締め付けられるようでした。帰郷した際、妻の実家で壊れた家具を運び出したり、床に散らばった砂壁などを片付けながら、改めて感じたことがあります。復旧・復興の第一歩とは、こうして壊れたものを一つ一つ、地道に片付けていく作業だということです。私たちはいつも、「命を救いたい」「復興を早めたい」という思いで放送をしています。ただ、情報や言葉だけではどうしようもない部分がある。だからこそ、現場で汗を流し、泥にまみれて復旧に当たっている方々、被災した方々の苦労を思いながら、取材、放送に当たらないといけない。それを忘れた報道や取材は厳に慎むべきだと、改めて感じました。〈武田アナは東日本大震災時も連日のように、被害の様子を伝えていた〉私の個人的な経験ですが、東日本大震災で、津波が田畑や家を襲う空撮映像を見たとき、大きな無力感に襲われました。言葉でそれを描写しても、現地の方々に何もしてあげられない。私たちは放送で、一体何ができるのか。そう落ち込みました。1カ月くらい後、(岩手県)大船渡市を訪れたとき、壊れた時計を見つけました。時計は、午後3時25分を指していました。地震発生が午後2時46分ですから、津波の到来まで30分余り、時間があったわけです。その間、命を助けられるのは何か。命を救う前提となるのは、正しい情報がきちんと伝わるということではないか、と思いました。私たちが、どんな危険が迫っているのかということを伝え、呼びかける。私たちは、災害時に行動をうながすトリガーのような役割をしなければいけないのではないか。現地を訪れ、そう思い直したのです。〈NHKは東日本大震災以降、視聴者に避難の必要性などを訴える「呼びかけ型アナウンス」を大幅に見直してきた〉呼びかけのあり方を見直す中で、一番大切にしたことは、被災した方々の心に響くかどうか、ということでした。心に響き、実際に身を守る行動を取っていただくところまで考えなければ、被害を減らす「減災報道」にはつながらないからです。では、どんな表現をすればいいか。地震の場合でも、自宅、ビル内、街中・・・。それに、時間帯や季節など、被災される状況はさまざまです。時間の経過や段階に応じて、注意点も変化します。あらゆる場面を想定し、それぞれの状況に置かれた方々に届くような呼びかけを整理してきました。加えて、視聴者を励まし、心に訴える表現についても検討してきました。これには一つのきっかけがあります。東日本大震災時、仙台放送局の先輩アナウンサーが、「今夜は助け合いの夜です。もうすぐ夜が明けます。力を合わせて、この夜を乗り越えましょう」といった言葉を挟みながら、ラジオで一晩中、状況を伝えたという事例がありました。これに「力になった」というリスナーからの反応があり、呼びかけの文案に盛り込むようになったのです。〈熊本地震でも、発生直後は励まし型のアナウンスが採用され、「避難所で怖がっているお子さんを抱きしめてあげて」などの呼びかけが行われた〉現地の職員からは、「おおむね好評だったのではないか」という声を聞きましたが、一方で、仲間内からは、時間がたつにつれて、呼びかけに「違和感がある」という声も聞かれました。時間が経つにつれて、現場の状況と、東京など離れた場所の状況に、だんだんと齟齬が生じてくるんですね。例えば、私たちは余震が起きる度に「壊れた建物、傾いた建物には近づかないでください」と、繰り返し申し上げていました。しかし、現地には「壊れた自宅に物を取りに帰らないと生活できない」という方がいたり、「避難所そのものにひびが入っているのに、そう言われてもどうしようもない」「そもそも壊れていない建物はない」ということを思われている方もいたりしました。また、「お互いに声を掛け合ってください」という呼びかけも行いましたが、「何度も言われると『押しつけがましい』『疲れる』と思う方もいるのではないか」という声も内部ではありました。エコノミークラス症候群に関しても、「時折手足を伸ばしてください」「可能であれば水分補給をしっかりおこなってください」と申し上げました。ただ、「水なんてない」「そもそも水分をどれくらいとればいいのか」といった指摘もありました。そうしたことを追加で取材し、より具体的な情報を伝えるべきだったと感じています。現場の最新の状況はどうなのか。放送がどう受け止められているのか。そうしたことをリアルタイムでフィードバックしながら、アナウンスをしていかないといけない、と感じています。〈武田アナの現在の肩書は「シニアアナウンサー」。NHKでは、若手アナの指導にも当たっている〉これは若いアナウンサーにいつも言っていることなのですが、「本気で命を救いたい」という心構えが大切だと思っています。私たちの仕事は、声で情報をお伝えすることだけです。だからといって、声で命を救おうということに懐疑心を持ってはいけないと思うのです。情報をお伝えするだけの立場であるからこそ、その情報で「本当に命を救うんだ」という決意がないと、実感のこもった声、伝わる放送にはならないと思っています。アナウンサーは、マイクに、放送に、そして視聴者に一番近いところにいる存在です。災害が起きたときには、一瞬の判断が必要になってきます。東日本大震災では、最初の揺れから津波が来るまで、数十分の時間がありました。普段は記者やディレクターと相談しながら放送を行っていますが、緊急報道では、指示を待っているだけでは命が救えません。アナウンサー自身が常に備え、自らの判断で最善の情報をお届けできるようにしておかないといけないと思っていたが、2022年現在は・・・(井森隆) 
 
