東京リサーチ日記

「なう」は永久に運営しておりません。なうからフォローしても、なうからペタをしても必ず削除しますので、ご注意ください。

「PUFFY」

2022-03-21 00:00:00 | 日記
 2022年3月21日、大貫亜美(当時42)と吉村由美(当時41)のユニット、PUFFY(パフィー)が2016年、デビュー20周年を迎える。2016年4月発売の20周年記念ベストアルバムのタイトルは「非脱力派宣言」。デビュー時から脱力した雰囲気が魅力の2人だが、「ダラダラしていた覚えもないんですよ」と、意外な言葉が返ってきた。「10年以上前から考えていたタイトルで、いつかこれで何かやりたいと寝かせていたんですよ」と、吉村が明かす。1996年のデビュー曲「アジアの純真」から、Tシャツにジーンズというラフないで立ちや緩く見える振り付けで、「脱力系」と称されてきた。だが、実は「(プロデュースした奥田)民生さんのもとでスポ根のように育った体育会系」(吉村)といい、奥田は「1秒たりとも甘やかしてくれなかった」のだという。大貫によると、歌の指導など奥田の“しごき”は「はい、もう1回!」「はい、もう1回!」と延々と続き、最後には「田舎に帰れーっ!」と怒鳴られるほどだった。また、大貫は「そもそもPUFFYは1枚で終わる企画だった。民生さんのしごきに耐えれば終われるという気持ちだった」と述懐する。そうした上で、表舞台に出てきたPUFFYは表面上は脱力系にとらえられた。吉村は「苦労が見えなかったのは逆に大成功。もがいているのが見えるよりは、すごく楽しいね、バカだね~と思われている方が良かった」。表面上は下積みもなくデビュー、ヒットを連発したことで、しばらくは「知らない相手が私を知っている不思議さに気持ちが追いつかなかった」(吉村)、「2人とも小さな頃からそういうことを経験するのが夢だったわけでもなかった」(大貫)という戸惑いがつきまとった。そんな2人は早20年。あらゆるアーティストの曲を歌ってきた。ベストアルバム「非脱力派宣言」の収録曲を見ると、「アジアの純真」は井上陽水と奥田の共作、連続ミリオンヒットとなった「これが私の生きる道」「サーキットの娘」「渚にまつわるエトセトラ」は奥田の作で、その後も彼の作品は当然多いが、それにとどまらなかったこともPUFFYの魅力を押し広げた。「愛のしるし」はスピッツの草野正宗、「たららん」「あたらしい日々」などは米音楽家アンディ・スターマーが作曲、「くちびるモーション」は吉井和哉、「All Because of You」はアヴリル・ラヴィーンとブッチ・ウォーカーの共作、「日和姫」は椎名林檎、「ともだちのわお!」は石野卓球-と、そうそうたる名が並ぶ。「いろんな人とやってみたいという気持ちがあり、どんな人が作った曲でも2人で歌えば絶対にPUFFYになる」(吉村)との自負がある。だからこそ最近は、よりいろんな曲に挑戦する傾向も強まっている。初音源化となる「涙を探して」は4人組バンド、フラワーカンパニーズ(フラカン)のボーカル、鈴木圭介の詞曲だ。「自分たちが日常聴いている人の曲を歌える幸せ。PUFFYっぽいものよりフラカンが歌っても違和感がないもの」という2人の希望通りの楽曲だ。「抱きたきゃ抱けばEじゃNIGHT☆」は、フジテレビ系番組「久保みねヒャダのこじらせナイト」とのコラボ曲。同番組にゲスト出演した際、「このメンバーでユニットを組みましょうよ」という話が実現した。2人の「非脱力」ぶりはステージを見れば一目瞭然。「ステージはバッチリ決めているというのが伝わると思います」という2人は「日本でも海外でもどこでもいいからステージに立ちたい」という変わらない夢を共有している。2000年代初頭には米国デビュー。日本デビューで味わうはずだった下積みの苦労を経験し、「amiyumi」のキャラクターが大ヒットした米国に対する思いは強く、大貫は「当時の子供たちが1人で見に来られる年齢になっている。また米国でライブしたい」と話す。吉村も「いろんなイベントや、対バンライブで声がかかるのもいい。フットワーク軽く行けるような状況を作っている」と、どんな場所でもライブをする意気込み。まさにそこにいるのは脱力とは無縁の精力的な2人だが、2022年現在は・・・(井森隆) 
 
 



