山内容堂を心服させた直弼、次に目指すは西国一の雄藩・薩摩藩。
土佐からそのまま船で長崎へ向い、容堂は例のごとく江戸へ。
そして四国での遊説を終えた小栗忠順も長崎へと向かった。
忠順がやってきたのは佐賀藩。
藩を近代化させたことで知られる鍋島閑叟が治める雄藩である。
後に大久保利通と争い、下野し佐賀の乱を起こす江藤新平の名も見えますな。
そして直弼は薩摩へと入る。
しかし、ここで島津忠義に思わぬ苦戦を強いられることになった。
何度か説得していると、突然怒り出してしまったのである。
これも大藩を率いるプライドの高さなのか?
それとも血気盛んな10代の反抗なのか?とにかくしばらく時間を置くことに。
そして、忠順も鍋島閑叟にキレられてしまい、仕方なく熊本へと向かうのであった。
直弼は忠順の尻拭いとばかりに鍋島を説得し藩論を佐幕へと転換させることに成功。
そして、再び薩摩へと向かった。
今度こそ、心服。
これで最強の薩摩兵を手に入れたのである。
それは同時に長州包囲網が完成した瞬間でもあった。
それにしても、この忠義の能力は…
付け焼き刃かもしれないが、江戸で勉強させた方がいいですな。
一方、修行を終えた容保は東海道の諸藩遊説の旅へ。
そして徳川御三家筆頭の尾張・名古屋藩の徳川慶勝を説得。
この方もまた、強敵でありました…
そしてついに長州征伐へ!
先陣として薩摩・土佐の精兵が萩を強襲する。
しかし、さすが長州は兵力もさることながら、武装度も高いようで一撃の重みに差がありすぎた。
薩摩も土佐も大打撃を受けて撤退を余儀なくされるのであった。
それから1か月後…
会津・長岡の兵が到着。
その間に彦根の兵が削って長州兵は残りわずか800ちょっと。
ついにとどめを刺して長州は陥落。
こうして直弼は武力によって長州を制圧。
雄藩最大の強敵を打倒することに成功したのである。
※白い部分が直弼が直接指示できる箇所。実は点滅しているので本当はここも緑色
大分佐幕に染まってきた日本国。
しかし、油断しているといつの間にか藩論を変えられてしまうので余談を許さない…
佐賀藩はあっさり吉田東洋に説得されて変えられてもうた。
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