 
 

「浮気や浮気!浮気ばっかり」

2022-06-26 00:00:00 | 日記
 2022年6月26日、タレントの鈴木紗理奈(当時39)が2016年7月16日放送の読売テレビ「特盛!よしもと 今田・八光のおしゃべりジャングル」(土曜、前11・55)に出演。これまで明らかにしていなかった離婚の理由を初めて告白した。2008年12月にレゲエユニット「INFINITY16」のTELA―C(年齢非公表)と5年の交際を経て結婚。2010年2月には第1子となる長男を出産したが、その3年後に離婚した。これまで破局原因については「お互い多忙な日々の中で、すれ違いが生まれその溝を埋めることができなかった」などと説明。この日も「相手も表に出ている人なので(原因については)言えない」としていたが、共演者から追及されると「大阪やから(いいか)」と、関西ローカル放送という背景も手伝って離婚原因を解禁した。「浮気や浮気!」と一度口に出すと、その後も「1回や2回やあらへんで!」「浮気ばっかり」「愛人もおったとちゃうかなぁ」と止まらず。毎朝TELA―Cが家を出る時には、帰宅時間を尋ねていたというが、浮気をしているときは「浮き足だった感じで、“何時とか、うるせぇ”って必ず。その日は連絡が取れなかった」とサインを感じていたことも明かした。それでも、離婚して3年が経過した現在は良好な関係を築けているという。「男女の関係がなくなって円満。仲良しです」と最後は笑顔で話していたが、2022年現在は・・・(井森隆) 




「やらかした、、」

2022-06-25 00:00:00 | 日記
 2022年6月25日、NHKの有働由美子アナウンサー(当時47)が2016年7月15日に放送されたNHK総合の情報番組「あさイチ」(月~金曜・前8時15分)で、下痢で下着を汚した話を披露し、視聴者から「有働さんの話はレッドカード」と怒られる一幕があった。この日のゲストで歌舞伎役者の尾上松也(当時31)や共演の井ノ原快彦(当時40)と、「やらかしたこと」というテーマの話に突入。すると有働アナは「けっこうなお年になってからデートしたんですよ。そのデートがゴルフの打ちっ放しで、お腹を壊していて…。これは気をつけなきゃ…って。すごいピーピーだったんですけれど。キャンセルもできないし、ゴルフの打ちっ放しは(お腹を)締めてやったんですけれど、トイレに入った瞬間にもう一気に『ピュー』っとなっちゃって。汚れたんですけれど、それがすごいいい下着だったから…。それを洗ってもう一回着るか…」と生放送で突然のぶっちゃげた。いきなりの展開に、井ノ原と尾上の男性陣は動揺。尾上は「これ、あさイチで話していい話ですか」と突っ込むと、井ノ原も「そこまでとは言っていないよ」。再び尾上は「スタジオの空気が『えっ、ちょっと大丈夫?』ってなっていますけれど」と影響を心配した。そして、放送終了間際の視聴者からの感想コーナーでは、案の定、同発言へのコメントが集中。「有働さん、ぶっちゃげ過ぎ!下着の話、ぶっちゃげ過ぎ!朝からする話?」「今日の有働さんのトークはNG、レッドカード」などの意見が寄せられた。井ノ原は「僕が(話を有働アナに)振っちゃったのは悪かったかな。サービース精神がある人は、その上を行かなくっちゃというのがあるから」と申し訳なさそうな表情。有働アナは「私も(井ノ原に)話を振ってその間に考えようというのがあったんですけれど、流れで一番近い引き出しを開けちゃった」と反省の弁。最後は「申し訳ありませんでした」と平謝りし「私も恥をかいた上に怒られた」と頭を下げていたが、2022年現在は・・・(井森隆)