「ザコシショウ芸風が“ショック”で・・・」

2022-03-20 00:00:00 | 日記
 2022年3月20日、女優の本上まなみ(当時41)が2016年5月6日、日本テレビ「スッキリ!!」(月~金曜前8・00)に生出演。「R―1ぐらんぷり2016」王者・ハリウッドザコシショウ(当時42)の芸風に衝撃を受け、涙を流した。ザコシショウは同番組の名物コーナー「クイズッス」に出題者として登場。“誇張しすぎた木村拓哉のモノマネ”や“誇張しすぎた武田鉄矢のモノマネ”を披露した。初めてザコシショウを見たという本上は、その独特の芸風に驚きを隠せず。MCの加藤浩次(当時47)からネタの感想を聞かれ「ショックで言葉が出ない」と語った。その後、ザコシショウが“ジジイのモノマネ”という謎のネタを披露しながら「同期の陣内智則が泊まりにきた時に起こったこととは何でしょうか?」と問題を出題。これを見た本上はまたも“ショック”を受け、ついには涙を流した。本上が泣き始めるというまさかの展開に、出演者らは爆笑。涙を流しながら「ごめんなさい。いま何が起きてるのか分からない・・・」と語る本上を、“天の声”を担当する柳原可奈子(当時30)が「初めて出会ったタイプですもんね」とフォローしていた・・・バイオリニストの葉加瀬太郎(当時46)と女優の本上まなみ(当時39)が2016年5月6日、都内で行われた京都府製作のショートムービー「もうひとつの京都」の完成会見に出席した。府が世界遺産に指定されている京都市の寺社・仏閣だけでなく、府全域をアピールし観光客誘致を図る目的で、この日からYouTubeなどで配信。葉加瀬がテーマ曲を作曲、京都在住の本上が出演した。葉加瀬は「お茶の京都」「森の京都」「海の京都」と3部構成の映像をイメージした組曲を作曲。母方の実家が大原にあり、京都の高校に通っていたため「オーダーが明確で、自分の中でストーリーが見えてきたので大変作りやすかった。近年まれに見る“安産”だった。末長く愛せる曲が書けた」と自信のほどを語った。2015年4月に長女の小学校入学を機に家族で京都に移り住んだという本上は、「一度東京を離れようという話はしていて、タイミングを図っていた。自然の流れでしたけれど、京都は風土や歴史に包み込まれるような温かさがありますね」と説明。生活にもすっかり慣れた様子で「娘も京都弁をしゃべるようになり、吸収するものがたくさんあるようです。夫も私も関西出身なので、実家の母や親せきにいろいろな面で助けられながら仕事と育児の両立ができています」と笑顔で話した。撮影で初めて訪れた場所も多く、「いろいろな景色や、地域によって食べ物が違って、京都って広いなとあらためて思いました。特に天に伸びていくような宇治の茶畑は美しく、心が洗われました」と感慨深げ。ただ、葉加瀬の組曲を聴いてから撮影に臨んでおり「葉加瀬さんはこもって曲を作られているのに、私があちこち行っておいしいものを食べているので申し訳ない気持ちになった」と恐縮した。葉加瀬は笑顔で受け止めつつ、「母が今でも京都に住んでいるので、喜んでくれると思う。少し親孝行ができたかな。コンサートでも演奏しましょう」と宣言。曲のタイトルは「もうひとつの京都」のホームページなどで一般公募することになっており、「20何年もやっているからアイデアが枯渇している。自分でつけなくていいのは楽。とてもありがたい」とご機嫌だったが、2022年現在は・・・(井森隆)




「男の前でうまい。計算してる」

2022-03-19 00:00:00 | 日記
 2022年3月19日、セレブタレント・大沢ケイミが2016年5月7日、関西テレビで放送された「胸いっぱいサミット」に出演。メジャーリーガー・ダルビッシュ有の元妻で、現在はファッション通販サイト「ZOZOTOWN」などの運営会社・スタートトゥデイの創業者で社長の前澤友作氏と交際中のタレント・紗栄子について「男の前ですごくうまい。計算してる」とバッサリ斬った。紗栄子と「プライベートで遊んだ」ことがあるという大沢。パーティか食事会のような場だったようで、紗栄子とは初対面だった大沢が、男性に声をかけられると、「ちょっと彼女にあんまり近寄らないで」とお姉さんのように守ってくれたり、飲み物を持ってきてくれたりと、「仲良くしようとしてくれた」という。しかし、「男性が帰った時に(態度が)ゴロッと変わったんです」と“裏の顔”を暴露。「急に冷たくなって。あれ?さっきの何だったのかな?って思って」と男性が帰ると、態度が豹変したことを明かした。大沢が男性に紗栄子の印象を聞いてみると、総じて「優しくてピュアで、すごい気を遣える」というイメージであることに触れながら、「男の人はやっぱ、そう思っちゃうんですよ。計算してる、って考えないから」と分析。紗栄子については「男の前ですごくうまいです」と評していたが、2022年現在は・・・(井森隆) 
 



