東京リサーチ日記

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2015年川崎・中1殺害事件後でも悩む不登校少年の存在・・・

2020-06-21 00:00:00 | 日記
 2020年6月21日、川崎市の中学1年(当時13)が殺害された事件の発生から2015年4月現在で2カ月近くが経過し、殺人や傷害致死の非行内容で家裁送致された17~18歳の少年3人の少年審判が続いている。世間の関心は既に別のニュースに移ったかもしれないが、ある新聞記者は取材で出会った上村さんの友人のことが忘れられないのだ。もう1年近く中学に行っていない中2の少年だ。友の悲惨な死を目の当たりにしながら、すさんだ生活から抜け出せない子供がいる現実があるのだ。当時、中学1年の被害者は、上級生や他校の生徒と公園やゲームセンターなどで遊ぶようになり、事件のリーダー格、服役囚(当時18)らと出会ったとされる。その交友関係を調査する中で、ある新聞記者は中2の少年を知った。年齢は被害者の一つ上。中学も異なるが、公園でバスケットをして遊んでいるうちに知り合い、仲がよくなったというのだ。最初に話を聞いた時は驚いた。髪形も服装もごく普通だが、会話の最中に平然とたばこを吸い始める。注意しても「小学6年から吸ってる」と気に留めない。質問をしても、視線を落としたままスマートフォンを操作している。同世代の若者が目の前を通り過ぎると「見てるとムカムカする」とにらみつけ、こちらを見たと思うと「何か買って」「カラオケに連れてって」とせがむのだ。狭い安アパートで10代のきょうだいだけの生活。母親は数日おきに様子を見に来るが、父親は寄りつかない。食事は1日1食。生活は「スマホいじって、疲れたら寝て、起きたらスマホいじっての繰り返し」。昼夜は逆転し、アパートは被害者を含めた友人らの夜のたまり場と化したのだ。被害者は一昨年夏、島根県の隠岐諸島・西ノ島から川崎に引っ越して来た。母子家庭で兄弟が多い。母親は生活のために早朝から晩まで働き、アパートを不在にする時間が長かったのだ。しかし、今になって思うことなのであるが、もし、被害者が川崎市川崎区に引越しせずに島根県の隠岐諸島・西ノ島に住み続けば、服役囚(当時18)に殺されることはなかっただろう。また、島根県の隠岐諸島・西ノ島に現在まで居住すれば、「面倒臭い」と長期間不登校になることはなかったのだろう。川崎市川崎区のある地域に居住すると、非行になりやすいのだろう。やはり、被害者は 川崎市川崎区に居住すべきではないであろう。川崎区に居住している方には悪いが、そう思うのである。川崎区に居住している方に告ぐ、そういう事いわれて怒りを感じるならば、環境をよくする様に努力、活動をすべきであろう・・・服役囚(当時18)のような人間を生ませないためにも・・・(井森隆)