「あいさつ拒否に反応するタレントぶった斬り」

2022-06-24 00:00:00 | 日記
 2022年6月24日、お笑いタレント有吉弘行(当時42)が、自身が楽屋あいさつを断っていることについて、あとでテレビ番組で「私たちのこと嫌いなんですかね」などとこぼすタレントたちを斬った。2016年7月13日放送のテレビ朝日系「マツコ&有吉の怒り新党」では、有吉とマツコ・デラックス(当時43)が楽屋あいさつへの本音をぶっちゃけあった。楽屋あいさつは断る方針をとっている有吉は、それでもあいさつにやって来たタレントに対しては、ちゃんと対応した上で「もう来なくて大丈夫ですよ」とあらためて伝えているのだという。しかし、その場では「はい」と承知したのに、後日有吉のいない番組で「あれは怒っているんですかね。嫌がらせなんですかね」のように語る人物もいると明かした。有吉は、あいさつを断るのはただ面倒なだけと説明し、「『私たちのこと嫌いなんですかね』とか言うやつは、番組で話すようなネタもないようなやつなんだと思うよ」とぶった斬ったが、2022年現在は・・・(井森隆) 

 


「妻に残した遺品」

2022-06-23 00:00:00 | 日記
 2022年6月23日、2016年7月15日に放送したTBS系「爆報!THE フライデー」(金曜・後7時)で、2012年に亡くなった流通ジャーナリスト・金子哲雄さんの遺品を初公開した。金子さんは自ら葬儀をプロデュースし、流通ジャーナリストらしく無駄な出費を徹底的に抑えていたと当時を振り返った妻。遺品整理、お墓の場所など終活を終え、唯一遺品として残したのが大量の写真が入った2台のハードディスクだったと告白した。写真の内容は家電量販店やキヨスクなど、金子さんが目にしていた風景ばかり。出会いから11年、ほぼ毎日撮影していた写真を見て稚子さんは「日記です」と話した。夫婦の2ショット写真は数万枚ある中たった1枚で、2006年に撮った上海旅行の時の2ショット写真を披露した。金子さんが亡くなった後、「夫ロス」に陥って1年間不眠に苦しめられたという稚子さん。しかしこの写真で立ち直り、現在は終活ジャーナリストとして活躍をしているというが、2022年現在は・・・(井森隆) 
 
 




「デパ地下で店頭販売」

2022-06-22 00:00:00 | 日記
 2022年6月22日、1990年代に活躍したシンガーソングライターで俳優の藤重政孝(当時41)が2016年7月15日、TBS系「爆報THEフライデー」に出演。現在、芸能活動と平行してデパートの食品売り場で、とんかつの店頭販売をしていることを明かした。藤重は1990年代にドラマ「新婚なり!」などに出演、「rainy night」などのヒット曲を飛ばした。だが2000年頃から徐々にテレビから姿を消し、単発ドラマに出演するのみとなった。そんな藤重は2009年に一般人の女性と結婚を機に、都内で手広く飲食店を営む会社で働くこととなった。2児の父となった現在は、デパ地下のとんかつ売り場の店頭販売を担当。40を過ぎた今も健在の甘いマスクと甘い声を生かし、次々と商品を販売している。撮影中も、わずか5分で4人の客に売り上げる豪腕ぶり。そんな働きが認められ、いまでは計6店舗を担当し、スタッフ採用にも携わるカリスマエリアマネジャーにまで登り詰めている。現在も携帯アプリの音楽制作も手がけるなど、本業も継続。だが「家庭を思えば、定期的な収入は絶対に必要」と二足のわらじの継続を宣言したが、2022年現在は・・・(井森隆) 
 
 


