すいーと雑記帳

とっこの独り言

屋嘉(やか)~喜瀬武原(きせんばる)~恩納村タイガービーチ

2011-08-23 16:24:20 | 日録・雑感など
8月21日 SUN   

今日は、母の体調もマシのようなので、ベッドサイドに電話と、保冷バッグに入れた昼食・お茶その他の必需品をズラリと並べてから、チョイさんとドライブに出かけました。

50分ほどのドライブで本島中部・東海岸の屋嘉(やか)に到着。


屋嘉収容所跡の碑
ここは、沖縄戦が終わった後、日本軍の軍人・軍属が多く収容された屋嘉収容所のあったところです。


碑の裏側には、「屋嘉節」の歌詞がありました。収容所にいた沖縄県人が戦に荒れ果てた故郷を目にする悲哀をうたった歌だと思います。


久高島住民強制疎開の記念碑
(沖縄の聖地、久高島の人たちが戦時中、強制的に屋嘉に疎開させられて屋嘉の人たちに世話になった、と書いてありました。このことは初めて知りました。何故強制的に疎開させられたのかな?)

そこから金武町(きんちょう)の金武大川(ウッカガー)という昔からある水場に行きました。


立派な屋根がついています。「長命の泉」らしい!


水量豊かな、冷たくて美味しい水です。車でボトルに水を汲みにきている人もありました。

それから米軍のキャンプハンセン基地の横を通って、県道104号で東海岸から西海岸へ通じる山道を抜けました。



1970年代半ば、米軍の実弾射撃演習に反対する人達が、着弾地の山に入って身体を張って演習を阻止し、4名の逮捕者まで出した有名な「喜瀬武原(きせんばる)闘争」の行われた山々が見えます。(奥から恩納岳、金武岳、ブート岳など)


喜瀬武原公民館

この山合いの小さな集落・喜瀬武原は、沖縄の「本土復帰」1年後の1973年5月、国会議事堂正門にナナハンのバイクで激突して亡くなった上原安隆さん(27歳)の故郷です。
静かな集落を歩きながら、上原さんのことを思いました。

遺品のヘルメット(森口豁さんの写真展にて



喜瀬武原の町にある「里の駅」に入りました。ここで地元の島ラッキョとか、玉ねぎ、ネギ、しめじ、アーサの佃煮などを買いました。(帰宅後、島ラッキョの天麩羅にしたらとても美味しかった!)

西海岸へ出て、いよいよ待ちに待った海水浴タイムです
万座ビーチとか有名なビーチは、駐車料金というか入場料というかが1,000円もするのでアホくさと思ってパスしました。いくつもビーチがあるものの、人工ビーチで浮きで囲ってあったりする風情のないところは嫌だし、いくつか見て回って、やっと恩納村のタイガービーチという自然なビーチというか、何もない、近所の人しか来ない小さなビーチを見つけました。シャワー設備もなくて、トイレで着替えるような、滅茶ローカルなビーチでしたが海岸そのものの感じがいいので、私的には大満足


「泳ぐぞ~~!」今年はじめての海水浴です。
後方に小さく見えるのは伊江島の塔頭(たっちゅう)=城山(172m)です。


ひと泳ぎして大満足!! やっぱりプチャプチャ泳ぐのが大好き、仰向いてポカ~ッと水に浮いているのが一番好き!(後ろは、ムーンビーチのリゾートホテル)


PS:「喜瀬武原闘争」については、チョイさんのブログに詳しく書かれています。
「米軍実弾演習阻止の闘いの地・・喜瀬武原から恩納岳を望む」


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