「小島瑠璃子のアシスタント力に脱帽」

2022-03-18 00:00:00 | 日記
 2022年3月18日、タレントのヒロミ(当時51)が2016年5月7日、日本テレビ系「メレンゲの気持ち」で、タレントの小島瑠璃子を「天才」と絶賛した。ヒロミは、人気MCスペシャルとして小堺一機、恵俊彰とともに出演。数々の質問にMCならではの目線で回答した。その中で「アシスタントにするなら誰?」という質問が飛ぶと、恵は「大体自分でやってたから」「ずっと1人だったから」(小堺)とアシスタントの存在を考えたことがないとコメント。だがヒロミは「自由にやりたいので、横にちゃんとした人がいた方がいい」と、きちんと仕切ってくれるアシスタントが必要と語った。するとMCの久本雅美が「今までやりやすかった人は?」と聞くと「こじるりかな」と即答した。「こじるりは21歳ぐらいだけど(現在22歳)、天才だと思う。アナウンサーっぽいこともできるし、あの若さでどこで覚えたんだろうと思う」と絶賛すると、現在番組で小島と共演している小堺も「今この流れで何が一番かという、マッサージ師で言うと、まさにあーそこそこそこですっていうことを言う。恐ろしい」と才能を評価していたが、2022年現在は・・・(井森隆) 
 


「中居、鶴瓶、岡村」

2022-03-17 00:00:00 | 日記
 2022年3月17日、SMAPの中居正広(当時43)とタレントの笑福亭鶴瓶(当時64)、ナインティナインの岡村隆史(当時45)が2016年5月7日、熊本地震の被災地を訪れた。避難所にアイスクリームや携帯ゲーム機を届け、ハグをするなどして激励。バラエティーを中心に活躍する人気者3人のサプライズ訪問に、長引く避難生活を余儀なくされている被災者も笑顔になった。午後2時ごろ、避難所になっている南阿蘇村の久木野総合福祉センターを3人が訪れると、身を寄せている約70人からは驚きの声や歓声が上がった。同行した関係者が避難所のスタッフに了承を得た上で、被災者と握手をしたり、肩を抱いて写真のリクエストに応じるなどしながら「頑張って」と激励した。南阿蘇村は、鶴瓶が2014年にNHK「鶴瓶の家族に乾杯」で旅し、知人が暮らす場所。鶴瓶がこの日の熊本入りを計画し、番組で共演した中居、岡村が賛同。2人もオフで、午前中に東京を出発し熊本に到着した。南阿蘇村までの主要道路は、阿蘇大橋やトンネルの崩落などで通行止めになっており、遠回りして被災地に向かったとみられる。プライベートな訪問で、3人ともスポーツウエアやジーンズなどラフな格好。「サーティワンアイスクリーム」のカップ入りアイスをスタッフを含めた全員に配った。アイスは被災地では保存が難しく、手に入りにくいこともあり、差し入れたとみられる。ほかにもペットボトルの麦茶100本以上、携帯ゲーム機「ニンテンドー3DS」数台とソフト、クッキーや消毒液などを届けた。鶴瓶と触れ合った男性(当時84)は「ハグしてくれて、“頑張ってや”と言ってくれた。涙が出るくらいうれしかった」と感激。職員(当時46)は「ほとんどが高齢者の避難所で、こんなに盛り上がるとは」と驚き、「来てくれて良かった。みんな笑顔になりました」と感謝した。同4時すぎには、約200人が避難している西原村の西原中学校などを訪問。中居が「子供たち、集まって」と呼び掛け、「頑張ってね」と声を掛けながら3DSとゲームソフトを手渡した。岡村はサインに応じたり、握手しながら記念撮影。3人は自衛隊員やボランティアスタッフにもねぎらいの言葉を掛けた。小学3年(当時8)は「中居くんが優しかった。ゲーム機をもらえてうれしかった」と笑顔を見せた。中居は2016年4月24日にも熊本市の小学校で炊き出しに参加。東日本大震災の際と同様に、今後も個人的に被災地の支援を続けていくとみられたが、2022年現在は・・・(井森隆)