「辞めません?芸能界」

2022-06-21 00:00:00 | 日記
 2022年6月21日、タレントの上沼恵美子(当時61)が2016年7月15日に放送されたカンテレのトークバラエティー番組「快傑えみちゃんねる」(金曜・後7時、関西ローカル)で、ゲスト出演したタレントでモデルの岡田結実(ゆい、当時16)に対して芸能界からの「引退」を強く勧告した。岡田はお笑いコンビ・ますだおかだの岡田圭右(当時47)を父に持ち、16歳ながら知的さを感じさせる美貌の持ち主。「こんな美しい…非の打ち所がない」と絶賛した上沼は、芸能界で生き残っていくことの厳しさを挙げながら、「辞めません?芸能界。辞めなさい」と切々と説いた。さすがに戸惑いを隠せない岡田だったが、上沼から「(芸能界にいるのは)もったいない。大使館に勤めてください!」と意外すぎる転職先を勧められ、大爆笑。「父も反対なので。ちゃんとした大学に入って、芸能界は不安定だから、ちゃんとした職に就きなさいと言われている」と圭右からも引退を迫られていることを明かし「できれば(芸能活動を)続けたいですけど、大使館も視野に入れておこうかな」と、まんざらでもない様子だったが、2022年現在は・・・(井森隆) 
 
 



「盗聴マネ逮捕事件の真相告白」

2022-06-20 00:00:00 | 日記
 2022年6月20日、女優・千堂あきほ(当時47)が、2016年7月8日放送のフジテレビ系「全力!脱力タイムズ」(金曜、午後11・00)に出演。人気絶頂期の1999年から2000年にかけて被害にあった盗聴事件の経緯と真相を明かした。現在は北海道在住の千堂は、東京を離れるきっかけになった1999年の事件の始まりは、自身の自宅や事務所、友人宅などに怪文書が届くようになったことだったことを明かした。千堂は「私が当時、お付き合いをしていた彼が、女にだらしがない、実はいろんな女がいるとか、被害者の会があるとかいう怪文書が出回り始めたんです」と振り返り、内容は「何人も中絶させた」「他にも女がいる」との誹謗中傷だったという。ただ当時、千堂と彼氏の交際はマスコミにも発覚しておらず、当初は熱狂的なファンのストーカー行為がエスカレートしたのかと思ったという。しかし、怪文書の内容は次第にエスカレート。千堂と交際相手と友人の3人で「自宅で話している内容が、次の日の(怪文書の)ファクスに織り込まれてくるようになった」と言う。盗聴器発見機で自宅を調べたところ天井裏から盗聴器が2つ発見された。このため警察とともに隠しカメラなどを仕掛けて捜査したところ、犯人は「私の所属していた事務所のマネジャーだったんです」と、2000年6月に自身のマネジャーが逮捕された事件の真相を明かした。千堂は「ショックと、自分の愚かさ。毎日、この人を信じて過ごしていたのかと思うと、気持ちの整理がつかなかったです」と当時の心境を回顧。番組ではマネジャーが犯行に及んだ動機が「結婚して事務所を辞められては困る」だったと説明された。千堂は事件発覚後の2000年8月、大阪市内で会見。結婚まで考えていたサイパン在住の交際相手がいることを明かした上で、「(交際相手の)カレが私のことを淫乱でセックス好きと言いふらしている、と私に教えるようなリアルな内容だった。家の中に盗聴器が仕掛けられているとしか考えられない」などと涙をこらえながら語っていたが、2022年現在は・・・(井森隆)




「こんなおっちょこちょいと結婚できるかいな」

2022-06-19 00:00:00 | 日記
 2022年6月19日、2015年解散した音楽ユニット「キマグレン」のクレイ勇輝(当時35)が、2016年7月8日放送のカンテレのトークバラエティ番組「快傑えみちゃんねる」(金曜・後7時、関西ローカル)に出演。過去にプロポーズした経験を明かしたが、司会の上沼恵美子(当時61)から痛烈なダメ出しを食らった。クレイは「どうやったらサプライズできるか」と、彼女の誕生日にバラ150本を家の玄関に置いたり、炎の中から指輪が出るマジックをマジシャンから教わって、それを披露し「結婚して欲しい」とプロポーズしたことを告白。だが「OKと言われたんですけど、(結婚は)できなかった」と打ち明けた。共演者から「何かあったのでは?」と問いかけられると、「なんか波乱万丈なんでしょうね。安定していない」と自己分析した。これに対し、上沼は「断るわな」とバッサリ。「申し訳ないけど・・・」とクレイに配慮しつつも「こんなおっちょこちょいと結婚できるかいな」と斬り捨てた。サプライズを狙った演出も「バラ150本が枯れてみ、どんだけ臭いか!」などとスタジオを笑わせながら、「マンガみたいな」「センスのない」と、痛烈にダメ出ししたが、2022年現在は・・・(井森隆) 
 



