快読日記

日々の読書記録

読了『カールの降誕祭』フェルディナント・フォン・シーラッハ

2016年02月14日 | 翻訳小説
2月13日(土)

よく、テレビのバラエティで、高い鉄棒にどれだけぶらさがっていられるか競うやつがある。
必ず落ちることは決まっているが、スタート時点では余裕しゃくしゃく、だんだん苦しそうになってバタバタしたり苦悶しだしたりして、あー!もうダメだ!って指が滑る瞬間、奇妙な快感がある。
落ちていく人を見ながら、変な開放感を感じる。
シーラッハの短編の面白さってそれに似ているなあと『カールの降誕祭』(フェルディナント・フォン・シーラッハ/東京創元社)を読みながら思う。

ひとつめの「パン屋の主人」も、「サイボルト」も、表題作のカールも、日常という鉄棒にかろうじてぶら下がりながら、あるラインを越えるとダムが決壊するみたいに何もかもがダメになる。


長編『コリーニ事件』『禁忌』もいいけど、シーラッハはやっぱり短編だと思う。
あらすじかと思うほど簡潔な文章と、そこから生まれる皮膚が切れるようなスピード感がたまらない。


それにしても、わたしはなんでこんなにシーラッハの短編が好きなのか。
今のゆる~くて取り立てて不満のない毎日の底がフッと抜けて、日常から滑り落ちる不安があるのかもしれない。あるいは期待?
作品のバッドエンドでそこらへんの疑似体験をしているのか。
そういえば、絶叫マシンは自殺の疑似体験であるといってた人がいたから、そういうことかもしれない。


装画や挿し絵は、『犯罪』『罪悪』の表紙と同じ人だ。
ずっとシーラッハと同じドイツの画家の作品だと思っていたが、タダジュンという日本の人だった。
あまりにも雰囲気がぴったりで気づかなかった。