東京リサーチ日記

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「子供が欲しい気持ちに抗えなかった」

2022-08-17 00:00:00 | 日記
 2022年8月17日、女性の社会進出と晩婚化が進む中、高齢出産(35歳以上の初産)に臨む女性は少なくない。ところが、FM局の人気パーソナリティーで現在は日本テレビ「PON!」(月~金曜)にレギュラー出演中のタレント、坂上みきさんが2012年7月、53歳で初めての妊娠を発表すると、世間は“超高齢出産”と大騒ぎし、注目を集めた。あれから4年。私生活については口を閉ざす坂上さんが、ある新聞の独占インタビューに応じた。仕事はもちろん、母としても伸びやかに今の生活を楽しむ坂上さんに、不妊治療を成功させ、高齢出産を乗りきった経験や、育児、そして今の仕事について、あるライターが話を聞いたのだ。
◆妊娠を諦める年齢から不妊治療
--妊娠を発表し、“53歳超高齢出産”の見出しがスポーツ紙に踊った時の心境は?
「それはもう、驚きましたよ。7月の暑い日に突然、自宅のインターホンが鳴り、『週刊誌の者ですが、この辺に坂上みきさんのお宅があるはずですが』と聞かれたので、『それはウチですが』と答えたんですね」
--それはドン引きするような、怖い話!
「ええ。あちらもびっくりしていましたけど、『妊娠している噂は本当ですか』と質問が始まったので『事実です』と答えた。そうしたら間髪入れず、新聞社の方もすぐ来られて、翌朝にはスポーツ紙の一面に“53歳超高齢出産”の見出しが躍った。それで慌ててお昼のレギュラー番組で発表させていただきました。そこからですね、電話やメールが次々きてオファーが殺到し、初めて事の大きさを認識しました(笑)。そんなに驚かれることだったんだ!と」
--驚かれるとは思っていなかった?
「思っていなかったですね…。もちろん、高齢出産ということは分かっていましたけど、長らくjをしていたので、自分の中ではやっと授かった、という気持ちがいっぱいで、年齢は心の中でどこかに追いやっていたのでしょうね(笑)」
◆気持ちが「もぐら叩き」のように…
--不妊治療はいつから?
「結婚をした47歳ぐらいから。普通なら妊娠を諦める年齢から不妊治療を開始していましたから、無謀なことだったんです。それでも、周囲には『半分諦めていますから』と言いながら、治療のたびに現実を突きつけられると、ものすごく辛かった。泣いて、泣いて、どれだけ泣いたか分からない」
--どうしても産みたかった?
「もう諦めるべきだろう、というささやきは常にあっても、(子供が欲しいという気持ちが)ピコピコもぐら叩きみたいに出てきちゃう」
--45歳でフルマラソンに初挑戦して完走できた坂上さんにはタフで諦めないイメージがあるが
「そんなタイプじゃないです。簡単に諦めたものはヤマのようにあります! そろそろアンニュイと呼ばれたい(笑)。
でも、これだけは抗えなかった。抗っても、抗っても、湧きあがる思いがあって、“なぜ、私はこうなんだろう”と、何度も何度も自問した。それでも、もう1回、もう1回と続けてきた。だから、授かったことには何か意味があるし、私たち夫婦には必要な子だったんだ、と今は思っています」
◆一度は流産…唱え続けた「呪文」
--不謹慎な話だが、不妊治療で障害児が産まれると、それみたことかと揶揄する風潮がある。それについてどう思う?
「実は人は“出産”についてあまり知らずに生きている、と気がついた。私自身もそう。ひとくくりに“高齢出産”といっても、治療の方法や、出産方法など様々。調べれば分かることが、まだまだアンタッチャブルな世界なのか、世間一般の高齢出産に対する理解が少ないのは残念ですね。もっと教育の現場で、出産について教えてしかるべきだと思います」
--意地悪な質問だが、もし産まれてきた子に障害があったら世間から集中砲火を浴びたのでは?