「当時もパンチパーマ」

2022-06-18 00:00:00 | 日記
 2022年6月18日、お笑いタレントの野沢直子(当時53)が2016年7月9日放送の読売テレビ「特盛!よしもと 今田・八光のおしゃべりジャングル」(土曜前11・55)に出演。この日共演した俳優・小沢仁志(当時54)と中学の同級生だったことを明かした。番組冒頭「初めてカミングアウトするんですけど」と切り出すと、Vシネマなどでその強面から“顔面凶器”の異名を持つ小沢と「中学の同級生。しかも、中1のときに同じクラスだった」と報告。当時の小沢については「今と全然変わってない。パンチパーマだったし」と話し、中学時代からヤンチャ系だったことをぶっちゃけた。この日はゲストパネラーとして隣同士に座った2人だが「こんな感じで(並んで)授業を受けていた」と回顧。ともに芸能生活は30年を超えるが共演はこの日が初めてで、「もう番組どころじゃない」と興奮気味の野沢は「(小沢がクラスの)誰が好きだったが知りたい」と同窓会のノリで話していたが、2022年現在は・・・(井森隆) 
 


「大喜利で書いたふり」

2022-06-17 00:00:00 | 日記
 2022年6月17日、お笑いタレントの渡辺直美(当時28)が2016年7月9日、TBS系「サタデープラス」(土曜前8・00)にVTR出演。台湾人とのハーフのため日本語がうまく話せず悩んでいた時期に、オリエンタルラジオ・中田敦彦(当時33)の言葉で米留学を決意したことを明かした。幼い頃に両親が離婚し、台湾人の母親と2人で暮らしていた渡辺。周囲の反対を押し切って芸人になったものの、日本語があまり得意ではなく“しゃべり”がままならなかった。突然片言になったり、大喜利のお題の意味が分からずペンを持って書いているふりをしたこともあったという。心が折れかけていた時、2期上の先輩にあたる中田に「言葉の意味が分からない」と相談。すると中田は「大喜利できないのが短所だとしても、そんなことはどうでもいい。お前の数ある長所を誰にもマネできないくらい伸ばせ」とアドバイスをくれた。その言葉で自身の最大の武器は“表現力”だと気づいた渡辺は、ニューヨークへの留学を決意。2014年5月から3カ月間芸能活動を休止し、エンターテイメントの本場で表現力に磨きをかけた。復帰後に芸能界に居場所が残っている保証はなく「怖かったですね」と振り返る。しかし「芸人さんだけは応援してくれた。止めた人は誰もいなかった」と周囲の芸人仲間に感謝していたが、2022年現在は・・・(井森隆) 


「カフェやってる」

2022-06-16 00:00:00 | 日記
 2022年6月16日、お笑いコンビ・アジアンの馬場園梓が2016年7月9日、読売テレビのバラエティー番組「特盛!よしもと 今田八光のおしゃべりジャングル」に出演し、相方で現在、テレビ出演をセーブしている隅田美保の近況を明かした。司会の月亭八光が隅田の近況を尋ねると、同じく司会の今田耕司も「そうや!靴べら、どうしてんの?」と一言。“ブスいじり”が原因でテレビ出演を控えているだけに、他の共演者が「この番組来うへんようになったのはそれですよ。今田さんがすぐそういうこと言うから」「馬場ちゃん来るけど、相方、全然来おへんもん」などと一斉にブーイング。八光から「長いこと見てないな」と改めて問われると、馬場園は「漫才はずーとやってます。テレビは『面倒くさいから、出えへん』言うて。カフェやっているんですよ。友達と」と報告。「彼氏はできたの?」と聞かれると、馬場園は「多分、できないと思います」としたが、「1回ちょっと、やけくそになったら、戻ってくると思います」と今後について予測していたが、2022年現在は・・・(井森隆)