「メジャーの打法」~ブログ編

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Feltner論文(2)

2009年04月17日 | 投法
  被験者の投法(つづき)。

 肩の内転角からFeltner(1986)の被験者代表をアーム式ではないか?としたのだが、データの中でもうひとつ注目すべきなのは踏み出し足着地(SFC)のタイミングだ。これまで上半身に目が行ってしまって、この点にはまったく注意を払わなかった。そこで、こちらのサイトで調べてみた。トップに載っているティム・リンスカムはアーム式だろう。確かに着地は遅い。リベラあたりと比べるとよくわかる。やはり、被験者はアーム式と見て間違いないだろう。

 アーム式といえば、そのメカニズムはともかく、日本では特殊な投法とされている。それなのにFeltner(1986)は代表に選び、「ほかの投手もだいたい同じ」としたわけだ。しかし、「能天気なこと言ってらぁ」などと笑ってはいけない。動作解析法を三次元の動作にまで拡大した画期的な論文で、バイオメカニクスの金字塔なのだ。日本の研究者も強い影響を受けている。その出来があまりに見事だったために、「この論文をもって、投球動作研究の骨格が出来上がった」と考えたことに問題があるのだ。日本の論文を見ても、テーマがFeltner論文のやり残した手首のスナップあたりの研究に移行していて、動作解析法を駆使してさらに投球動作の本質に迫るような研究はないようだ。

 風井論文では投法を連続型、非連続型に分けているし、桜井論文のオーバーハンドとスリークォーターのデーターもまったく違う様相を示している。こういう視点で考えていかないと実践に役立つ研究はできないのだ。「だいたい同じ」の一般論から得るものは少ないだろう。
小池関也のセンサー・バットの論文でさえ、それを試用したデータで、日本式ダウンスイングと普通の打法との違いを示して見せたのには感心させられた。日本人の方が差異性に対して目か利くのか?


 そこで、すでに何度も述べたように、実りある投球論を展開するには普通の投球にアーム式を対峙させるところから出発しなければならない―と考えるわけだ。ところが、計らずもFeltner論文がその起点となった。(1986)の被験者代表がアーム式であり、(1989)のそれが普通の投法だからだ。このふたつの論文がこういうことで再評価されるときには投球論も新たな段階を迎えていることだろう。

 しかし、アーム式と普通の投法の比較を試みるならば、やはりキネマティックなデータのみでは十分とは言えまい。キネティックス、つまり、動作原理、末端加速様式にまで踏み込まなければならないだろう。そのとき、Feltner論文では不十分だ。肩の内転・外転トルクは両者の違いを明らかにしてはくれないし、肘の伸展トルクについても同様だからだ。
 同じ動作解析法を用いるとすれば、体幹部分の前屈、回旋トルクなどを改めて測ることになるだろうが、やはり肩まわりの筋群、特に広背筋の関与を知りたいとすれば筋電図法が簡便だ。Gowanのデータが『投げる科学』p143にある。これは普通の投法だろう。このタイミング(加速期)で広背筋が収縮するとすれば、あそびを取る時間を考えれば、加速には寄与していないはずだ。アーム式ならコッキング後期に収縮が始まっているだろう。



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