「そうでしょうね。本当は、すべての妊婦にとって、無事に出産できるかどうかは、年齢に関係なく、最後まで分からない。実は、一度流産したことがあるんです。当時は不安な気持ちで四六時中過ごしていた。不安な気持ちと流産に関連性はないけれど、その時に、出産とはそんな気持ちで臨んではいけないものなのだ、と骨身に染みて痛感したんです」
--流産はいつ?
「40代後半」
--では二度目は確固たる意志で出産に臨んだ?
「そうです。“不安に思ってはいけない”と呪文のように唱え続け、不安になるたび、ダメダメダメ!!とひたすら気持ちを打ち消していました」
◆「100歳以上生きる」でも「いつ死んでもいい」
--出産前は、ギリギリまで働きましたね
「ええ(笑)。出産の10日前まで」
--出産して、気持ちの変化は?
「幸せを感じる瞬間が圧倒的に多くなったということと、53歳で産んだから100歳以上生きる、と言うのが完全な目標です(笑)。ただ、長生きしなくてはと思う反面、矛盾するけれども、次の世代がいると、もういつ死んでもいいや、と思える、相反する2つの思いが常にあります。それは面白い変化ですね」
--お子さんは、とても明るく元気ですね。
「そうですか?(笑)まあ、活発で健康な子です」
--子育ての流儀は?
「自分流のスタイルを探している所。寝食忘れて打ち込めるものを何か見つけてほしい、と思っているので、その手助けをするのが親の仕事だと今は思っていますね」
--子育て中に何か感じることはある?
「他界した母と話したい、と常に思いますね。母もこういう気持ちで子育てしてきたのか、と細胞の隅々で実感する感覚が、折に触れて充実感につながっている。子育ては幼いころの自分に重ね合わせながら追憶の旅をする、とても素敵な時間になっています」
--いつも穏やかでニコニコしているお母さんの印象だが
「そんなことはないですよ。他のお母さんと同じように、私も子育て中にイライラすることはありますよ! まあ、そんなふうに感情の起伏があっても、子育て中の自分を俯瞰してみていられるのは、高齢で産んだお土産なのかな、とも思いますね(笑)」
◆夢はプライベートの還暦ライブ
--育児に専念するという選択肢でなく、仕事を続ける理由は?
「私にとっては、仕事は“生活をする”という、とても大事なことです。それは、お金が欲しいという意味ではなく、仕事をして対価を得られる感覚や、ピリッとした緊張感が好きなんです。仕事は私の屋台骨のようなものです」
--坂上さんはテレビ新潟のアナウンサーを経て、テレビ、ラジオ、イベント、司会と活躍の場を広げてきた。今後も?
「私は目標を定めてがむしゃらにやるタイプだと見られがちですが、実はその場に置かれたらやる! と決めて集中するタイプ。天才肌ではないから、どこまでできるかコツコツ堅実に続けて、活躍の場を広げてきたつもりです。
自分の可能性をぎゅっぎゅっと少しずつ膨らましていき、死ぬまでその枠を延々と広げていくんだろうな、と思います。今後は、全然違う仕事ができるんじゃないか、とか、やってみたいな、と思う自分もどこかにいます。ただし、それはまだ探し中(笑)」
--過去のインタビュー記事を読むと、ライブをやりたいと言っていたが?
「ハハ、そんなことを言ってました? でも、学生時代に楽器をやっていたので、トーク中心のライブをやりたいですね。年代ごとに好きだった曲を集めて、当時の話を皆さんにするような、プライベートの還暦ライブが夢です」
--それなら仕事の場でも出来るのでは?
「そういう場が与えられたら嬉しいですね。“ライブ”と言ったものの、本当はあまり目標を公言しないタイプで、口にするのも恥ずかしいんです。でも、残り時間も少ないので、自分の夢をこうして語るのもいいのかもしれないですね(笑)」
坂上さんの2022年現在は・・・(井森隆)